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日蓮宗の人物旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
日蓮宗の人物旧跡
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[[日蓮宗]]の[[諸師旧跡]]。開祖は[[日蓮]](1222-1282)。 == 一覧 == ===親族=== *妙日(1172-1258):日蓮の父。「聖父」「慈父」などと尊称される。俗名は貫名重忠。貫名重実の次男。遠江国貫名郷(静岡県袋井市広岡)を根拠として貫名家は井伊家の分家で、日蓮宗が「井桁に橘」紋を使うのは井伊家の紋に由来するという。源平合戦で平氏についたため1203年5月7日、幕府により安房に流され、漁師をしていたという。1258年2月14日死去。87歳。墓所は[[小湊妙蓮寺]]と貫名[[妙日寺]]にある。 *妙蓮(1193-1267):日蓮の母。「聖母」「悲母」などと尊称される。俗名は梅菊。清原氏あるいは畠山氏という。1264年、日蓮の祈祷により一度蘇生し寿命を4年延ばしたという。1267年8月15日死去。74歳。墓所は小湊妙蓮寺。 *貫名重政():日蓮の兄。 *貫名重仲():日蓮の兄。 *貫名重友():日蓮の弟。末裔が藤平家として存続するという。 ===六老僧=== *[[日昭]](1221-1323):[[日昭門流]](浜門流)の開祖。下総出身。[[比叡山]]で学び日蓮の学友であった。鎌倉に[[妙法華寺]]、[[越後・妙法寺|村田妙法寺]]を創建(両寺とものち移転)。不軽院、弁阿闍梨。 *[[日朗]](1245-1320):[[日朗門流]]の開祖。下総出身。[[鎌倉]][[妙本寺]]、[[池上本門寺]]、下総[[本土寺]]を創建し、関東布教を行う。大国阿闍梨、筑後房、正法院、日朗菩薩。 *[[日興]](1246-1333):[[日興門流]](富士門流)の開祖。甲斐出身。日蓮没後に他の幹部と対立し、[[身延山]]を離れ、[[富士山]]麓を拠点とする。南条時光の支援を受けて[[大石寺]]、[[北山本門寺]]を創建。伯耆阿闍梨、白蓮阿闍梨、常在院。 *[[日向]](1253-1314):[[日向門流]](身延門流)の開祖。上総出身。[[久遠寺]]を継承。また上総妙光寺([[藻原寺]])を創建。佐渡阿闍梨、民部阿闍梨。 *[[日頂]](1252-1317):駿河出身。[[富木常忍]]の養子。下総[[下総・弘法寺|真間弘法寺]]を創建。義父と対立し、日興の下へ赴き[[北山本門寺]]学頭となった。伊予阿闍梨。 *[[日持]](1250-?):駿河出身。日蓮没後、影像を造り、[[池上本門寺]]に祀った。のち海外布教を志し、蝦夷を経て大陸に渡ったともいう。蓮華阿闍梨、甲斐公、本応院。 ===鎌倉時代=== *[[富木常忍]](1216-1299):[[中山門流]]の開祖。[[法華経寺]]を創建。 *日弁(1239-1311):駿河出身。元は[[天台宗]]僧だったが、日興に師事。[[鷲山寺]]、[[上行寺]]を創建。乗観房、越後阿闍梨。 *日印(1264-1328):天台宗僧だったが、日朗に師事。[[青蓮華寺]]、鎌倉[[本勝寺]]を創建。 ===室町時代=== *[[日像]](1269-1342):[[四条門流]]の開祖。日朗の弟子で、日蓮の孫弟子にあたる。下総の出身。現在の[[本土寺]]の地で生まれたという。日蓮より「帝都弘通」の命を受け、京都に赴き、度重なる迫害を受けながら、[[妙顕寺]]に[[後醍醐天皇]]より勅願寺公認を得た。 *[[大覚]](1297-1364):日像の弟子。日蓮に'''大菩薩'''の号、日朗に'''菩薩'''の号、日像に'''菩薩'''の号を賜る。多くの寺院を建てる。妙実。 *[[日静]](1298-1369):[[六条門流]]の開祖。[[本圀寺]]を創建。妙龍院。 *[[日祐]](1298-1374):中山門流の僧。法華経寺3世となり伽藍整備。 *[[日什]](1314-1392):[[日什門流]]の開祖。会津出身。[[妙満寺]]を創建。玄妙阿闍梨。 *[[日陣]](1339-1419):[[日陣門流]]の開祖。越後出身。本圀寺日静に師事。[[本成寺]]を継承。日伝と対立し本圀寺を離れ[[本禅寺]]を創建。円光房、門一阿闍梨。 *[[日隆]](1384-1464):[[日隆門流]]の開祖。日霽に師事。日隆聖人。 *[[日親]](1407-1488):室町時代の中山門流の僧侶。上総出身。法華経寺日英に師事。京都に[[本法寺]]創建。折伏主義の激しい布教姿勢を取った。[[光勝寺]]を拠点に九州布教に尽力。足利義教に諌言して熱した鍋をかぶせられる拷問を受けた。久遠成院、鍋かぶり日親。 *日朝(1422-1500):久遠寺11世。伽藍を整備し、中興と呼ばれる。 *[[日真]](1444-1528):[[日真門流]]の開祖。[[妙本寺]]日具に師事するが、勝劣を唱えて独立。京都に[[本隆寺]]、若狭に[[本境寺]]、越前に[[本興寺]]を創建した。常不軽院、大経房。 *日辰(1508-1576):[[要法寺]]を創建。諸山融和に尽力。 *朝山日乗(?-1577) *日珖(1532-1598):堺[[妙国寺]]の開山。[[頂妙寺]]3世。 *日承王:[[本能寺]]を中興した日蓮宗僧。[[伏見宮]]邦高親王の王子。同寺に治定墓がある。 ===江戸時代=== ([[日蓮宗不受不施派#人物旧跡]]も参照) *日経(1560-1620):日什門流の僧。妙満寺27世。江戸城で行われた[[浄土宗]]との宗論で敗れたとされ、耳鼻を削がれた。慶長法難。 *日乾(1560-1635):[[本満寺]]13世、久遠寺21世。[[鷹峰檀林]]を創建。身池対論に挑み勝利。 *算砂(1558-1623):囲碁の家元の本因坊家の祖。[[寂光寺本因坊]]に住す。日海。 *[[日奥]](1565-1630):[[不受布施派]]の開祖。京都[[妙覚寺]]19世。[[豊臣秀吉]]の千僧供養の出仕を拒否。[[徳川家康]]が対馬に配流。安国院、仏性院。 *日樹(1574-1631):不受布施派の僧侶。備中出身。池上本門寺16世、鎌倉妙本寺16世。身池対論で敗れ、信濃飯田に配流。 *[[元政]](1623-1668):[[法華律]](草山律)の僧侶。京都出身。彦根藩士。[[妙顕寺]]日豊に師事。[[瑞光寺]]を創建。日政、不可思議、称心庵。 *[[日講]](1626-1698):不受布施派の[[講門流]]の開祖。佐土原に配流。安国院。佐土原に墓所。 *増穂残口(1655-1742): *日潮(1674-1748):久遠寺36世。多数の門弟を育て、一大学派となる。 ===近現代=== *長松日扇(1817-1890):[[本門仏立宗]]の開祖。第1世講有。京都[[宥清寺]]を拠点として活動。清風。 *藤井日達(1885-1985):日蓮主義教団[[日本山妙法寺]]の設立者。熊本県出身。 *井上日召(1886-1967):日蓮主義テロ団体血盟団の設立者。 [[category:人物旧跡|*]]
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