ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
明石神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(版間での差分)
1行: | 1行: | ||
[[file:明石神社-05.jpeg|thumb|330px|]] | [[file:明石神社-05.jpeg|thumb|330px|]] | ||
- | '''明石神社'''(あかし・じんじゃ)は兵庫県明石市上ノ丸にある[[東照宮]]。祭神は徳川家康・松平直明・松平直常・[[豊受大神]]・[[金山彦大神]]。[[領主奉斎神社]] | + | '''明石神社'''(あかし・じんじゃ)は兵庫県明石市上ノ丸にある[[東照宮]]。祭神は徳川家康・松平直明・松平直常・[[豊受大神]]・[[金山彦大神]]。[[領主奉斎神社]]。[[明石松平家]]の[[霊社]]。 |
+ | *1682年(天和2年):3代松平直常が城内に徳川家康・直良・直明の霊を祀ったのが始まりという。山里曲輪にあったという。(兵庫県神社庁ウェブサイト) | ||
+ | *1871年(明治4年):一般参拝解禁。(兵庫県神社庁ウェブサイト) | ||
+ | *1886年(明治19年):本丸跡に遷座し、社殿を造営。 | ||
+ | *1886年(明治19年)4月:明石神社と称した。(『明石の史跡』) | ||
+ | *1890年(明治23年)1月:郷社に列格。(明石の史跡) | ||
+ | *1898年(明治31年):明石城跡が宮内省用地となる。 | ||
+ | *1918年(大正7年):現在地に遷座(明石の史跡)。この時、護穀神社を合祀。遷座は1899年(明治32年)とも。 | ||
+ | |||
+ | |||
+ | *『明石城関連絵図資料集』[https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/2820305100/2820305100100150/ht000210] | ||
+ | *「兵庫県神社庁ウェブサイト」[https://www.hyogo-jinjacho.com/data/6309008.html] | ||
+ | *『明石の史跡』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9575215/36] | ||
+ | |||
+ | |||
<Gallery widths="300" heights="200" perrow="2"> | <Gallery widths="300" heights="200" perrow="2"> | ||
file:明石神社-01.jpeg| | file:明石神社-01.jpeg| |
2022年12月3日 (土) 時点における版
明石神社(あかし・じんじゃ)は兵庫県明石市上ノ丸にある東照宮。祭神は徳川家康・松平直明・松平直常・豊受大神・金山彦大神。領主奉斎神社。明石松平家の霊社。
- 1682年(天和2年):3代松平直常が城内に徳川家康・直良・直明の霊を祀ったのが始まりという。山里曲輪にあったという。(兵庫県神社庁ウェブサイト)
- 1871年(明治4年):一般参拝解禁。(兵庫県神社庁ウェブサイト)
- 1886年(明治19年):本丸跡に遷座し、社殿を造営。
- 1886年(明治19年)4月:明石神社と称した。(『明石の史跡』)
- 1890年(明治23年)1月:郷社に列格。(明石の史跡)
- 1898年(明治31年):明石城跡が宮内省用地となる。
- 1918年(大正7年):現在地に遷座(明石の史跡)。この時、護穀神社を合祀。遷座は1899年(明治32年)とも。