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智積院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年7月3日 (土)

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智積院(ちしゃくいん)は、京都府京都市東山区にある真言宗本山寺院真言宗智山派総本山。元は根来寺の一院だった。根来寺関連旧跡祥雲寺の跡地に建てられた。

智積院(国土地理院空中写真より)
妙法院・豊臣秀吉墓・智積院・方広寺・豊国神社・京都国立博物館・三十三間堂(国土地理院空中写真より)

組織

住職

  • 能化・化主と呼ばれる。
  • 『日本仏教人名辞書』、智積院ウェブサイト
  • 富田学純『新義真言宗史』[1]
世数 生没年 在職年 略歴
1 玄宥 1529-1605 1577- 下野出身。1529年(享禄2年)生。膝付氏。智積院日秀に師事。1577年(天正5年)、能化。1585年(天正13年)豊臣秀吉の根来攻めで敗走。1600年(慶長5年)京都に智積院を再興。1605年(慶長10年)10月4日死去。77歳。墓所は泉涌寺。(日本人名大辞典など)
2 祐宜 1536-1612 1606- 下野出身。1536年(天文5年)生。深沢氏。根来寺で日秀、頼玄に学ぶ。下野・金剛定寺住職。1606年(慶長11年)5月、能化。1612年(慶長17年)11月11日死去。77歳。墓所は泉涌寺。(日本人名大辞典など)
3 日誉 1556-1640 1612?-1631 武蔵出身。1556年(弘治2年)生。小野寺氏。根来寺の日秀、頼玄に師事。焼き討ち後は長谷寺専誉、智積院玄宥に学ぶ。近江・総持寺を経て智積院能化。就任は1612年(慶長17年)か。「智積院法度」を受ける。1615年(元和1年)徳川幕府から旧祥雲寺を譲渡される。1631年(寛永8年)大報恩寺に引退。1640年(寛永17年)11月20日死去。85歳。墓所は泉涌寺。(日本人名大辞典、新義真言宗史など)
4 元寿 1575-1648 1631- 下野出身。1575年(天正3年)生。野口氏。長谷寺専誉、智積院玄宥に学ぶ。1619年(元和5年)、徳川秀忠から江戸に大報恩寺を与えられた(?)。1631年(寛永8年)智積院能化。1638年(寛永15年)僧正。1648年(慶安1年)閏1月13日死去。74歳。(日本人名大辞典など)
5 隆長 1586-1656 1648- 越後出身。1586年(天正14年)生。柳氏。武蔵明星院の祐長、京都智積院の日誉に学ぶ。1639年(寛永16年)元寿から灌頂。1648年(慶安1年)智積院能化。1651年(慶安4年)僧正。1656年(明暦2年)10月9日死去。71歳。(日本人名大辞典など)
6 宥貞 1592-1664 1656- 上野出身。1592年(文禄1年)生。当初は天台宗を学んだが真言宗に転じ、智積院の日誉、元寿に学ぶ。1642年(寛永19年)幕命で宝仙寺住職となる。1649年(慶安2年)江戸円福寺住職。1656年(明暦2年)智積院能化。1664年(寛文4年)5月6日死去。73歳。(日本人名大辞典など)
7 運敞 1614-1693 1661- 大阪出身。1614年(慶長19年)生。藤原氏。日誉、元寿に師事。尾張・長久寺、江戸円福寺を経て1661年(寛文1年)智積院能化。著書多数。1693年(元禄6年)9月10日死去。80歳。(日本人名大辞典など)
8 信盛 1620-1693 1682- 1620年(元和6年)生。智積院運敞に学ぶ。安楽寿院、江戸円福寺を経て1682年(天和2年)智積院能化。同年焼失した諸堂を再建。1693年(元禄6年)1月8日死去。(新義真言宗史など)
9 宥鑁 1624-1702 1693- 甲斐出身。1624年(寛永1年)生。隆屋氏。智積院の宥貞、運敞に学ぶ。醍醐寺の有雅に小野流を学ぶ。1683年(天和3年)江戸真福寺住職。1693年(元禄6年)智積院能化。伝法大会を再興。1702年(元禄15年)7月19日死去。79歳。(日本人名大辞典など)
10 専戒 1640-1710 1697-1705 1640年(寛永17年)生。安楽寿院専教の弟子。円福寺住職。1697年(元禄10年)智積院能化。1705年(宝永2年)、大報恩寺に引退。1710年(宝永7年)6月24日死去。71歳。(新義真言宗史など)
11 覚眼 1643-1725 1705- 薩摩出身。1643年(寛永20年)生。運敞の弟子。薩摩・大乗院で出家。江戸円福寺に入る。1705年(宝永2年)智積院能化。智積院能化として初の大僧正。護持院住職・新義真言宗僧録司。1725年(享保10年)11月8日死去。83歳。(日本人名大辞典など)
12 義山 1646-1722 1709- 美濃出身。赤穂遠林寺住職。六波羅蜜寺住職。大石良雄と交流。名古屋長久寺、江戸円福寺を経て1709年(宝永6年)智積院能化。1722年(享保7年)7月4日死去。(新義真言宗史など)
13 快存 1647-1724 1716- 薩摩出身。瑞応院快誉に師事。大和宝光院下総・西光寺薩摩・一乗院薩摩・大乗院、六波羅蜜寺、江戸真福寺を経て1716年(享保1年)智積院能化。3年で退任。北野普門院に隠居。薩摩幸善寺を創建。1724年(享保9年)8月29日死去。78歳。(新義真言宗史など)
14 智興 1661-1728 智積院で学ぶ。瀧谷寺、江戸円福寺を経て智積院能化。長谷寺秀慶と議して仁和寺大覚寺に請願して色衣許可。1728年(享保13年)6月18日死去。(新義真言宗史など)
15 亮範 1670-1739 1728- 越前出身。竹内氏。智積院の信盛に師事。1694年(元禄7年)江戸智宝寺を創建。蟹満寺、江戸真福寺を経て1728年(享保13年)智積院能化。1739年(元文4年)9月27日死去。70歳。(日本人名大辞典など)
16 鑁浄 ?-1744 1739- 薩摩出身か。経歴不詳という。1739年(元文4年)智積院能化。1744年(延享1年)4月24日死去。(新義真言宗史など)
17 龍天 1677-1767 1744- 明芽氏。智積院に学ぶ。隆誉に灌頂を受ける。醍醐寺の真円に学ぶ。常陸円福寺を経て1744年(延享1年)智積院能化。1746年(延享3年)僧正。1767年(明和4年)2月6日死去。91歳。(日本人名大辞典など)
18 快侃 1682-1756 1753- 山城出身。明王院快継に師事。智積院に学ぶ。六波羅蜜寺、上品蓮台寺を経て1753年(宝暦3年)智積院能化。1756年(宝暦6年)2月13日死去。75歳。(新義真言宗史など)
19 覚遠 1691-1771 1756- 山城出身。近江石津寺覚翁に学ぶ。名古屋長久寺、江戸円福寺を経て、1756年(宝暦6年)智積院能化。1759年(宝暦9年)六波羅蜜寺に隠退。1771年(明和8年)4月14日死去。81歳。(新義真言宗史など)
20 浄空 1693-1775 1759- 下野出身。鈴木氏。明星院海浄に師事。江戸円福寺を経て1759年(宝暦9年)智積院能化。1775年(安永4年) 10月28日死去。83歳。(日本人名大辞典など)
21 等空 ?-1777 1766- 紀伊出身。鑁盛に師事。智積院で修行。江戸真福寺を経て1766年(明和3年)智積院能化。因幡堂に隠退。1777年(安永6年)6月1日死去。あるいは紀伊・円満寺に隠居。同寺に供養塔。(新義真言宗史など)
22 動潮 1709-1795 1773- 武蔵出身。岡野氏。京都智積院に学ぶ。醍醐寺実雅、仁和寺宥証に密教を学び、智山第一の事相家と呼ばれた。江戸真福寺を経て1773年(安永2年)智積院能化。1795年(寛政7年)12月7日死去。87歳。(日本人名大辞典など)
23 鑁啓 1718-1794 1780- 仁宥のもとで出家。智積院で学ぶ。江戸真福寺を経て1780年(安永9年)智積院能化。1787年(天明7年)退任。1794年(寛政6年)12月3日死去。77歳。(新義真言宗史など)
24 胎通 1720-1798 1787- 陸奥出身。智積院で学ぶ。江戸円福寺住職。1787年(天明7年)智積院能化。「忠善騒動」の責任を取って辞任。1798年(寛政10年)2月24日死去。79歳。(日本人名大辞典など)
25 慈順 1735-1816 1799- 武蔵出身。長久寺光浄の下で出家。智積院で動潮に学ぶ。上品蓮台寺を経て1799年(寛政11年)11月、智積院能化。隠退。1815年(文化12年)9月19日死去。82歳。(新義真言宗史など)
26 浄光 1729-1803 1803- 安房出身。智積院で学ぶ。江戸円福寺を経て1803年(享和3年)4月、智積院能化。1803年(享和3年)9月15日死去。75歳。僧正を追贈。(新義真言宗史など)
27 英範 1730-1804 1803- 近江出身。近江石動寺(?)で出家。智積院に学ぶ。真福寺住職となり、本堂を再建。1803年(享和3年)智積院能化。1804年(文化1年)8月15日本山で死去。75歳。(新義真言宗史など)
28 謙順 1740-1812 1804- 武蔵出身。円福寺覚遠(智積院)に師事。忠善騒動のために『略策海滴』を著す。六波羅蜜寺、円福寺を経て1804年(文化1年)智積院能化。高山寺に隠退。1812年(文化9年)9月16日死去。73歳。編書『諸宗章疏録』。(新義真言宗史など)
29 観豪 1747-1813 1810- 紀伊で性海寺仁越に師事。智積院で学ぶ。六波羅蜜寺、真福寺を経て1810年(文化7年)智積院能化。本山に400両を寄進しさらに千金を集めて永世不断光明三昧の資とする。1813年(文化10年)6月24日本山で死去。67歳。(新義真言宗史など)
30 弘基 1752-1822 1815- 越後出身。越後・円融寺祐覚に師事。智積院で弘道に師事。本山衆議となる。大和、備前、讃岐、伊予などを巡教。観豪の死後、幕府は異例にもその才能を評価して1815年(文化12年)智積院能化に任命する。1822年(文政5年)11月6日死去。71歳。(新義真言宗史など)
31 亮海 1750-1828 1823- 下総出身。出流山満願寺の道海に師事。本山第三臈となり真福寺に晋山。1823年(文政6年)智積院能化。1828年(文政11年)3月14日死去。76歳。(新義真言宗史など)
32 海応 1769-1833 1829- 佐渡出身。菊池家出身。英範に師事。六波羅蜜寺、江戸真福寺を経て1829年(文政12年)智積院能化となる。倶舎学に秀でた。1833年(天保4年)11月29日死去。63歳。(日本人名大辞典など)
33 隆瑜 1773-1850 1834- 安房出身。智積院で学ぶ。安房・宝珠院、江戸円福寺を経て1834年(天保5年)智積院能化。京都大報恩寺に著述に励み、智積院に書庫を建てた。1850年(嘉永3年)4月3日死去。78歳。(日本人名大辞典など)
34 禅宅 1785-1851 1837- 武蔵出身。謙順の弟子。頑強な性格だったという。移転地の制度を改正する。越前瀧谷寺、円福寺を経て1837年(天保8年)智積院能化。しかし、能化投票に不正があったと疑われ、まもなく退任。江戸・加納院に隠退。1851年(嘉永4年)2月16日死去。67歳。僧正を追贈。(新義真言宗史など)
35 先晋 1772-1847 1841- 武蔵出身。武蔵・常勝寺で出家。智積院で学ぶ。1841年(天保12年)智積院能化。1847年(弘化4年)12月17日死去。76歳。(新義真言宗史など)
36 範恵 1788-1850 1846- 山城出身。海住山寺範冷に師事。越前・性海寺、江戸真福寺を経て1846年(弘化3年)智積院能化。1850年(嘉永3年)4月1日死去。63歳。(新義真言宗史など)
37 信海 1783-1856 1850- 三河出身。浮土菩提寺で出家。智積院で学ぶ。智積院海応に師事して信海と改名する。根来寺律乗院に住す。1850年(嘉永3年)智積院能化。海応と並び倶舎学に秀でた。1856年(安政3年)2月22日死去。74歳。(新義真言宗史など)
38 頼如 1801-1862 1856- 安房出身。野村氏。智積院で学ぶ。安房・宝珠院住職。1853年(嘉永6年)江戸円福寺住職。1856年(安政3年)智積院能化。1862年(文久2年)8月24日死去。62歳。(日本人名大辞典など)
39 隆栄 1809-1867 1862- 安房出身。石井氏。智積院で学ぶ。京都清和院、江戸真福寺を経て1862年(文久2年)智積院能化。倶舎学に秀でた。1867年(慶応3年)7月17日死去。59歳。(日本人名大辞典など)
40 丹藤弘現 1818-1878 1869-1874 佐渡出身。1818年(文政1年)生。清行寺で得度。智積院で学ぶ。1857年(安政4年)佐渡・蓮華峰寺住職。1869年(明治2年)6月、智積院化主。1870年(明治3年)10月、大僧都。1872年(明治5年)教導職権少教正。少教正。1874年(明治7年)5月、化主を退任。大報恩寺養命坊に隠居した。唯識に長じた。1878年(明治11年)12月1日死去。61歳。(日本人名大辞典など)
41 佐々木義範 1830-1878 1874-1879 佐渡出身。1830年(天保1年)生。養禅寺泰眼に師事。1841年(天保12年)智積院で弘現に師事。倶舎・唯識を学ぶ。1870年(明治3年)8月、伝法大会竪義。同年、佐渡蓮華峰寺に住す。1874年(明治7年)智積院能化。権少教正。明治混乱期に際して東奔西走する。1878年(明治11年)教導職権大教正。同年、増上寺の大教院で義林章の講義を行っている途中、9月10日死去。49歳。『倶舎論玄談併私記』。(新義真言宗史など)
42 松平実因 1820-1889 1879-1889 名古屋出身。1820年(文政3年)生。小畠氏。福生院実ミンの下で出家。1834年(天保5年)智積院で隆栄に学ぶ。1840年(天保11年)福生院住職。1859年(安政6年)伝法大会竪義。1860年(万延1年)尾張・長久寺住職。1864年(元治1年)伝法灌頂。1874年(明治7年)教導職少講義。中教正。1879年(明治12年)1月、智積院能化。1882年(明治15年)の金堂焼失に際して護法会を設立。1886年(明治19年)の宗制改革で大僧正となる。同年、真言宗長者(管長)となり根来寺座主を兼ねる。1888年(明治21年)真言宗長者退任。1889年(明治22年)11月20日死去。70歳。(新義真言宗史など)
43 金剛宥性 1821-1895 1890-1893 安房出身。1821年(文政4年)生。小川氏。1833年(天保4年)安房清水成就院の慶真の下で出家。智積院で頼如に学び、のち根来寺で信海らに学ぶとも。1844年(弘化1年)安房清澄寺に住す。1849年(嘉永2年)再入壇。1861年(文久1年)両大会。教導職権少教正となるが1873年(明治6年)辞職。同年、三宝院門跡。1875年(明治8年)醍醐寺座主。教導職権中教正となるが1881年(明治14年)再び辞職。まもなく大講義。1890年(明治23年)5月20日、智積院能化。根来寺座主を兼務。1892年(明治25年)大僧正。1893年(明治26年)6月10日、病のため退任し浅草吉祥院に隠退。1895年(明治28年)1月13日死去。75歳。(日本人名大辞典、新義真言宗史など)
44 佐伯隆基 1831-1897 1891-1896 磐城出身。1831年(天保2年)生。赤津氏。宝徳院で出家。平間寺の佐伯隆珊に師事してその姓を継ぐ。1847年(弘化4年)智積院に学ぶ。1853年(嘉永6年)来福寺住職。1873年(明治6年)平間寺住職。1880年(明治13年)平間寺住職を引退し平間寺生玉庵に隠居。1882年(明治15年)権少教正。1884年(明治17年)両大会。1893年(明治26年)6月10日、智積院能化。1896年(明治29年)9月25日隠退。1897年(明治30年)9月、大僧正。同年10月3日死去。69歳。生玉隠士と号す。(新義真言宗史など)
45 船岡芳勝 1840-1896 1896-1896 越後出身。1840年(天保11年)生。1851年(嘉永4年)小千谷・慈眼寺で出家。1846年(弘化3年)智積院で顕密を学び、倶舎・唯識に長ける。当時、学徒が四散するが一人留まって研鑽する。1868年(明治1年)から講筵を開いて僧侶を育成する。1879年(明治12年)教導職大講義。1890年(明治23年)権僧正。1892年(明治25年)5月、伝法大会。慈眼寺、魚沼弘誓寺、小千谷・五智院を経て1896年(明治29年)8月29日、智積院能化(公選?)。9月、権大僧正。9月25日晋山式。大学林で主管交代式を行った直後、11月29日真福寺で死去(智山年表では11月5日死去)。57歳。贈大僧正。(新義真言宗史など)
46 三神快運 1836-1905 1897-1899 越後出身。1836年(天保7年)生。1843年(天保14年)越後築地宝持院で出家。1852年(嘉永5年)智積院で学ぶ。1857年(安政4年)徳島、淡路などで学ぶ諸流を伝授した後、郷里に帰る。1868年(明治1年)新発田・宝積院住職。1880年(明治13年)から宗務を担当し、化主に随行して巡錫する。1895年(明治28年)中僧正。1897年(明治30年)4月2日、智積院能化。大学林主管、真言宗長者を兼ねる。1899年(明治32年)2月13日隠退して大報恩寺に隠居。のち宝積院に帰る。1905年(明治38年)5月7日死去。70歳。(新義真言宗史など)
47 瑜伽教如 1847-1928 1899-1910 初代管長。越後出身。1847年(弘化4年)生。時田氏。1852年(嘉永5年)乙宝寺で得度。1861年(文久1年)智積院に登る。翌年、冬報恩講に出仕。1870年(明治3年)乙宝寺住職。1878年(明治11年)権少教正。1892年(明治25年)両大会。1899年(明治32年)2月13日、智積院能化。真言宗が分裂し、新義真言宗智山派の成立にともない、1900年(明治33年)8月9日、初代管長。1905年(明治38年)密宗安心章。声明を得意とし1908年(明治41年)声明法式伝習会を開く。1910年(明治43年)2月12日退任し、大報恩寺養明坊に隠居。1928年(昭和3年)12月20日死去。82歳。(日本人名大辞典など)
48 伊藤宗盛 1844-1919 1910-1917 2代管長。出羽出身。1844年(弘化1年)生。1850年(嘉永3年)龍覚寺で得度。翌年四度加行。1861年(文久1年)智積院で学ぶ。1870年(明治3年)1月養真院役者。1871年(明治4年)12月、息障院に住す。1892年(明治25年)両大会。1898年(明治31年)定額位。1900年(明治33年)集議。同年、大会議員。1910年(明治43年)3月、智積院能化・管長。1917年(大正6年)10月24日、退職。1919年(大正8年)12月16日息障院で死去。76歳。墓所は息障院。(埼玉県史)
49 大江存良 1852-1928 1917-1922 3代管長。京都出身。1852年(嘉永5年)生。藤井家。遍照院(滝谷寺?)で出家。1875年(明治8年)瀧谷寺46世。1883年(明治16年)教導職大講義。1892年(明治25年)両大会。1895年(明治28年)権少僧正。同年、安房宝珠院を兼務。菩提院結衆。1905年(明治38年)集議。1911年(明治44年)宗機顧問。1917年(大正6年)中僧正。1918年(大正7年)2月、智積院化主・管長・根来寺座主となり大僧正。1922年(大正11年)退任して滝谷寺に隠居。1928年(昭和3年)5月5日死去。77歳。(大日本人物名鑑)
50 武藤範秀 1866-1942 1922-1925 4代管長。京都出身。1866年(慶応2年)生。13歳で海住山寺百済範真のもとで得度。1881年(明治14年)智積院で学ぶ。1891年(明治24年)10月、金剛宥性から幸心一流伝授。1893年(明治26年)6月、新義派大学林卒。同年海住山寺住職。1894年(明治27年)智山協立中学林助教授。1895年(明治28年)4月、伝法大会。1902年(明治35年)2月、智積院道場で開壇。1905年(明治38年)薬王院27世。同年、菩提院結衆。1909年(明治42年)宗機顧問。1917年(大正6年)智山勧学院長。1920年(大正9年)集議。1921年(大正10年)インドや欧米を視察。外遊中の同年11月23日、智積院化主・管長に当選。大僧正。1922年(大正11年)9月12日、化主就任式。1924年(大正13年)、後七日御修法の大阿闍梨を務め、参内。1925年(大正14年)5月4日退任。1942年(昭和17年)3月18日死去。77歳。
51 滝承天 1853-1941 1925-1927 5代管長。尾張国出身。1853年(嘉永6年)生。黒川氏。大徳院で得度。1868年(明治1年)から智積院で学ぶ。1879年(明治12年)の松平実因の化主就任にともない、化主に随従し、山務に携わる。1879年(明治12年)長久寺で入壇。幸心一流伝授。1881年(明治14年)具足戒。1895年(明治28年)伝法大会。1902年(明治35年)菩提院結衆。1919年(大正8年)集議。近江神照寺、名古屋福生院、長久寺を歴任。1925年(大正14年)6月25日、智積院化主・管長に就任。1927年(昭和2年)7月18日、退任を表明し、長久寺に隠居。その後、貞照寺を創建。1941年(昭和16年)9月11日死去。89歳。
52 青木栄豊 1857-1936 1927-1929 6代管長。1857年(安政4年)生。1927年(昭和2年)9月2日、智積院化主・管長。1929年(昭和4年)6月28日、辞表提出。見徳寺に隠居。1936年(昭和11年)10月8日死去。80歳。
53 旭純栄 1864-1948 1929-1936 7代管長。1864年(元治1年)生。1929年(昭和4年)11月3日、智積院化主・管長。1930年(昭和5年)後七日御修法の大阿闍梨を務め、昭和天皇から同大阿として初めて健陀羅殻子の袈裟を賜る。1936年(昭和11年)9月27日退任。1948年(昭和23年)3月31日死去。85歳。
54 斎藤隆現 1868-1947 1936-1946 8代管長。1868年(明治1年)生。1936年(昭和11年)12月5日、智積院化主・管長に就任し、根来寺座主を兼務。宗教団体法成立にともなう合同真言宗の成立で管長退任。1941年(昭和16年)3月、合同真言宗2代管長。1946年(昭和21年)2月、合同真言宗の解体と真言宗智山派の再独立で管長に就任。同年3月15日辞表提出。1947年(昭和22年)9月17日死去。80歳。
55 高井観海 1885-1953 1946-1950 9代管長。和歌山県出身。1885年(明治18年)生。智山勧学院卒。哲学館で井上円了に学ぶ。智山勧学院教授、智山専門学校長、大正大学教授を経て1946年(昭和21年)6月8日、智積院能化・管長。1950年(昭和25年)5月24日、任期満了で退任。1953年(昭和28年) 1月9日死去。67歳。(日本人名大辞典など)
56 御嶽隆道 1885-1959 1950-1955 10代管長。1885年(明治18年)生。1950年(昭和25年)5月25日、智積院化主・管長。1955年(昭和30年)8月12日退任。1959年(昭和34年)1月4日死去。73歳。
57 倉持秀峰 1891-1972 1955-1959 11代管長。埼玉県出身。1891年(明治24年)生。早稲田大学卒。1921年(大正10年)三学院に住す。1935年(昭和10年)智積院事務長。1955年(昭和30年)8月12日、智積院能化・管長。1959年(昭和34年)8月11日退任。埼玉県仏教会会長。1972年(昭和47年) 3月2日死去。81歳。(日本人名大辞典など)
58 松平実亮 1883-1967 1959-1963 12代管長。1883年(明治16年)生。福生院住職。1959年(昭和34年)8月12日、智積院化主・管長。1963年(昭和38年)8月11日、任期満了で退任。1967年(昭和42年)10月4日死去。83歳。
59 秋山祐雅 1895-1989 1963-1967 13代管長。1895年(明治28年)生。武蔵・金剛寺32世。1963年(昭和38年)8月12日、智積院化主・管長。1967年(昭和42年)8月11日、任期満了で退任。1989年(平成1年)9月23日死去。
60 那須政隆 1894-1987 14代管長。1894年(明治27年)生。1967年(昭和42年)8月12日、智積院化主・管長。1971年(昭和46年)8月11日、任期満了で退任。1987年(昭和62年)5月31日死去。
61 竹村教智 1896-1990 15代管長。1896年(明治29年)生。1971年(昭和46年)8月12日、智積院化主・管長。1975年(昭和50年)8月11日、任期満了で退任。1990年(平成2年)4月26日死去。満願寺貫主。
62 芙蓉良順 1900-1983 16代管長。1900年(明治33年)生。1975年(昭和50年)8月12日、智積院化主・管長。1979年(昭和54年)8月11日、任期満了で退任。1983年(昭和58年)8月17日死去。勝蔵院住職。
63 上野頼栄 1906-1993 17代管長。1906年(明治39年)生。陸奥・常福寺住職。1979年(昭和54年)8月12日、智積院化主・管長。1983年(昭和58年)8月11日、任期満了で退任。1993年(平成5年)11月6日死去。
64 小峰順誉 1900-1990 18代管長。1900年(明治33年)生。1983年(昭和58年)8月12日、智積院化主・管長。1987年(昭和62年)8月11日、退任。1990年(平成2年)9月24日死去。田無・総持寺住職。
65 藤井龍心 1903-1998 19代管長。1903年(明治36年)生。1987年(昭和62年)8月12日、智積院化主・管長。1993年(平成5年)10月12日退任。1998年(平成10年)4月13日死去。94歳。
66 高井隆秀 1916-1999 20代管長。1916年(大正5年)生。上品蓮台寺住職。1993年(平成5年)10月13日、智積院化主・管長。1997年(平成9年)10月12日、任期満了で退任。1999年(平成11年)5月18日死去。83歳。
67 近藤隆敬 1912-2002 1997-1999 21代管長。1912年(大正1年)生。長福寺住職。1997年(平成9年)10月13日、智積院化主・管長。1999年(平成11年)11月15日退任。2002年(平成14年)2月9日死去。
68 宮坂宥勝 1921-2011 1999-2007 22代管長。長野県出身。1921年(大正10年)生。東北大学卒業。1965年(昭和40年)高野山大学教授。1977年(昭和52年)名古屋大学教授。成田山勧学院教授。1967年(昭和42年)長野照光寺住職。1999年(平成11年)11月16日、智積院化主・管長。2007年(平成19年)6月27日、2期を務め任期満了で退任。2011年(平成23年)1月11日死去。89歳。(日本人名大辞典など)
69 阿部龍文 1924-2017 2007-2011 23代管長。1924年(大正13年)生。世田谷満願寺住職。2007年(平成19年)から2011年(平成23年)まで智積院化主・管長。2017年(平成29年)1月31日死去。
70 寺田信秀 1919- 2011-2015 24代管長。1919年(大正8年)生。館山総持院。2011年(平成23年)から2015年(平成27年)まで智積院化主・管長。
71 小峰一允 1933- 2015-2019 25代管長。1933年(昭和8年)生。武蔵・三宝寺住職。2015年(平成27年)から2019年(令和1年)まで智積院化主・管長。
72 布施浄慧 1934- 2019- 26代管長。京都出身。1934年(昭和9年)生。大正大学大学院博士課程後期満期退学。大正大学講師。久喜市吉祥院住職。成田山勧学院教授。智山講伝所上座阿闍梨。宗機顧問。2019年(令和1年)6月28日、管長・化主。7月8日初登嶺。10月16日晋山式。2021年(令和3年)後七日御修法大阿闍梨を務め、真言宗長者。

寺務長

現在は宗務総長が兼務。真言宗智山派#組織を参照。

  • 小鷹諦観()<>:智積院在院務代理。1886年(明治19年)7月19日就任。
  • 吉堀慈恭()<>:智積院寺務総理。1890年(明治23年)5月27日、寺務総理。1890年(明治23年)9月9日死去。47歳。
  • 高尾秀融()<>:智積院寺務総理。1890年(明治23年)9月30日就任。11月4日辞任。
  • 三神快運()<>:智積院事務長。1890年(明治23年)11月4日就任。事務長に名称変更
  • 浜田法尊()<>:智積院事務長。1897年(明治30年)4月8日退任。
  • 滝実昇()<>:智積院事務長。1899年(明治32年)8月7日当選。
  • 宮本隆範()<>:智積院事務長。1917年(大正6年)5月18日就任。
  • 平幡照法()<>:智積院事務長。1930年(昭和5年)4月9日退任
  • 文屋教晋()<>:智積院事務長。1930年(昭和5年)4月9日就任。
  • 平幡照法()<>:智積院事務長。1931年(昭和6年)4月18日退任
  • 平沢照尊()<>:智積院事務長。1931年(昭和6年)4月18日就任。
  • 平沢照尊()<>:智積院事務長。1934年(昭和9年)4月18日就任。1935年(昭和10年)2月14日辞任。
  • 御嶽隆道()<>:智積院事務長。1935年(昭和10年)3月14日就任。宗務長が兼務
  • 芙蓉浄淳()<>:智積院事務長。1935年(昭和10年)9月4日。宗務長が兼務。11月11日まで
  • 倉持秀峰()<>:智積院事務長。1935年(昭和10年)11月11日就任。
  • 倉持秀峰()<>:智積院事務長。1938年(昭和13年)9月4日。宗務長として兼務
  • 芙蓉浄淳()<>:智積院事務長。1947年(昭和22年)6月15日、辞任。火災の引責か。
  • 秋山祐雅()<>:智積院事務長。宗務長が兼務
  • 海老塚義隆()<>:智積院事務長。1948年(昭和23年)6月7日就任。1950年(昭和25年)3月7日辞任。
  • 阿部龍伝()<>:智積院事務長。宗務長が兼務
  • 竹村教智()<>:智積院事務長。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%99%BA%E7%A9%8D%E9%99%A2」より作成

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