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朝護孫子寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
朝護孫子寺
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'''朝護孫子寺'''(ちょうごそんしじ)は、奈良県生駒郡平群町(大和国平群郡)の[[信貴山]]にある[[毘沙門天信仰]]の[[真言宗]]寺院。[[聖徳太子旧跡]]。[[信貴山真言宗]]総本山。[[聖徳太子建立四十六寺]]の一つ。[[修験道]][[当山派]]の[[正大先達]]の一つ。'''歓喜院'''と号す。'''朝護国孫子寺'''。通称は'''信貴山寺'''、'''志貴山寺'''。山号は信貴山。 == 歴史 == *587年:聖徳太子が創建。 *667年(天智6年):高安城築城 *774年(宝亀5年)頃:高安城近くに[[四天王]]を祀る寺院を建立。朝護孫子寺の前身という説も。 *奈良時代:[[道鏡]]が参拝。(阿娑縛抄) *延喜年間:命蓮が中興。 *930年(延長8年):命蓮、[[醍醐天皇]]の病気平癒の加持。(扶桑略記) *937年(承平7年):命蓮、『信貴山寺資財宝物帳』を提出。 *1126年(大治1年):[[覚鑁]]が来訪。[[如意宝珠]]を感得。 *保延年間:『信貴山縁起絵巻』成立。 *1227年(安貞1年):[[忍性]]が信貴山で学ぶ。 *1279年(弘安2年):信貴山への祈願により、[[融通念仏宗]]中興の[[法明]]が生まれたという。以後、毘沙門天は融通念仏宗の守護神となる。 *1331年(元弘1年/元徳3年):元弘の乱で[[護良親王]]が逗留。 *中世:[[興福寺]]末となる。 *1395年(応永2年):本堂焼失。 *1483年(文明15年):全山焼失。天狗の仕業と噂された。 *戦国時代:武田信玄、筒井順昭が祈願。 *1577年(天正5年):信貴山城の松永久秀を[[織田信長]]軍が攻めて朝護孫子寺も焼失。 *1578年(天正6年):快信、仮本堂建立。 *1602年(慶長7年):[[豊臣秀頼]]が再建。 *1632年(寛永9年):興福寺文書に「興福寺丑寅末寺、別当一乗院様御持」「宗旨 真言宗」とある。高野山末となるのはこれ以後か。 *1701年(元禄14年):[[永代寺]]で出開帳。 *1704年(宝永1年):[[桂昌院]]から寺領寄進。 *1712年(正徳2年):『和漢三才図会』に「天台宗」とあるが不詳。 *1793年(寛政5年):[[有栖川宮家]]の祈願所となる。 *1868年(明治1年):神仏分離。 *1908年(明治41年):[[高野山普門院]]末とある(奈良県生駒郡平群村是)。 *1909年(明治42年):本堂改修。1914年(大正3年)竣工。 *1922年(大正11年):[[猪上神社]]、現在地に遷座。 *1951年(昭和26年)4月:漏電で本堂焼失。 *1951年(昭和26年):高野山真言宗離脱。 *1952年(昭和27年):信貴山真言宗を設立。 *1958年(昭和33年):本堂再建。 == 伽藍 == *本堂:本尊は毘沙門天。善〓師童子と吉祥天を脇侍とする。階下には「戒壇巡り」があり、覚鑁が感得したという如意宝珠の扉の鍵に触れることができる。1951年(昭和26年)の焼失後に1958年(昭和33年)に再建。その前には1592年(文禄1年)あるいは1602年(慶長7年)造営で1746年(延享3年)に大改修した本堂があった。 *虚空蔵堂:[[虚空蔵菩薩]]を祀る。1701年(元禄14年)造営。求聞持堂とも。 *多宝塔:源信作と伝える[[大日如来]]を祀る。1689年(元禄2年)の建立。1882年(明治15年)修復。 *空鉢護法堂:[[龍王]]を祀る。参道には千本鳥居が並ぶ。 *剱鎧護法堂:剣鎧童子を祀る。 *行者堂:[[役小角]]を祀る。 *弁財天の滝:玉蔵院の奥にある。 *榧の木稲荷社:[[稲荷神]]を祀る。 *弁天堂:本坊に隣接。[[弁財天]]を祀る。 *開山堂:[[聖徳太子]]、[[空海]]、命蓮、歓算を祀る。1722年(享保7年)の建立。 *命蓮塚:命蓮の墓。開山堂の背後にある。 *十三仏石龕:成福院にある。県内最古の十三仏の遺構。 *三宝荒神堂:[[不動明王]]、[[阿弥陀如来]]、[[三宝荒神]]を祀る。不動堂とも。 *経蔵堂:1753年(宝暦3年)焼失。1796年(寛政8年)再建。 *鐘楼堂:1687年(貞享4年)再建。 *護摩堂:本坊に隣接。 *[[猪上神社]]:祭神は天足彦命・国押人命。信貴山総鎮守。命蓮が創建。元は現在の経蔵堂のあたりにあった。神仏分離でケンガイ山に遷座し、1922年(大正11年)現在地に遷座。官社。 *山門:阿吽が逆の金剛力士2体を祀る。1760年(宝暦10年)造営。1881年(明治14年)修復。1922年(大正11年)現在地に移築。 *絵馬堂:安政年間の造営。 *十三重石塔: *五重石塔: *宝篋印塔: *初辰稲荷: *根来寺遥拝所:覚鑁がここから[[根来寺]]を遥拝したという。虚空蔵堂の近くにある。 *遥拝石:聖徳太子の遥拝石?。猪上神社の近くにある。 ==子院== *本坊:安政年間の造営。1997年(平成9年)改修。 *千手院:信貴山真言宗大本山。1578年(天正6年)、快信が再建。以後、朝護孫子寺住職の自坊となる。護摩堂、銭亀善神、子安観音堂、千体地蔵堂がある。また三寅胎内くぐりの途中に覚鑁感得の如意宝珠の分身を祀る。 *成福院:信貴山真言宗大本山。[[如意宝珠信仰]]の寺院。1790年(寛政2年)再建。融通殿(塔)、七福神像、霊符鎮宅神堂、三福堂、四国霊場お砂踏み入れがある。融通殿には[[後嵯峨天皇]]念持仏の如意宝珠(如意融通宝生尊)を祀り、[[不動明王]]と[[空海]]を祀る。三福堂には弁財天、恵比寿、大黒天を祀る。 *玉蔵院:信貴山真言宗大本山。如意宝珠信仰の寺院。1701年(元禄14年)再建。1836年(天保7年)焼失。再建。浴油堂、融通堂、仏殿(三重塔)、地蔵菩薩像がある。浴油堂には刀八毘沙門天王を祀る。融通堂には覚鑁が毘沙門天から授かった如意宝珠(如意融通尊)の分身を祀る。仏殿には[[阿閦如来]]、四菩薩、[[大黒天]]、三宝荒神を祀る。 *無量寿院:1823年(文政6年)焼失。 *光明院:1908年(明治41年)には現存。廃絶。 *本覚院:1874年(明治7年)以降に廃絶か。 *東福院:1823年(文政6年)焼失。 *福蔵院:1823年(文政6年)焼失。 *宝寿院:1908年(明治41年)には現存。1892年(明治25年)に玉蔵院と合併とも。 *多聞院:信貴山奥之院。[[高野山真言宗]]に所属。山号は米尾山。焼き米出現の信仰がある。 ==関連旧跡== *福蔵寺:1632年(寛永9年)の興福寺文書に信貴山末寺とある。 *久安寺:1632年(寛永9年)の興福寺文書に信貴山末寺とある。 *仲禅寺:奈良県生駒郡三郷町南畑。773年(宝亀4年)、命蓮の母が創建したという。1632年(寛永9年)の興福寺文書に信貴山末寺とある。現在も信貴山真言宗所属という。 *生安寺:1632年(寛永9年)の興福寺文書に信貴山末寺とある。 *薬隆寺:奈良県生駒郡三郷町勢野西。廃絶。1632年(寛永9年)の興福寺文書に信貴山末寺とある。 *[[大和・総持寺|総持寺]]:奈良県生駒郡三郷町勢野東。廃絶。1632年(寛永9年)の興福寺文書に信貴山末寺とある。惣持寺。 *牛龍寺:1632年(寛永9年)の興福寺文書に信貴山末寺とある。 *光徳寺:大阪府柏原市雁多尾畑。真宗大谷派。園城寺僧の俊円が信貴山毘沙門天の霊夢で再興。 *「本堂」:大阪府柏原市本堂。四天王を祀る寺院があり、その本堂があったとされ、朝護孫子寺の前身と伝える。 *根来寺信貴山遥拝石:和歌山県岩出市。不動堂の庭園にある。 *毘沙門寺:和歌山県岩出市。覚鑁が信貴山毘沙門天の分霊を祀った。 *大宮神社:和歌山県岩出市。覚鑁が信貴山で感得した宝珠を埋めた地という。 *影現寺:愛知県知多郡美浜町時志南平井。曹洞宗。1936年(昭和11年)、分霊を祭り名古屋信貴山本殿を建立したが、1944年(昭和19年)の東海地震で倒壊。 *多聞寺:鳥取県八頭郡智頭町埴師。本尊の毘沙門天は鞍馬山と信貴山の毘沙門天と「一体分身の尊像」という。高野山真言宗。 ==組織== 現在は住職を法主と称し、[[信貴山真言宗]]管長を兼任。 ===歴代住職(前近代)=== *1命蓮(生没年不詳):信濃[[戸隠神社]]の神職の子。767年(神護景雲1年)に就任。930年(延長8年)、醍醐天皇を加持。明蓮、明練とも。951年(天暦5年)死去とも。 *2歓算():命蓮の弟子。 *快信():中興。千手院中興。 *快典(): *快誉(): *快応(): *快清(): *快円(): *盛延(): ===歴代住職(近現代)=== *129野沢密全(1898-1971)<>:自坊は玉蔵院。1898年(明治31年)9月生。香川県出身。11歳で朝護孫子寺に入寺。14歳で得度。古義真言宗従軍布教師。1971年(昭和46年)11月16日死去。74歳。著書『宗政三十年想い出の記』。野澤密全。 *130鈴木了道(?-1976)<初任1935?>:自坊は成福院。1935年(昭和10年)、朝護孫子寺住職就任? *131田中真弘(?-1982)<>:自坊は千手院。1980年(昭和55年)、真言宗長者。 *132鈴木凰永(?-2018)<>:自坊は成福院。1990年(平成2年)、真言宗長者。2018年(平成30年)8月6日死去。93歳。 *133野沢密厳(1936-1997)<初任1976>:自坊は玉蔵院。早稲田大学、高野山専修学院、高野山大学大学院で学ぶ。1971年(昭和46年)、玉蔵院住職。淡路国分寺住職も兼任。1976年(昭和51年)法主・管長。1988年(昭和63年)、伝燈大阿闍梨。1997年(平成9年)真言宗長者。1997年(平成9年)8月6日死去。62歳。野澤密厳。(種智院大学同窓会報22) *134田中真瑞(1944-)<初任1994>:自坊は千手院。1944年(昭和19年)生。大阪市出身。高野山大学大学院修士課程修了。1976年(昭和51年)、宗務長、執行長。1983年(昭和58年)、千手院住職。1994年(平成6年)、管長・法主。田中眞瑞。 *135鈴木貴晶()<初任2011>:自坊は成福院。2011年(平成23年)4月法主就任。7代管長。 *136野沢密孝(1961-)<初任2018>:自坊は玉蔵院。2018年(平成30年)4月1日法主就任。8代管長。野澤密孝。 ==資料== ===古典籍=== *『今昔物語集』 *『宇治拾遺物語』 *「阿娑縛抄諸寺略記』 *『信貴山寺資財宝物帳写』 *『信貴山縁起絵巻』 *『諸寺縁起集』 *『古本説話集』 *『諸寺略記』 *信貴山雑記 *信貴山文書 *信貴山千手院文書 [[Category:奈良県]]
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