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朝鮮仏教
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
朝鮮仏教
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'''朝鮮仏教'''は、[[北伝仏教]]・[[大乗仏教]]の流れの一つ。 *『三国遺事』:高句麗、百済、新羅の189寺を記載。 *[[朝鮮仏教の人物旧跡]] ==三大寺刹== 鎌田茂雄によると、「韓国の三大寺刹というと、通度寺、海印寺、松広寺の三寺である」(『仏教の来た道』) *[[通度寺]]:仏宝を象徴する寺院。[[仏舎利]]。 *[[海印寺]]:法宝を象徴する寺院。八万大蔵経 *[[松広寺]]:僧宝を象徴する寺院。修行道場 ==三国時代の寺院== *[[肖門寺]]:375年、高句麗の小獣林王が創建。高句麗最古の寺院。跡地不明。 *[[伊弗蘭寺]]:375年、高句麗の小獣林王が創建。高句麗最古の寺院。跡地不明。 *[[平壌金剛寺]]:平壌直轄市大城区域清岩里。498年、高句麗の文咨明王が創建。清岩里廃寺。 *[[定陵寺]]:平壌。[[東明王陵]]の陵寺。寺名は出土銘文による。 *[[上五里廃寺]]:平壌 *[[平壌・永明寺]]:平壌。高句麗時代の創建と伝える。 *[[盤龍寺]]:650年6月、普徳は高句麗が道教を重んじ仏教を軽んじるので、完山の孤大山に移住した(三国史記)。盤龍山延福寺か。 *[[育王塔]]:中国遼寧省遼陽市。遼東城近く。三国遺事。高句麗 *[[白鹿園寺]]:日本書紀。高句麗 *[[霊塔寺]]:三国遺事。高句麗 *[[忠南・大通寺]]:公州市班竹洞。百済初の本格的な寺院。[[元号寺]]。 *[[西穴寺]]:公州市熊津洞。三国遺事、三国史記には記載がないが「西穴寺」の文字瓦が多数出土 *[[水原寺]]:公州市王瀧洞。『三国遺事』に記載。 *[[南穴寺]]:公州市金鶴洞 *[[舟尾寺]]:公州市利仁面舟尾里 *[[扶余・定林寺]]:扶余 *[[王興寺]]:扶余 *[[陵山里廃寺]]:扶余 *[[扶余・金剛寺]]:扶余 *[[佳塔里廃寺]]:扶余 *[[旧校里廃寺]]:扶余 *[[旧衙里廃寺]]:扶余 *[[東南里廃寺]]:扶余 *[[烏含寺]]:扶余 *[[皐蘭寺]]:扶余 *[[臨江寺]]:扶余 *[[西腹寺]]:扶余。扶蘇山廃寺。 *[[軍守里廃寺]]:扶余 *[[錦城山廃寺]]:扶余 *[[龍井里廃寺]]:扶余 *[[道譲寺]]:『三国史記』「百済本紀」に660年5月に落雷で塔が焼失とある。 *[[扶余・天王寺]]:『三国史記』「百済本紀」に660年5月に落雷で塔が焼失とある。 *[[白石寺]]:『三国史記』「百済本紀」に660年5月に落雷で講堂が焼失とある。 *[[益山・弥勒寺]]:益山 *[[益山・帝釈寺]]:益山 *[[師子寺]]:益山 == 歴史 == ===三国時代=== 4世紀後半、高句麗、百済に仏教が伝わる。新羅にはやや遅れて5世紀中頃に伝わる。 ===統一新羅時代=== 慈蔵(608-677)、義湘(625-702)、元暁(617-686)らが活躍。 ===高麗時代=== 義天の活躍。高麗版大蔵経を編纂 ===李氏朝鮮時代=== 儒教が重視され、仏教は弾圧された。 ===近現代=== 日本の植民地時代には日本仏教の影響を受ける。独立後は日本から影響された妻帯の是非が大きな問題となる。曹渓宗が成立。 ==年表== *372年:高句麗に仏教が初めて伝わる。前秦の順道が仏像を経典を伝える。(『三国史記』) *384年:百済に仏教が初めて伝わる。東晋の摩羅難陀が来訪。(『三国史記』) *5世紀中頃:新羅に仏教が初めて伝わる。高句麗の阿道(墨胡子)が来訪。(『三国史記』) *528年:新羅、仏教を公認。(『三国史記』) *円光(532-630)、鎮護国家の法を新羅に導入。花郎徒を育成 *660年:百済滅亡 *668年:高句麗滅亡。新羅が半島を統一。この頃、慈蔵(608-677)、義湘(625-702)、元暁(617-686)らが活躍。 *918年:高麗、建国。太祖、王都開京に護国道場10寺を創建 *935年:新羅が高麗に従属。 *1086年:[[義天]](1055-1101)が宋から帰国。[[天台宗]]を伝えた。 *1087年:高麗版大蔵経完成。5048巻。 *1145年:『三国史記』編纂 *知訥(1158-1210)が禅宗をまとめる。朝鮮禅宗の中興。 *1232年:蒙古の侵攻で、[[符仁寺]]に収められていた高麗版大蔵経焼失。 *1237年:高麗版大蔵経の再刻を決定。 *1251年5月:高麗版大蔵経、完成 *1346年:太古智愚(1301-1382)、元に留学。湖州霞霧山の石屋清〓の法を嗣ぐ。 *1356年:太古智愚、禅宗九山を統率する府事となる *1392年:李氏朝鮮、建国 *太宗、仏教を統合し、12宗派から7宗派に合併。242寺とする *世宗、2宗派に統合。各18寺とする *1592年、[[豊臣秀吉]]の朝鮮出兵。清虚休静が僧兵を率いて参戦。 *1659年:出家を禁止。僧侶を還俗 *1877年:日本の[[真宗大谷派]]が朝鮮に進出。各派が続く *1897年(光武元年)8月:元号を「光武」とする *1897年(光武元年)10月:韓国皇帝即位。 *1902年(光武6年):大韓帝国、寺刹管理署を設置。国内首寺(総本山)として元興寺を創建。各道に道内首寺16寺を設定した。 *1904年(光武8年):大韓帝国、寺刹管理署を廃止。 *1908年(隆煕2年):朝鮮仏教の統一機関として円宗宗務院を設置。日本の[[曹洞宗]]の武田範之が顧問となる。 *1910年(明治43年)8月:韓国併合。朝鮮総督府設置。 *1910年(明治43年):円宗宗務院の李晦光宗正が密かに日本曹洞宗と連合条約を締結。朝鮮仏教界で反発を呼ぶ。 *1911年(明治44年)春:日本曹洞宗との提携を拒否した有志が[[臨済宗]]臨時宗務院を[[松広寺]]に設置。 *1911年(明治44年)6月:朝鮮総督府、[[寺刹令]{を制定。30本山を定める。当時、朝鮮半島に約900寺があったという。 *1911年(明治44年)秋:臨済宗臨時宗務院、[[梵魚寺]]に移転。 *1945年(昭和20年):日本敗戦 *1954年:教団浄化対策委員会設置。 *1962年4月:統一教団の[[曹渓宗]]を設立。 == 概要 == *[[新羅五教本寺]] *[[禅宗九山]] *[[五大寂滅宝宮]] *[[曹渓宗]] *[[華厳十刹]] *[[寺刹令本寺]] ==参考文献== *泊勝美 1980年(昭和55年)『韓国古寺発掘』ロッコウブックス [[Category:大韓民国|*]] [[Category:朝鮮民主主義人民共和国|*]]
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