ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。
歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

本満寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年7月5日 (日)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
 
(間の7版分が非表示)
1行: 1行:
-
'''本満寺'''(ほんまんじ)は、京都府京都市上京区にある[[日蓮宗]]寺院。本尊は十界曼荼羅。[[日蓮宗久遠寺派]]本山。'''本願満足寺'''の略という。山号は広布山、広宣流布山。
+
[[file:Kokudo0247.jpg|thumb|300px|本満寺(国土地理院空中写真より)]]
 +
'''本満寺'''(ほんまんじ)は、京都府京都市上京区鶴山町にある[[日蓮宗]]寺院。本尊は[[十界曼荼羅]]。[[洛中法華二十一寺]]の一つ。[[六条門流]]。[[日蓮宗久遠寺派]]本山。[[後奈良天皇]]の勅願寺。[[近衛家]]ゆかり。'''本願満足寺'''の略という。山号は広布山、広宣流布山。
== 歴史 ==
== 歴史 ==
-
1409年(応永16年)(翌年とも)、関白近衛道嗣の子の日秀が今出川新町の近衛家邸に創建。
+
1409年(応永16年)(翌年とも)、関白近衛道嗣の子の日秀が[[本圀寺]]日伝に帰依して今出川新町の近衛家邸に創建。
1486年(文明18年)10月10日、本堂が再建され、遷座。近衛房嗣、近衛政家が参詣した(大日本史料総合DB)。
1486年(文明18年)10月10日、本堂が再建され、遷座。近衛房嗣、近衛政家が参詣した(大日本史料総合DB)。
1532年(天文1年)9月、近衞尚通と近衛稙家が本満寺で説法を聞く(大日本史料総合DB)。
1532年(天文1年)9月、近衞尚通と近衛稙家が本満寺で説法を聞く(大日本史料総合DB)。
-
同年の天文法華の乱に参戦。1539年(天文8年)関白近衛尚通が現在地に再建。後奈良天皇の勅願寺となった。
+
同年の天文法難に参戦。1539年(天文8年)関白近衛尚通が現在地に再建。後奈良天皇の勅願寺となった。
-
元は本圀寺末の六条門流だったが、日重・日乾・日遠の三師が出て久遠寺を中興させてからは身延山系となる。
+
元は本圀寺末の六条門流だったが、日重・日乾・日遠の三師が出て[[久遠寺]]を中興させてからは身延山系となる。
-
1751年(宝暦1年)日鳳が将軍徳川吉宗の病気平癒祈願を行い、以後、徳川家の祈願寺となる。
+
1751年(宝暦1年)日鳳が将軍徳川吉宗の病気平癒祈願を行い、以後、[[徳川家]]の祈願寺となる。
1661年(寛文1年)、1708年(宝永5年)、1788年(天明8年)と類焼。1692年(元禄5年)9月25日再建の記録がある。かつては子院30寺があったという。
1661年(寛文1年)、1708年(宝永5年)、1788年(天明8年)と類焼。1692年(元禄5年)9月25日再建の記録がある。かつては子院30寺があったという。
20行: 21行:
== 子院 ==
== 子院 ==
-
*法泉院
+
*慎蔵院:
 +
*宝泉院:
 +
*十妙院:
 +
*良叔院:
 +
*真応院:
 +
*正行院:
 +
*善勝院:
 +
*考音院:
 +
*玉庵:
 +
*玉持院:
 +
*学仙院:
 +
*善養院:
 +
*法性院:
 +
*妙音院:
 +
*円明院:
 +
*守立院:
 +
*妙行院:
 +
*一乗院:現存か。
 +
*本立院:
 +
*法泉院:現存か。
 +
(以上『政教中正論』[https://books.google.co.jp/books?id=6zab73f81bUC&pg=PP178])
 +
 
 +
 
*実泉院
*実泉院
-
*一乗院
 
*守玄院
*守玄院
 +
(日本歴史地名大系)
== 組織 ==
== 組織 ==
===歴代住職===
===歴代住職===
-
*1日蓮()<>:加歴
+
{|class="wikitable"
-
*2日朗()<>:加歴
+
|+
-
*3日印()<>:加歴
+
!style="width:5%;"|世数
-
*4日静()<>:加歴
+
!style="width:10%;"|法諱
-
*5日伝()<>:加歴
+
!style="width:10%;"|号
-
*6日秀(1383-1450)<1409->:玉洞妙院。近衛道嗣の子。1395年(応永2年)本国寺日伝に師事。1409年(応永16年)近衛家の支援で本満寺を創建。説法に秀でたと伝わる。1450年(宝徳2年)5月8日死去。観随。
+
!style="width:10%;"|字
-
*12日重(1549-1623)<-1588>:身延20世。
+
!style="width:10%;"|生没年
-
*13日乾(1560-1635)<1588-1602>:身延21世。日重の弟子。1588年(天正16年)または1591年(天正19年)本満寺就任。1602年(慶長7年)、日重の代わりに久遠寺に住す。1625年(寛永2年)身延を日遠に譲る。妙覚寺、本圀寺に住す?。能勢に隠棲。1635年(寛永12年)本満寺で死去。
+
!style="width:10%;"|在職年
-
*14日遠(1572-1642)<>:身延22世。日重の弟子。
+
!style="width:40%;"|略歴
-
*15日深(1574-1627)<?-1623>:身延25世。
+
|-
-
*16日暹(1586-1648)<1623-1627>:身延26世。日遠の弟子。初名は日際。智見院。弁説に優れた。1623年(元和9年)本満寺16世。1627年(寛永4年)鷹峰檀林講主。1628年(寛永5年)久遠寺法主。
+
|1
-
*日明()<>:蓮永寺8世。京都出身。日遠に侍す。初名は日勇。飯高壇林で学ぶ。飯高壇林化主。本満寺、蓮永寺、本遠寺に住す。日本仏家人名辞書に正和2年死去とあるが、1682年(天和2年)の誤りか。円照院。
+
|[[日蓮]]
-
*日存(-1671)<>:観妙院。紀伊養珠寺4世。智道院日明の弟子。飯高檀林で学び、六条檀林化主となる。1666年(寛文6年)養珠寺に招かれている。1671年(寛文11年)死去。
+
|
-
*21日任()<>:1630年(寛永7年)[[鷹峰・円成寺]]を創建。
+
|
-
*24日昌(1637-1693)<>:示性院。京都出身。山科檀林、小西檀林で学ぶ。本満寺を経て小西檀林化主。焼失した本満寺の再建に尽くす。1693年(元禄6年)死去。
+
|
-
*25日念()<-1695->:
+
|
-
*29日雄()<>:
+
|
-
*35日鳳()<-1751->:
+
|-
-
*37日観()<>:
+
|2
-
*41日相()<>:
+
|[[日朗]]
-
*42日進()<>:
+
|
-
*43日叡()<>:龍雄院。福山実相寺。
+
|
-
*47日唯(1767-1840)<1827->:1827年(文政10年)本満寺。1834年(天保5年)小城光勝寺貫首。
+
|1245-1320
-
*日桓(1770-1840)<>:相模出身。姓は川原。自坊は日暮里本行寺。[[妙法華寺]]、本満寺、[[妙顕寺]]42世を歴任。俳人として活躍し、一瓢の名で知られる。
+
|
-
*49日順()<>:境達院。
+
|1320年(元応2年)1月21日死去。76歳(78歳とも)。
-
*久保田日亀(1841-1911)<>:池上68世。
+
|-
-
*57工藤日諒()<>:唯乗院。自坊は青森妙光寺。
+
|3
-
*58小野日憙(1864-1945)<1922->:摂津高槻出身。1864年(元治1年)生。大教院で学び、大阪善正寺に住す。1922年(大正11年)本満寺貫首に就任。1932年(昭和7年)4月、宗務総監。本具院。
+
|日印
-
*梅本日政(1899-)<>:梅本鳳泰。本圀寺65世か。1899年(明治32年)生。松岡日啓の徒弟。京都光山学院を卒業後、満洲布教。1922年(大正11年)大法寺住職。戦後帰国して蓮久寺を経て本満寺貫首。のち本圀寺貫首か。日蓮宗本山会会長。
+
|
-
*三好龍紳(1913-)<>:泰道院日受。大阪市出身。1913年(大正2年)生。京都帝国大学文学部哲学科でインド哲学史を専攻。1938年(昭和13年)高槻本立院住職。1942年(昭和17年)本澄寺住職。
+
|
-
*伊丹日章(1928-)<>:伊丹栄彰。[[日蓮宗霊断師会]]会長代行。
+
|1264-1328
-
 
+
|
 +
|1328年(嘉暦3年)12月20日死去。65歳。
 +
|-
 +
|4
 +
|[[日静]]
 +
|妙龍院
 +
|
 +
|1298-1369
 +
|
 +
|[[本圀寺]]開山。1369年(正平24年/応安2年)6月27日死去。72歳。
 +
|-
 +
|5
 +
|日伝
 +
|建立院
 +
|
 +
|1342-1409
 +
|
 +
|1409年(応永16年)4月1日死去。68歳。
 +
|-
 +
|6
 +
|日秀
 +
|玉洞院
 +
|観随
 +
|1383-1450
 +
|1409-
 +
|本満寺開山。[[近衛家]]出身。近衛道嗣の子。1395年(応永2年)[[本圀寺]]日伝に師事。1409年(応永16年)近衛家の支援で本満寺を創建。説法に秀でたと伝わる。遠江満勝寺開山。1450年(宝徳2年)5月8日死去。68歳。玉洞妙院とも。
 +
|-
 +
|7
 +
|日善
 +
|玉蔵院
 +
|
 +
|?-1450
 +
|
 +
|玉洞院日秀の弟子。1450年(宝徳2年)7月28日死去。
 +
|-
 +
|8
 +
|日灯
 +
|経王院
 +
|
 +
|?-1466
 +
|
 +
|1466年(文正1年)3月19日死去。
 +
|-
 +
|9
 +
|日通
 +
|三明院
 +
|
 +
|?-1493
 +
|
 +
|1493年(明応2年)8月4日死去。
 +
|-
 +
|10
 +
|日威
 +
|献珠院
 +
|
 +
|?-1502
 +
|
 +
|1502年(文亀2年)4月28日死去。
 +
|-
 +
|11
 +
|日奝
 +
|法雲院
 +
|
 +
|?-1520
 +
|
 +
|1520年(永正17年)11月4日死去。
 +
|-
 +
|12
 +
|日重
 +
|一如院
 +
|頼順
 +
|1549-1623
 +
|?-1588
 +
|[[身延]]20世。[[六条檀林]]鼻祖。高槻本行寺開山。1623年(元和9年)8月6日死去。75歳。
 +
|-
 +
|13
 +
|日乾
 +
|寂照院
 +
|孝順
 +
|1560-1635
 +
|1588-1602
 +
|身延21世。[[鷹峰檀林]]鼻祖。六条檀林化主。[[蓮永寺]]7世。[[妙覚寺]]21世。[[能勢真如寺]]開山。日重の弟子。1588年(天正16年)または1591年(天正19年)本満寺就任。1602年(慶長7年)、日重の代わりに久遠寺に住す。1625年(寛永2年)身延を日遠に譲る。本圀寺に住す?。能勢に隠棲。1635年(寛永12年)10月27日、本満寺で死去。76歳。
 +
|-
 +
|14
 +
|日遠
 +
|心性院
 +
|堯順
 +
|1572-1642
 +
|
 +
|身延22世。[[池上]]16世。[[大野本遠寺]]開山。[[妙伝寺]]8世。蓮永寺8世。[[飯高檀林]]3世。[[西谷檀林]]開祖。1642年(寛永19年)3月5日死去。71歳。
 +
|-
 +
|15
 +
|日深
 +
|妙寂院
 +
|
 +
|1574-1627
 +
|?-1623
 +
|身延25世。1627年(寛永4年)12月28日死去。54歳。
 +
|-
 +
|16
 +
|日暹
 +
|智見院
 +
|隆恕
 +
|1586-1648
 +
|1623-1627
 +
|身延26世。鷹峰2世。[[小西檀林]]7世。[[常境寺]]開山。日遠の弟子。初名は日際。弁説に優れた。1623年(元和9年)本満寺16世。1627年(寛永4年)鷹峰檀林講主。1628年(寛永5年)久遠寺法主。 1648年(慶安1年)5月29日死去。63歳。
 +
|-
 +
|17
 +
|日然
 +
|見隆院
 +
|
 +
|?-1631
 +
|
 +
|1631年(寛永8年)5月2日死去。
 +
|-
 +
|18
 +
|日将
 +
|照空院
 +
|
 +
|?-1644
 +
|
 +
|1644年(正保1年)4月9日死去。
 +
|-
 +
|19
 +
|日明
 +
|円照院
 +
|智道
 +
|1598-1645
 +
|
 +
|[[飯高檀林]]11世。本遠寺2世。蓮永寺9世。六条檀林化主。京都出身。日遠に侍す。初名は日勇。飯高壇林で学ぶ。飯高壇林化主。本満寺、蓮永寺、本遠寺に住す。1645年(正保2年)5月27日死去。48歳。
 +
|-
 +
|20
 +
|日宥
 +
|覚心院
 +
|
 +
|?-1649
 +
|
 +
|[[松ケ崎檀林]]9世。1649年(慶安2年)12月4日死去。
 +
|-
 +
|21
 +
|日任
 +
|円成院
 +
|
 +
|?-1671
 +
|
 +
|[[敦賀妙顕寺]]13世中興。岩倉澄光寺開山。1630年(寛永7年)[[鷹峰・円成寺]]を創建。洛北で死去。1671年(寛文11年)11月23日死去。
 +
|-
 +
|22
 +
|日存
 +
|観妙院
 +
|
 +
|1600-1671
 +
|
 +
|本満寺22世。六条檀林10世。和歌山[[養珠寺]]4世。和歌山蓮経寺開山。智道院日明の弟子。飯高檀林で学び、六条檀林化主となる。1666年(寛文6年)養珠寺に招かれている。1671年(寛文11年)11月7日死去。72歳。
 +
|-
 +
|23
 +
|日栄
 +
|了珠院
 +
|春了
 +
|?-1693
 +
|
 +
|[[冠山檀林]]5世。[[善正寺]]7世。東山8世。1693年(元禄6年)9月7日死去。
 +
|-
 +
|24
 +
|日昌
 +
|示性院
 +
|喜俊
 +
|1619-1693
 +
|
 +
|六条檀林化主。[[小西檀林]]21世。[[法恩寺]]19世。京都出身。姓は久田。[[山科檀林]]、小西檀林で学ぶ。本満寺を経て小西檀林化主。焼失した本満寺の再建に尽くす。1693年(元禄6年)5月6日死去。75歳。
 +
|-
 +
|25
 +
|日念
 +
|広演院
 +
|良源
 +
|1639-1698
 +
|
 +
|善正寺14世。[[村田妙法寺]]27世。1698年(元禄11年)11月19日死去。60歳。
 +
|-
 +
|26
 +
|日這
 +
|広照院
 +
|良海
 +
|?-1703
 +
|
 +
|東山25世。善正寺16世。1703年(元禄16年)5月15日死去。
 +
|-
 +
|27
 +
|日迢
 +
|通是院
 +
|良存
 +
|?-1718
 +
|
 +
|東山26世。善正寺17世。1718年(享保3年)9月24日死去。
 +
|-
 +
|28
 +
|日遍
 +
|大道院
 +
|速也
 +
|?-1715
 +
|
 +
|冠山21世。善正寺19世。1715年(正徳5年)5月23日死去。
 +
|-
 +
|29
 +
|日雄
 +
|慈詮院
 +
|幸学
 +
|?-1742
 +
|
 +
|鷹峰39世。[[宝塔寺]]19世。1742年(寛保2年)6月4日死去。
 +
|-
 +
|30
 +
|日元
 +
|利妙院
 +
|孝礼
 +
|?-1743
 +
|
 +
|善正寺35世。小西45世。大阪法清寺2世。1743年(寛保3年)4月15日死去。
 +
|-
 +
|31
 +
|日瑛
 +
|霊妙院
 +
|学俊
 +
|1672-1746
 +
|
 +
|妙顕寺29世。[[中村檀林]]60世。[[三昧堂]]18世。1746年(延享3年)2月1日死去。
 +
|-
 +
|32
 +
|日陳
 +
|義休院
 +
|義休
 +
|1688-1738
 +
|
 +
|松ケ崎58世。中村文73世。1738年(元文3年)5月24日死去。51歳。
 +
|-
 +
|33
 +
|日視
 +
|性妙院
 +
|
 +
|?-1744
 +
|
 +
|小西42世。1744年(延享1年)10月28日死去。
 +
|-
 +
|34
 +
|日禅
 +
|妙定院
 +
|智信
 +
|?-1747
 +
|
 +
|中村80世。1747年(延享4年)11月21日死去。
 +
|-
 +
|35
 +
|日鳳
 +
|慈雲院
 +
|海音
 +
|?-1753
 +
|
 +
|鷹峰文83世。鷹峰玄102世。堺経王寺25世。1753年(宝暦3年)6月20日死去。
 +
|-
 +
|36
 +
|日妙
 +
|大法院
 +
|
 +
|?-1763
 +
|
 +
|1763年(宝暦13年)10月7日死去。
 +
|-
 +
|37
 +
|日観
 +
|舜浄院
 +
|学妙
 +
|?-1772
 +
|
 +
|[[妙顕寺]]34世。本満寺37世。冠山74世。中村玄98世。1772年(安永1年)7月4日死去。
 +
|-
 +
|38
 +
|日俊
 +
|妙善院
 +
|学俊
 +
|?-1767
 +
|
 +
|1767年(明和4年)9月1日死去。
 +
|-
 +
|39
 +
|日惣
 +
|至信院
 +
|琢丈
 +
|?-1789
 +
|
 +
|日総とも。のち日祝。中村136世。1789年(寛政1年)2月22日死去。
 +
|-
 +
|40
 +
|日注
 +
|大慈院
 +
|可了
 +
|?-1792
 +
|
 +
|鷹峰183世。中村162世。日詫とも。1792年(寛政4年)12月17日死去。
 +
|-
 +
|41
 +
|日相
 +
|真如院
 +
|貞朝
 +
|?-1808
 +
|
 +
|[[法華経寺]]87世。本満寺41世。中村231世。冠山151世。六条檀林玄能162世。[[京都本法寺]]39世。善正寺175世。[[堺成就寺]]28世。敦賀妙顕寺32世。大阪宗林庵。1799年(寛政11年)9月27日法華経寺入山。1802年(享和2年)8月27日法華経寺退任。1808年(文化5年)6月17日死去。真如海院とも。
 +
|-
 +
|42
 +
|日進
 +
|体性院
 +
|
 +
|?-1816
 +
|
 +
|1816年(文化13年)4月24日死去。
 +
|-
 +
|43
 +
|日叡
 +
|龍雄院
 +
|
 +
|?-1822
 +
|
 +
|福山実相寺。1822年(文政5年)5月21日死去。
 +
|-
 +
|44
 +
|日〓
 +
|従浅院
 +
|
 +
|?-1824
 +
|
 +
|松ケ崎183世。1824年(文政7年)8月29日死去。
 +
|-
 +
|45
 +
|日亀
 +
|孝寿院
 +
|孝寿
 +
|?-1825
 +
|
 +
|冠山182世。1825年(文政8年)8月5日死去。
 +
|-
 +
|46
 +
|日道
 +
|一源院
 +
|温光
 +
|?-1826
 +
|
 +
|鷹峰文227世。鷹峰玄229世。高松妙朝寺12世。1826年(文政9年)8月6日死去。
 +
|-
 +
|47
 +
|日唯
 +
|十方院
 +
|画山
 +
|1793-1840
 +
|1827-
 +
|善正寺358世。東山玄271世。[[光勝寺]]48世。1827年(文政10年)本満寺貫首。1834年(天保5年)光勝寺貫首。 1840年(天保11年)10月5日死去。48歳。
 +
|-
 +
|48
 +
|日桓
 +
|境修院
 +
|桓雅
 +
|1770-1840
 +
|
 +
|妙顕寺44世。中村222世。玉沢[[妙法華寺]]41世。日暮里本行寺20世。相模出身。姓は川原。俳人として活躍し、一瓢の名で知られる。 境修成院とも。1840年(天保11年)7月7日死去。
 +
|-
 +
|49
 +
|日順
 +
|境達院
 +
|
 +
|?-1854
 +
|
 +
|1854年(安政1年)6月24日死去。
 +
|-
 +
|50
 +
|日従
 +
|統持院
 +
|恵順
 +
|?-1865
 +
|
 +
|東山302世。冠山241世。善正寺377世。梶原一乗寺26世。1865年(慶応1年)7月18日死去。16日死去とも。
 +
|-
 +
|51
 +
|日幽
 +
|玄章院
 +
|
 +
|?-1865
 +
|
 +
|1865年(慶応1年)4月11日死去。
 +
|-
 +
|52
 +
|日輝
 +
|瑞鳳院
 +
|麗山
 +
|1812-1872
 +
|
 +
|[[本圀寺]]44世。本満寺52世。善正寺680世。中村306世。鷹峰464世。中村308世。月蔵寺29世。新宿本松寺28世。宗柏寺18世。1811年(文化8年)生まれとも。1872年(明治5年)4月24日死去。61歳。 (日暉とも) (東山403世?)
 +
|-
 +
|53
 +
|日拝
 +
|方正院
 +
|東峰
 +
|?-1859
 +
|
 +
|善正寺580世。能勢真如寺25世。清普寺26世。1859年(安政6年)8月1日死去。
 +
|-
 +
|54
 +
|日慈
 +
|智俊院
 +
|
 +
|?-1880
 +
|
 +
|1880年(明治13年)11月23日死去。
 +
|-
 +
|55
 +
|久保田日亀
 +
|妙地院
 +
|久保田戒静
 +
|1841-1911
 +
|
 +
|15代管長。池上68世。中山114世。[[真間]]66世。1911年(明治44年)4月13日死去。71歳。
 +
|-
 +
|56
 +
|日教
 +
|一玄院
 +
|
 +
|1813-1892
 +
|
 +
|[[北野法華寺]]28世。[[妙伝寺]]62世。大阪善徳寺にて死去。1892年(明治25年)1月24日死去。80歳。
 +
|-
 +
|57
 +
|工藤日諒
 +
|唯秉院
 +
|
 +
|1840-1922
 +
|
 +
|自坊は青森妙光寺。 1922年(大正11年)8月15日死去。83歳。
 +
|-
 +
|58
 +
|小野日憙
 +
|本具院
 +
|
 +
|1863-1945
 +
|1922-
 +
|宗務総監。摂津出身。1864年(元治1年)生。[[大教院]]で学び、大阪善正寺に住す。高槻本澄寺37世。1922年(大正11年)本満寺貫首に就任。1932年(昭和7年)4月、宗務総監。1945年(昭和20年)7月31日死去。83歳。
 +
|-
 +
|59
 +
|梅本日政
 +
|龍玄院
 +
|梅本鳳泰
 +
|1899-
 +
|
 +
|本圀寺65世か。1899年(明治32年)生。松岡日啓の徒弟。京都光山学院を卒業後、満洲布教。1922年(大正11年)大法寺住職。戦後帰国して蓮久寺を経て本満寺貫首。のち本圀寺貫首か。日蓮宗本山会会長。  
 +
|-
 +
|60
 +
|梅本日嶌
 +
|寿正院
 +
|梅本正雄
 +
|1910-1986
 +
|1979-
 +
|埼玉県川口市出身。1910年(明治43年)生。埼玉本行寺36世。ハルピン法華経寺2世。妙宝寺2世。1908年(明治41年)大連寺創建。1953年(昭和28年)[[遠壽院]]大荒行堂五行成満。1979年(昭和54年)11月2日、本満寺貫首。1986年(昭和61年)2月7日死去。77歳。
 +
|-
 +
|61
 +
|三好日受
 +
|泰道院
 +
|三好龍紳
 +
|1913-
 +
|
 +
|大阪市出身。1913年(大正2年)生。京都帝国大学文学部哲学科でインド哲学史を専攻。1938年(昭和13年)高槻本立院住職。1942年(昭和17年)本澄寺住職。
 +
|-
 +
|62
 +
|伊丹日章
 +
|瑞光院
 +
|伊丹栄彰
 +
|1928-
 +
|1998-
 +
|福井県武生の一乗寺の出身。1928年(昭和3年)生。1951年(昭和26年)立正大学卒。雲雷寺住職を経て1998年(平成10年)本満寺貫首。[[日蓮宗霊断師会]]会長代行。 祖山常置会議長。雲雷寺24世。
 +
|}
[[Category:京都府]]
[[Category:京都府]]

2020年7月5日 (日) 時点における最新版

本満寺(国土地理院空中写真より)

本満寺(ほんまんじ)は、京都府京都市上京区鶴山町にある日蓮宗寺院。本尊は十界曼荼羅洛中法華二十一寺の一つ。六条門流日蓮宗久遠寺派本山。後奈良天皇の勅願寺。近衛家ゆかり。本願満足寺の略という。山号は広布山、広宣流布山。

目次

歴史

1409年(応永16年)(翌年とも)、関白近衛道嗣の子の日秀が本圀寺日伝に帰依して今出川新町の近衛家邸に創建。 1486年(文明18年)10月10日、本堂が再建され、遷座。近衛房嗣、近衛政家が参詣した(大日本史料総合DB)。 1532年(天文1年)9月、近衞尚通と近衛稙家が本満寺で説法を聞く(大日本史料総合DB)。 同年の天文法難に参戦。1539年(天文8年)関白近衛尚通が現在地に再建。後奈良天皇の勅願寺となった。

元は本圀寺末の六条門流だったが、日重・日乾・日遠の三師が出て久遠寺を中興させてからは身延山系となる。 1751年(宝暦1年)日鳳が将軍徳川吉宗の病気平癒祈願を行い、以後、徳川家の祈願寺となる。 1661年(寛文1年)、1708年(宝永5年)、1788年(天明8年)と類焼。1692年(元禄5年)9月25日再建の記録がある。かつては子院30寺があったという。


伽藍

  • 本堂
  • 七面社
  • 妙見宮
  • 蓮乗院廟:鶴姫(結城秀康・烏丸光広の正室)の墓廟。石造の廟室をそなえる。
  • 山中幸盛墓

子院

  • 慎蔵院:
  • 宝泉院:
  • 十妙院:
  • 良叔院:
  • 真応院:
  • 正行院:
  • 善勝院:
  • 考音院:
  • 玉庵:
  • 玉持院:
  • 学仙院:
  • 善養院:
  • 法性院:
  • 妙音院:
  • 円明院:
  • 守立院:
  • 妙行院:
  • 一乗院:現存か。
  • 本立院:
  • 法泉院:現存か。

(以上『政教中正論』[1]


  • 実泉院
  • 守玄院

(日本歴史地名大系)

組織

歴代住職

世数 法諱 生没年 在職年 略歴
1 日蓮
2 日朗 1245-1320 1320年(元応2年)1月21日死去。76歳(78歳とも)。
3 日印 1264-1328 1328年(嘉暦3年)12月20日死去。65歳。
4 日静 妙龍院 1298-1369 本圀寺開山。1369年(正平24年/応安2年)6月27日死去。72歳。
5 日伝 建立院 1342-1409 1409年(応永16年)4月1日死去。68歳。
6 日秀 玉洞院 観随 1383-1450 1409- 本満寺開山。近衛家出身。近衛道嗣の子。1395年(応永2年)本圀寺日伝に師事。1409年(応永16年)近衛家の支援で本満寺を創建。説法に秀でたと伝わる。遠江満勝寺開山。1450年(宝徳2年)5月8日死去。68歳。玉洞妙院とも。
7 日善 玉蔵院 ?-1450 玉洞院日秀の弟子。1450年(宝徳2年)7月28日死去。
8 日灯 経王院 ?-1466 1466年(文正1年)3月19日死去。
9 日通 三明院 ?-1493 1493年(明応2年)8月4日死去。
10 日威 献珠院 ?-1502 1502年(文亀2年)4月28日死去。
11 日奝 法雲院 ?-1520 1520年(永正17年)11月4日死去。
12 日重 一如院 頼順 1549-1623 ?-1588 身延20世。六条檀林鼻祖。高槻本行寺開山。1623年(元和9年)8月6日死去。75歳。
13 日乾 寂照院 孝順 1560-1635 1588-1602 身延21世。鷹峰檀林鼻祖。六条檀林化主。蓮永寺7世。妙覚寺21世。能勢真如寺開山。日重の弟子。1588年(天正16年)または1591年(天正19年)本満寺就任。1602年(慶長7年)、日重の代わりに久遠寺に住す。1625年(寛永2年)身延を日遠に譲る。本圀寺に住す?。能勢に隠棲。1635年(寛永12年)10月27日、本満寺で死去。76歳。
14 日遠 心性院 堯順 1572-1642 身延22世。池上16世。大野本遠寺開山。妙伝寺8世。蓮永寺8世。飯高檀林3世。西谷檀林開祖。1642年(寛永19年)3月5日死去。71歳。
15 日深 妙寂院 1574-1627 ?-1623 身延25世。1627年(寛永4年)12月28日死去。54歳。
16 日暹 智見院 隆恕 1586-1648 1623-1627 身延26世。鷹峰2世。小西檀林7世。常境寺開山。日遠の弟子。初名は日際。弁説に優れた。1623年(元和9年)本満寺16世。1627年(寛永4年)鷹峰檀林講主。1628年(寛永5年)久遠寺法主。 1648年(慶安1年)5月29日死去。63歳。
17 日然 見隆院 ?-1631 1631年(寛永8年)5月2日死去。
18 日将 照空院 ?-1644 1644年(正保1年)4月9日死去。
19 日明 円照院 智道 1598-1645 飯高檀林11世。本遠寺2世。蓮永寺9世。六条檀林化主。京都出身。日遠に侍す。初名は日勇。飯高壇林で学ぶ。飯高壇林化主。本満寺、蓮永寺、本遠寺に住す。1645年(正保2年)5月27日死去。48歳。
20 日宥 覚心院 ?-1649 松ケ崎檀林9世。1649年(慶安2年)12月4日死去。
21 日任 円成院 ?-1671 敦賀妙顕寺13世中興。岩倉澄光寺開山。1630年(寛永7年)鷹峰・円成寺を創建。洛北で死去。1671年(寛文11年)11月23日死去。
22 日存 観妙院 1600-1671 本満寺22世。六条檀林10世。和歌山養珠寺4世。和歌山蓮経寺開山。智道院日明の弟子。飯高檀林で学び、六条檀林化主となる。1666年(寛文6年)養珠寺に招かれている。1671年(寛文11年)11月7日死去。72歳。
23 日栄 了珠院 春了 ?-1693 冠山檀林5世。善正寺7世。東山8世。1693年(元禄6年)9月7日死去。
24 日昌 示性院 喜俊 1619-1693 六条檀林化主。小西檀林21世。法恩寺19世。京都出身。姓は久田。山科檀林、小西檀林で学ぶ。本満寺を経て小西檀林化主。焼失した本満寺の再建に尽くす。1693年(元禄6年)5月6日死去。75歳。
25 日念 広演院 良源 1639-1698 善正寺14世。村田妙法寺27世。1698年(元禄11年)11月19日死去。60歳。
26 日這 広照院 良海 ?-1703 東山25世。善正寺16世。1703年(元禄16年)5月15日死去。
27 日迢 通是院 良存 ?-1718 東山26世。善正寺17世。1718年(享保3年)9月24日死去。
28 日遍 大道院 速也 ?-1715 冠山21世。善正寺19世。1715年(正徳5年)5月23日死去。
29 日雄 慈詮院 幸学 ?-1742 鷹峰39世。宝塔寺19世。1742年(寛保2年)6月4日死去。
30 日元 利妙院 孝礼 ?-1743 善正寺35世。小西45世。大阪法清寺2世。1743年(寛保3年)4月15日死去。
31 日瑛 霊妙院 学俊 1672-1746 妙顕寺29世。中村檀林60世。三昧堂18世。1746年(延享3年)2月1日死去。
32 日陳 義休院 義休 1688-1738 松ケ崎58世。中村文73世。1738年(元文3年)5月24日死去。51歳。
33 日視 性妙院 ?-1744 小西42世。1744年(延享1年)10月28日死去。
34 日禅 妙定院 智信 ?-1747 中村80世。1747年(延享4年)11月21日死去。
35 日鳳 慈雲院 海音 ?-1753 鷹峰文83世。鷹峰玄102世。堺経王寺25世。1753年(宝暦3年)6月20日死去。
36 日妙 大法院 ?-1763 1763年(宝暦13年)10月7日死去。
37 日観 舜浄院 学妙 ?-1772 妙顕寺34世。本満寺37世。冠山74世。中村玄98世。1772年(安永1年)7月4日死去。
38 日俊 妙善院 学俊 ?-1767 1767年(明和4年)9月1日死去。
39 日惣 至信院 琢丈 ?-1789 日総とも。のち日祝。中村136世。1789年(寛政1年)2月22日死去。
40 日注 大慈院 可了 ?-1792 鷹峰183世。中村162世。日詫とも。1792年(寛政4年)12月17日死去。
41 日相 真如院 貞朝 ?-1808 法華経寺87世。本満寺41世。中村231世。冠山151世。六条檀林玄能162世。京都本法寺39世。善正寺175世。堺成就寺28世。敦賀妙顕寺32世。大阪宗林庵。1799年(寛政11年)9月27日法華経寺入山。1802年(享和2年)8月27日法華経寺退任。1808年(文化5年)6月17日死去。真如海院とも。
42 日進 体性院 ?-1816 1816年(文化13年)4月24日死去。
43 日叡 龍雄院 ?-1822 福山実相寺。1822年(文政5年)5月21日死去。
44 日〓 従浅院 ?-1824 松ケ崎183世。1824年(文政7年)8月29日死去。
45 日亀 孝寿院 孝寿 ?-1825 冠山182世。1825年(文政8年)8月5日死去。
46 日道 一源院 温光 ?-1826 鷹峰文227世。鷹峰玄229世。高松妙朝寺12世。1826年(文政9年)8月6日死去。
47 日唯 十方院 画山 1793-1840 1827- 善正寺358世。東山玄271世。光勝寺48世。1827年(文政10年)本満寺貫首。1834年(天保5年)光勝寺貫首。 1840年(天保11年)10月5日死去。48歳。
48 日桓 境修院 桓雅 1770-1840 妙顕寺44世。中村222世。玉沢妙法華寺41世。日暮里本行寺20世。相模出身。姓は川原。俳人として活躍し、一瓢の名で知られる。 境修成院とも。1840年(天保11年)7月7日死去。
49 日順 境達院 ?-1854 1854年(安政1年)6月24日死去。
50 日従 統持院 恵順 ?-1865 東山302世。冠山241世。善正寺377世。梶原一乗寺26世。1865年(慶応1年)7月18日死去。16日死去とも。
51 日幽 玄章院 ?-1865 1865年(慶応1年)4月11日死去。
52 日輝 瑞鳳院 麗山 1812-1872 本圀寺44世。本満寺52世。善正寺680世。中村306世。鷹峰464世。中村308世。月蔵寺29世。新宿本松寺28世。宗柏寺18世。1811年(文化8年)生まれとも。1872年(明治5年)4月24日死去。61歳。 (日暉とも) (東山403世?)
53 日拝 方正院 東峰 ?-1859 善正寺580世。能勢真如寺25世。清普寺26世。1859年(安政6年)8月1日死去。
54 日慈 智俊院 ?-1880 1880年(明治13年)11月23日死去。
55 久保田日亀 妙地院 久保田戒静 1841-1911 15代管長。池上68世。中山114世。真間66世。1911年(明治44年)4月13日死去。71歳。
56 日教 一玄院 1813-1892 北野法華寺28世。妙伝寺62世。大阪善徳寺にて死去。1892年(明治25年)1月24日死去。80歳。
57 工藤日諒 唯秉院 1840-1922 自坊は青森妙光寺。 1922年(大正11年)8月15日死去。83歳。
58 小野日憙 本具院 1863-1945 1922- 宗務総監。摂津出身。1864年(元治1年)生。大教院で学び、大阪善正寺に住す。高槻本澄寺37世。1922年(大正11年)本満寺貫首に就任。1932年(昭和7年)4月、宗務総監。1945年(昭和20年)7月31日死去。83歳。
59 梅本日政 龍玄院 梅本鳳泰 1899- 本圀寺65世か。1899年(明治32年)生。松岡日啓の徒弟。京都光山学院を卒業後、満洲布教。1922年(大正11年)大法寺住職。戦後帰国して蓮久寺を経て本満寺貫首。のち本圀寺貫首か。日蓮宗本山会会長。
60 梅本日嶌 寿正院 梅本正雄 1910-1986 1979- 埼玉県川口市出身。1910年(明治43年)生。埼玉本行寺36世。ハルピン法華経寺2世。妙宝寺2世。1908年(明治41年)大連寺創建。1953年(昭和28年)遠壽院大荒行堂五行成満。1979年(昭和54年)11月2日、本満寺貫首。1986年(昭和61年)2月7日死去。77歳。
61 三好日受 泰道院 三好龍紳 1913- 大阪市出身。1913年(大正2年)生。京都帝国大学文学部哲学科でインド哲学史を専攻。1938年(昭和13年)高槻本立院住職。1942年(昭和17年)本澄寺住職。
62 伊丹日章 瑞光院 伊丹栄彰 1928- 1998- 福井県武生の一乗寺の出身。1928年(昭和3年)生。1951年(昭和26年)立正大学卒。雲雷寺住職を経て1998年(平成10年)本満寺貫首。日蓮宗霊断師会会長代行。 祖山常置会議長。雲雷寺24世。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%9C%AC%E6%BA%80%E5%AF%BA」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール