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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

本満寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

2019年12月31日 (火) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
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本満寺(ほんまんじ)は、京都府京都市上京区にある日蓮宗寺院。本尊は十界曼荼羅洛中法華二十一寺の一つ。六条門流日蓮宗久遠寺派本山。本願満足寺の略という。山号は広布山、広宣流布山。

目次

歴史

1409年(応永16年)(翌年とも)、関白近衛道嗣の子の日秀が今出川新町の近衛家邸に創建。 1486年(文明18年)10月10日、本堂が再建され、遷座。近衛房嗣、近衛政家が参詣した(大日本史料総合DB)。 1532年(天文1年)9月、近衞尚通と近衛稙家が本満寺で説法を聞く(大日本史料総合DB)。 同年の天文法華の乱に参戦。1539年(天文8年)関白近衛尚通が現在地に再建。後奈良天皇の勅願寺となった。

元は本圀寺末の六条門流だったが、日重・日乾・日遠の三師が出て久遠寺を中興させてからは身延山系となる。 1751年(宝暦1年)日鳳が将軍徳川吉宗の病気平癒祈願を行い、以後、徳川家の祈願寺となる。 1661年(寛文1年)、1708年(宝永5年)、1788年(天明8年)と類焼。1692年(元禄5年)9月25日再建の記録がある。かつては子院30寺があったという。


伽藍

  • 本堂
  • 七面社
  • 妙見宮
  • 蓮乗院廟:鶴姫(結城秀康・烏丸光広の正室)の墓廟。石造の廟室をそなえる。
  • 山中幸盛墓

子院

  • 法泉院
  • 実泉院
  • 一乗院
  • 守玄院

組織

歴代住職

  • 1日蓮()<>:加歴
  • 2日朗()<>:加歴
  • 3日印()<>:加歴
  • 4日静()<>:加歴
  • 5日伝()<>:加歴
  • 6日秀(1383-1450)<1409->:玉洞妙院。近衛道嗣の子。1395年(応永2年)本国寺日伝に師事。1409年(応永16年)近衛家の支援で本満寺を創建。説法に秀でたと伝わる。1450年(宝徳2年)5月8日死去。観随。
  • 12日重(1549-1623)<-1588>:身延20世。
  • 13日乾(1560-1635)<1588-1602>:身延21世。日重の弟子。1588年(天正16年)または1591年(天正19年)本満寺就任。1602年(慶長7年)、日重の代わりに久遠寺に住す。1625年(寛永2年)身延を日遠に譲る。妙覚寺、本圀寺に住す?。能勢に隠棲。1635年(寛永12年)本満寺で死去。
  • 14日遠(1572-1642)<>:身延22世。日重の弟子。
  • 15日深(1574-1627)<?-1623>:身延25世。
  • 16日暹(1586-1648)<1623-1627>:身延26世。日遠の弟子。初名は日際。智見院。弁説に優れた。1623年(元和9年)本満寺16世。1627年(寛永4年)鷹峰檀林講主。1628年(寛永5年)久遠寺法主。
  • 日明()<>:蓮永寺8世。京都出身。日遠に侍す。初名は日勇。飯高壇林で学ぶ。飯高壇林化主。本満寺、蓮永寺、本遠寺に住す。日本仏家人名辞書に正和2年死去とあるが、1682年(天和2年)の誤りか。円照院。
  • 日存(-1671)<>:観妙院。紀伊養珠寺4世。智道院日明の弟子。飯高檀林で学び、六条檀林化主となる。1666年(寛文6年)養珠寺に招かれている。1671年(寛文11年)死去。
  • 21日任()<>:1630年(寛永7年)鷹峰・円成寺を創建。
  • 24日昌(1637-1693)<>:示性院。京都出身。山科檀林、小西檀林で学ぶ。本満寺を経て小西檀林化主。焼失した本満寺の再建に尽くす。1693年(元禄6年)死去。
  • 25日念()<-1695->:
  • 29日雄()<>:
  • 35日鳳()<-1751->:
  • 37日観()<>:
  • 41日相()<>:
  • 42日進()<>:
  • 43日叡()<>:龍雄院。福山実相寺。
  • 47日唯(1767-1840)<1827->:1827年(文政10年)本満寺。1834年(天保5年)小城光勝寺貫首。
  • 日桓(1770-1840)<>:相模出身。姓は川原。自坊は日暮里本行寺。妙法華寺、本満寺、妙顕寺42世を歴任。俳人として活躍し、一瓢の名で知られる。
  • 49日順()<>:境達院。
  • 久保田日亀(1841-1911)<>:池上68世。
  • 57工藤日諒()<>:唯乗院。自坊は青森妙光寺。
  • 58小野日憙(1864-1945)<1922->:摂津高槻出身。1864年(元治1年)生。大教院で学び、大阪善正寺に住す。1922年(大正11年)本満寺貫首に就任。1932年(昭和7年)4月、宗務総監。本具院。
  • 梅本日政(1899-)<>:梅本鳳泰。本圀寺65世か。1899年(明治32年)生。松岡日啓の徒弟。京都光山学院を卒業後、満洲布教。1922年(大正11年)大法寺住職。戦後帰国して蓮久寺を経て本満寺貫首。のち本圀寺貫首か。日蓮宗本山会会長。
  • 三好龍紳(1913-)<>:泰道院日受。大阪市出身。1913年(大正2年)生。京都帝国大学文学部哲学科でインド哲学史を専攻。1938年(昭和13年)高槻本立院住職。1942年(昭和17年)本澄寺住職。
  • 伊丹日章(1928-)<>:伊丹栄彰。日蓮宗霊断師会会長代行。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%9C%AC%E6%BA%80%E5%AF%BA」より作成

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