ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

本願寺日高別院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

2018年12月16日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
移動: 案内, 検索

本願寺日高別院(ほんがんじ・ひだか・べついん)は和歌山県御坊市御坊にある浄土真宗寺院。浄土真宗本願寺派西本願寺別院御坊。寺号は西円寺日高御坊吉原坊舎薗坊舎。通称は大御堂(おみど)。(参考:同名寺院大御堂

歴史

1532年(天文1年)、亀山城主湯河直光は吉原(和歌山県日高郡美浜町吉原)に坊舎を創建。次男の信春が出家して唯可と称し開山となった。唯可は石山本願寺で証如に謁見し、御影を与えられ、祐存の名と吉原坊舎の寺名を許されたという。

1585年(天正13年)豊臣秀吉の攻撃で焼失し、1595年(文禄4年)現在地に再建。本山掛所として薗坊舎と呼ばれた。1630年(寛永7年)、3世真了坊祐玄が本堂再建。1635年(寛永12年)、本山御影堂再建の功労で西円寺の寺号を許可された。 吉原の旧地には松見寺が建てられ、浄土真宗だったが天台宗に改称した。

4世祐賢は高家村の道場を入手し、別寺とした。6世賢芸が「怠慢」として処分され高家村の別寺に蟄居。留守居役として美浜町三宝寺(和歌山県日高郡美浜町和田)と財部村好浄寺(和歌山県御坊市湯川町財部)が置かれた。1877年(明治10年)日高別院と称した。和歌山県日高郡日高町高家の西円寺は廃絶したが1925年(大正14年)に和歌山県御坊市湯川町富安の寺院が名前を継いだ。 (日本歴史地名大系)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%9C%AC%E9%A1%98%E5%AF%BA%E6%97%A5%E9%AB%98%E5%88%A5%E9%99%A2」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール