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本願寺津村別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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'''本願寺津村別院'''(ほんがんじ・つむら・べついん)は大阪府大阪市中央区本町(摂津国東成郡)にある[[浄土真宗]]寺院。石山本願寺の旧跡。[[西本願寺]]の[[浄土真宗本願寺派の別院寺院|別院]]・[[御坊]]。[[浄土真宗本願寺派]]。'''北御堂'''。'''大阪別院'''、'''津村御堂'''、'''表御堂'''、'''津村御坊'''とも。御堂筋で南御堂([[真宗大谷派難波別院]])とつながる。[[内侍所東幸旧跡]]。 == 歴史 == [[石山本願寺]]は1580年(天正8年)に滅亡。1591年(天正19年)に京都に西本願寺が成立した頃、天満に近い「楼の岸」に大坂の門徒が坊舎を創建。1597年(慶長2年)、津村郷の現在地に移転。翌年11月、准如を迎えて法要を営んだ。1605年(慶長10年)再建。当初は高山家が留守居役を世襲したが寛延年間、輪番制に移行した。1655年(明暦1年)以来朝鮮通信使の宿所となった。 1694年、第一次境内拡張。 1699年(元禄12年)再建。1722年(享保7年)[[親鸞]]と[[蓮如]]を祀る二尊堂を建立したが1724年(享保9年)3月の大火で諸堂と共に焼失した。 本尊は[[大坂・願泉寺]]に一時遷座した。1734年(享保19年)本堂再建。1763年対面所再建。1846年(弘化3年)二尊堂再建。 1868年(明治1年)、大阪府庁の前身となる大阪鎮台が置かれた(まもなく大阪裁判所と改称)。明治天皇の行在所となった。 明治9年、津村別院と改称。 大正7年、御堂筋開通。 1888年(明治21年)、境内に相愛女学校を開設。 1927年(昭和2年)、御堂筋拡張のために伽藍を西方に移築。1945年(昭和20年)3月14日焼失。 昭和26年仮本堂建立。 1964年(昭和39年)コンクリート造、宝形屋根の本堂を再建。 1992年、納骨壇を設置。 2019年、北御堂ミュージアム開館。 (日本歴史地名大系、国史大辞典) ==伽藍== *本堂:本尊は阿弥陀如来。高さ95.5cmの立像で鎌倉時代の作。向かって右に親鸞、向かって左に大谷光照を祀る。向かって右の余間には聖徳太子と七高僧を、向かって左の余間には蓮如と顕如を祀る。親鸞御影は1734年授与の等身御影で真向きの姿を取る。津村ホールには釈迦の生涯を描いた壁画として杉本哲郎画「無明と寂光」(1964年)がある。 *山門: *大阪教区教務所: ==資料== *「大坂津村別院記」『大谷本願寺通紀』「別院縁由」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950296/120] [[Category:大阪府]]
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