ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

来迎院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年1月4日 (木)

移動: 案内, 検索
本堂側面

来迎院は、京都府京都市左京区大原来迎院町にある天台宗寺院。本尊は薬師如来で、脇侍は釈迦如来阿弥陀如来円仁が創建し、良忍が復興したという。大原寺の上院の中心とされる。山号は魚山。(参考:同名寺院来迎院_(同名)

目次

歴史

浄蓮華院・来迎院・蓮成院・遮那院(国土地理院空中写真より)
大原周辺。三千院門跡や勝林院など(国土地理院空中写真より)
  • 仁寿年間(851-854):円仁が天台声明の道場として開く。
  • 1094年(嘉保1年):比叡山を降りた良忍は大原別所に入る。勝林院の永縁、寛誓、尋宴、胆西に声明を習い、諸流諸家を大成した。
  • 1109年(天仁2年):良忍、来迎院と浄蓮華院を創立した。
  • 1117年(永久5年):良忍、融通念仏を感得して摂津、河内、紀伊を巡遊。
  • 1132年(長承1年)2月1日:良忍、来迎院で死去。
  • 鳥羽上皇阿弥陀如来釈迦如来を祀って総本堂を立てた。現在の脇侍が当初の本尊という。のちに薬師如来を祀ったとみられる。
  • 1200年閏2月28日:九条兼実藤原定家らを従え、来迎院を訪れ、宝蔵を見学する(明月記)
  • 1426年(応永33年)10月:焼失。
  • 永享年間:再建。
  • 天文年間:改修。
  • 1506年(永正3年):勝林院と対立したが朝廷が和解させた。
  • 江戸時代には寺領69石。

伽藍

  • 本堂:本尊は薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来。向かって左に不動明王、右に毘沙門天。向かって左の脇壇に良源、円仁、良忍。向かって右の脇壇に歴代徳川家位牌の厨子と木像、位牌数基。
  • 鎮守社
  • 獅子石
  • 地蔵堂
  • 如来蔵:良忍が収集した経典・聖教を納める経蔵。良忍の自筆本も伝わる。
  • 良忍墓
  • 音無の滝:律川の上流にある。

組織

住職

かつては長老と称していた。

  • 1良忍(1072-1132)<>:
  • 2縁忍(1108-1180)<>:1108年(天仁1年)生。1180年(治承4年)死去。73歳。本覚房。門下に平親範。
  • 3湛教(?-1195)<>:九条兼実の娘出産時の祈祷を行う。1195年(建久6年)死去。本成房。(「教」は「学攴」とも)
  • 4蓮契()<>:1216年(建保4年)『往生要集』を開板。蓮慶。明定房。
  • 5禅寂(生没年不詳)<>:日野家出身。権中納言日野兼光の子。俗名は日野長親。1188年(文治4年)出家。法然に師事。勝林院も兼務したという。鴨長明と交流。1216年(建保4年)、亡くなった鴨長明のために『月講式』を記す。如蓮房。
  • 宗快()<1238->:大原声明中興の祖。1238年(暦仁1年)住職。宝泉院を開く。嘉禎年間、『魚山目録』を著す。讃岐法印。
  • 円珠()<>:
  • 教性()<>:
  • 康空示導(1286-1346)<>:浄土宗西山派本山流の開祖。(略歴は三鈷寺#組織を参照)
  • 斎藤孝円
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%9D%A5%E8%BF%8E%E9%99%A2」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール