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東京大神宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
東京大神宮
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{|class="wikitable" style="width:350px;" align=right |- |style="text-align:center;background-color:#ededed" colspan="2"|'''東京大神宮'''<br>とうきょう だいじんぐう |- |style="text-align:center;" colspan="2"|[[File:Tokyo-daijingu_010.jpg|350px]] |- |style="background-color:#ededed;width:100px;"|概要 | |- |style="background-color:#ededed"|奉斎 | |- |style="background-color:#ededed"|所在地 | |- |style="background-color:#ededed"|所属(現在) |神社本庁 |- |style="background-color:#ededed"|格式など | |- |style="background-color:#ededed"|関連記事 | *[[神宮教]] *[[伊勢信仰]] |- |style="text-align:center;" colspan="2"| <googlemap version="0.9" lat="35.700906" lon="139.746265" type="map" zoom="16" width="350" height="300" controls="large"> 35.700111, 139.746924, 東京大神宮 </googlemap> |} [[category:個別記事]] [[category:東京都]] ==概要== '''東京大神宮'''(とうきょう・だいじんぐう)は、東京都千代田区にある[[伊勢信仰]]の神社。[[伊勢神宮]]の分社。[[神宮教]](神宮奉斎会)本部の後身。[[別表神社]]。 [[祠宇]] ==組織== ===宮司=== {|class="wikitable" |+ !style="width:5%;"|歴代 !style="width:10%;"|名前 !style="width:10%;"|生没 !style="width:10%;"|在職 !style="width:65%;"|略歴 |- |1 |小出英経 |1898-1984 |1946-1949 |[[掌典職]]掌典次長。[[子爵]]・園部藩主小出英尚の次男。1898年(明治31年)生。1924年(大正13年)[[東京大学]]国文科卒業。[[京都女子大学]]教授。武道専門学校教授。1932年(昭和7年)[[宮内省]]に入り、侍従、式部官、東宮傅育官、宮内事務官、皇后宮事務官を歴任。1945年(昭和20年)11月から1946年(昭和21年)3月まで掌典次長[https://dl.ndl.go.jp/pid/3025541/1/388]。1946年(昭和21年)4月[https://dl.ndl.go.jp/pid/2997934/1/210]から1949年(昭和24年)4月5日まで東京大神宮宮司。1946年(昭和21年)8月21日、[[伏見宮]]博恭王の葬儀の司祭長を務めた[https://dl.ndl.go.jp/pid/2530369/1/239]。1949年(昭和24年)、アムバサダーホテル常務。1957年(昭和32年)横浜精養軒顧問。1984年(昭和59年)11月24日死去。[https://dl.ndl.go.jp/pid/3044846/1/257][https://dl.ndl.go.jp/pid/3025538/1/683] |- |2 |佐佐木行忠 |1893-1975 |1949-1951 |神宮大宮司。[[神社本庁]]統理。[[国学院大学]]学長。[[皇典講究所]]所長。侯爵。1949年(昭和24年)4月5日から1951年(昭和26年)7月まで東京大神宮宮司。(略歴は[[伊勢神宮#組織]]を参照) |- |3 |坊城俊良 |1893-1966 |1952-1957 |神宮大宮司。掌典職掌典次長。伯爵。坊城俊章の四男。1952年(昭和27年)2月17日から1957年(昭和32年)4月18日まで東京大神宮宮司。2代続けて東京大神宮宮司から伊勢神宮大宮司に就任。(略歴は[[伊勢神宮#組織]]を参照) |- |4 |飛鳥井雅信 |1893-1969 |1957-1964 |掌典職掌典次長。伯爵。飛鳥井恒麿の次男。1893年(明治26年)生。1918年(大正7年)[[早稲田大学]]政治経済科卒業。1921年(大正10年)宮内省に勤務。1922年(大正11年)文官高等試験に合格。1927年(昭和2年)帝室林野局事務官。1943年(昭和18年)掌典次長。1945年(昭和20年)[[宮内庁京都事務所]]所長。1952年(昭和27年)退官。1957年(昭和32年)6月7日から1964年(昭和39年)6月9日まで東京大神宮宮司。1969年(昭和44年)2月17日死去。 |- |5 |松山能夫 |1912-1989 |1965-1989 |神社本庁常務理事。東京都神社庁長。三重県出身。1912年(大正1年)生。1935年(昭和10年)[[国学院大学]]神道部卒。[[鶴岡八幡宮]]を経て1937年(昭和12年)[[宮崎神宮]]主典。1939年(昭和14年)[[常磐神社]]主典。[[茨城県護国神社]]にも奉仕した。1946年(昭和21年)7月17日、常磐神社宮司。1958年(昭和33年)2月5日、東京大神宮権宮司。1965年(昭和40年)4月1日、東京大神宮宮司。1974年(昭和49年)神社本庁常務理事。1980年(昭和55年)東京都神社庁長。1989年(平成1年)3月13日、宮司・本庁常務理事在職で死去。76歳。 |- |6 |松山文彦 |1944- |1990-現職 |神社本庁理事。東京都神社庁長。1944年(昭和19年)生。国学院大学神道学専攻科卒。熱田神宮権禰宜。1980年(昭和55年)東京大神宮権宮司。宮司代務者を経て1990年(平成2年)3月13日、東京大神宮宮司。2001年(平成13年)神社本庁理事。東京都神社庁長。 |} ===権宮司=== *1青木仁蔵 *2入江晃 *3松山能夫 *4三島勝三 *5松山文彦 *6松山幾一 (東京大神宮ものがたり) ==画像== <gallery perrow="3"> file:tokyo-daijingu_001.jpg|東京大神宮(日比谷時代) file:tokyo-daijingu_002.jpg|東京大神宮(日比谷時代) file:tokyo-daijingu_003.jpg|東京大神宮(日比谷時代) file:tokyo-daijingu_004.jpg|東京大神宮(日比谷時代) file:tokyo-daijingu_005.jpg|東京大神宮(日比谷時代) File:Tokyo-daijingu_006.jpg|東京大神宮 日比谷跡地 File:Tokyo-daijingu_007.jpg|東京大神宮 File:Tokyo-daijingu_008.jpg|東京大神宮 File:Tokyo-daijingu_009.jpg|東京大神宮 File:Tokyo-daijingu_010.jpg|東京大神宮 </gallery> ==参考文献== *『東京大神宮沿革史』 * ==脚注== <references/>
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