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東京大神宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年5月16日 (木)
東京大神宮 とうきょう だいじんぐう | |
概要 | |
奉斎 | |
所在地 | |
所属(現在) | 神社本庁 |
格式など | |
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目次 |
概要
東京大神宮(とうきょう・だいじんぐう)は、東京都千代田区にある伊勢信仰の神社。伊勢神宮の分社。神宮教(神宮奉斎会)本部の後身。別表神社。 祠宇
組織
宮司
歴代 | 名前 | 生没 | 在職 | 略歴 |
---|---|---|---|---|
1 | 小出英経 | 1898-1984 | 1946-1949 | 掌典職掌典次長。子爵・園部藩主小出英尚の次男。1898年(明治31年)生。1924年(大正13年)東京大学国文科卒業。京都女子大学教授。武道専門学校教授。1932年(昭和7年)宮内省に入り、侍従、式部官、東宮傅育官、宮内事務官、皇后宮事務官を歴任。1945年(昭和20年)11月から1946年(昭和21年)3月まで掌典次長[1]。1946年(昭和21年)4月[2]から1949年(昭和24年)4月5日まで東京大神宮宮司。1946年(昭和21年)8月21日、伏見宮博恭王の葬儀の司祭長を務めた[3]。1949年(昭和24年)、アムバサダーホテル常務。1957年(昭和32年)横浜精養軒顧問。1984年(昭和59年)11月24日死去。[4][5] |
2 | 佐佐木行忠 | 1893-1975 | 1949-1951 | 神宮大宮司。神社本庁統理。国学院大学学長。皇典講究所所長。侯爵。1949年(昭和24年)4月5日から1951年(昭和26年)7月まで東京大神宮宮司。(略歴は伊勢神宮#組織を参照) |
3 | 坊城俊良 | 1893-1966 | 1952-1957 | 神宮大宮司。掌典職掌典次長。伯爵。坊城俊章の四男。1952年(昭和27年)2月17日から1957年(昭和32年)4月18日まで東京大神宮宮司。2代続けて東京大神宮宮司から伊勢神宮大宮司に就任。(略歴は伊勢神宮#組織を参照) |
4 | 飛鳥井雅信 | 1893-1969 | 1957-1964 | 掌典職掌典次長。伯爵。飛鳥井恒麿の次男。1893年(明治26年)生。1918年(大正7年)早稲田大学政治経済科卒業。1921年(大正10年)宮内省に勤務。1922年(大正11年)文官高等試験に合格。1927年(昭和2年)帝室林野局事務官。1943年(昭和18年)掌典次長。1945年(昭和20年)宮内庁京都事務所所長。1952年(昭和27年)退官。1957年(昭和32年)6月7日から1964年(昭和39年)6月9日まで東京大神宮宮司。1969年(昭和44年)2月17日死去。 |
5 | 松山能夫 | 1912-1989 | 1965-1989 | 神社本庁常務理事。東京都神社庁長。三重県出身。1912年(大正1年)生。1935年(昭和10年)国学院大学神道部卒。鶴岡八幡宮を経て1937年(昭和12年)宮崎神宮主典。1939年(昭和14年)常磐神社主典。茨城県護国神社にも奉仕した。1946年(昭和21年)7月17日、常磐神社宮司。1958年(昭和33年)2月5日、東京大神宮権宮司。1965年(昭和40年)4月1日、東京大神宮宮司。1974年(昭和49年)神社本庁常務理事。1980年(昭和55年)東京都神社庁長。1989年(平成1年)3月13日、宮司・本庁常務理事在職で死去。76歳。 |
6 | 松山文彦 | 1944- | 1990-現職 | 神社本庁理事。東京都神社庁長。1944年(昭和19年)生。国学院大学神道学専攻科卒。熱田神宮権禰宜。1980年(昭和55年)東京大神宮権宮司。宮司代務者を経て1990年(平成2年)3月13日、東京大神宮宮司。2001年(平成13年)神社本庁理事。東京都神社庁長。 |
権宮司
- 1青木仁蔵
- 2入江晃
- 3松山能夫
- 4三島勝三
- 5松山文彦
- 6松山幾一
(東京大神宮ものがたり)
画像
参考文献
- 『東京大神宮沿革史』