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東大寺法華堂
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
東大寺法華堂
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[[ファイル:東大寺法華堂-05.jpeg|thumb|500px|]] '''東大寺法華堂'''は、奈良県奈良市の[[東大寺]]にある[[観音堂]]。本尊は[[不空羂索観音]]。[[金鍾寺]]の後身と考えられている。上院の中心伽藍で[[華厳宗]]の根本道場とされる。本尊の裏に[[良弁]]の持仏だったという秘仏[[執金剛神]]が祀られている。'''三月堂'''とも'''羂索堂'''ともいう。[[東大寺関連旧跡]]も参照。 == 歴史 == *733年:金鐘寺創建 *746年3月16日:法華会が恒例となり、延喜年間には法華堂と呼ばれている。法華会は、東大寺の僧侶にとって重大な行事であり、法会に合わせて昇進に関わる竪義が行われてきた。 法華会の行う時期が3月であることから三月堂と呼ばれるようになった。また旧暦3月は桜の時期であるから法華会は桜会とも呼ばれた。 華厳宗の道場とされたことから、華厳宗長者を兼ねる[[東大寺尊勝院]]の創建後はその管轄下に置かれた。 平安時代には11月16日に華厳講が営まれていた。この華厳講は740年10月の良弁による華厳経講説に由来するものともいう(鎌倉時代には会場は開山堂に移り、のちに断絶する) 平安時代中期には堂方(禅衆)の拠点となった。[[修験者]]のように[[不動明王]]を本尊とした回峰行を行い、ときには僧兵ともなった。 「試みの大仏」ともいわれる弥勒仏坐像は法華堂に長く祀られていた。良弁の念持仏といわれる。 東側に手水屋が接続。手水屋には[[大黒天]]が祀られている。法華堂経庫が[[手向山八幡宮]]の前にある。 (『東大寺史へのいざない』ほか) <gallery widths="300" heights="300" perrow="3"> file:東大寺法華堂-01.jpeg| file:東大寺法華堂-02.jpeg| file:東大寺法華堂-03.jpeg| file:東大寺法華堂-04.jpeg| file:東大寺法華堂-05.jpeg| file:東大寺法華堂-06.jpeg| file:東大寺法華堂-08.jpeg| file:東大寺法華堂009.jpg| file:東大寺法華堂・宝庫.jpg| </gallery> [[category:奈良県]]
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