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東大寺法華堂
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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天平5年の創建を伝える。天平18年3月から法華会が恒例となり、延喜年間には法華堂と呼ばれている。華厳宗の道場とされたことから、華厳宗長者を兼ねる[[東大寺尊勝院]]の創建後はその管轄下に置かれた。 | 天平5年の創建を伝える。天平18年3月から法華会が恒例となり、延喜年間には法華堂と呼ばれている。華厳宗の道場とされたことから、華厳宗長者を兼ねる[[東大寺尊勝院]]の創建後はその管轄下に置かれた。 | ||
- | + | 平安時代中期には堂方(禅衆)の拠点となった。[[修験者]]のように[[不動明王]]を本尊とした回峰行を行い、ときには僧兵ともなった。 | |
- | + | 東側に手水屋が接続。手水屋には[[大黒天]]が祀られている。法華堂経庫が[[手向山八幡宮]]の前にある。 | |
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2017年12月21日 (木) 時点における版
東大寺法華堂は、奈良県奈良市の東大寺にある観音堂。本尊は不空羂索観音。金鍾寺の後身と考えられている。上院の中心伽藍で華厳宗の根本道場とされる。本尊の裏に良弁の持仏だったという秘仏執金剛神が祀られている。三月堂とも羂索堂ともいう。東大寺関連旧跡も参照。
歴史
天平5年の創建を伝える。天平18年3月から法華会が恒例となり、延喜年間には法華堂と呼ばれている。華厳宗の道場とされたことから、華厳宗長者を兼ねる東大寺尊勝院の創建後はその管轄下に置かれた。 平安時代中期には堂方(禅衆)の拠点となった。修験者のように不動明王を本尊とした回峰行を行い、ときには僧兵ともなった。
東側に手水屋が接続。手水屋には大黒天が祀られている。法華堂経庫が手向山八幡宮の前にある。
(『東大寺史へのいざない』)