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東山・正法寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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[[file:Kokudo0143.jpg|thumb|300px|霊明神社と霊山正法寺(国土地理院空中写真より)]] '''正法寺'''(しょうぼうじ)は、京都府京都市東山区清閑寺霊山町にある[[時宗]]寺院。本尊は釈迦如来。旧[[時宗霊山派]]の拠点。国阿墓がある。旧境内に[[霊明神社]]があり、[[霊山官修墳墓]]、[[京都霊山護国神社]]の起源。無量寿院。'''霊山正法寺'''。'''霊山道場'''。山号は霊鷲山、霊山。(参考:同名寺院[[正法寺]]) == 歴史 == [[file:Kokudo0139.jpg|thumb|300px|霊山観音・京都霊山護国神社・霊明神社・霊山正法寺(国土地理院空中写真より)]] [[file:Kokudo0140.jpg|thumb|300px|霊山周辺(国土地理院空中写真より)]] [[最澄]]が[[天台宗]][[霊山寺]]として創建したと伝える。 *寛平年間、[[宇多天皇]]が釈迦堂を建立し、[[勅願寺]]とした。 *1004年に「霊山堂」という堂宇が建てられている。 *1205年1月、[[法然]]が別時念仏を修したという。 *1383年9月、国阿が訪れ、住職の光英を教化。寺を譲り受け、阿弥陀堂を建立。時宗となり、正法寺と称した。 *[[後小松天皇]]、[[足利義満]]らが寄進し、伽藍を整備した。しかし、応仁の乱や天文な乱で被災し、衰退。 *天正年間には[[豊臣秀吉]]の庇護を受け、末寺42、子院14があった。 *1580年、朱印地23石が寄進され、江戸時代も続いた。 *1809年:村上都平、子院清林庵から山林藪地を借り受け[[霊明舎]]を開設。 *明治の火災で全山焼失。焼け残った開山堂を本堂とした。 (『日本歴史地名大系』『国史大辞典』) ==境内== *本堂 *国阿墓 *神明宮:国阿は伊勢神宮を篤く崇敬した。 == 子院 == それぞれ阿弥号があった。 *清林庵:清林院。23世淵龍が創建。現在の正法寺。 *西光院:元禄頃には衰退。 *常楽院:善阿弥。 *極楽院:元禄頃には衰退。 *西念寺:元禄頃には衰退。 *檀那院:元禄頃には衰退。 *香泉院:元禄頃には衰退。 *東光寺:権阿弥。本願寺住職の別荘翠紅館となる。 *永寿院:明治中期に廃絶。 *正智院: *功徳院: *海蔵院: *往生院: *方広院: *霊山寺:旧寺名を残していた。現在の[[興正寺霊山本廟]]の地にあった。 *長厳、盆阿弥、忍阿弥、重阿弥、種阿弥、珠阿弥、与阿弥、丹阿弥、連阿弥、宿阿弥(政教中正論) <Gallery widths="200" heights="150" perrow="3"> File:霊山正法寺・参道入口.JPG| </Gallery> [[category:京都府]]
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