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東長寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
東長寺
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'''東長寺'''(とうちょうじ)は、福岡県福岡市博多区御供所町にある[[真言宗]]の[[真言宗の本山寺院|本山寺院]]。本尊は[[千手観音]]。[[空海]]が帰国後、最初に建てた[[密教]]寺院という。[[真言宗九州教団]]別格本山。元は[[真言宗御室派]]で、[[仁和寺]]末の筑前国触頭だった。福岡藩[[黒田家]]の菩提寺。[[櫛田神社]]の別当だった。'''福岡大仏'''がある。'''宝持院'''。'''東長蜜寺'''。'''東長密寺'''。通称は'''大師堂'''。山号は南岳山。 ==歴史== 806年(大同1年)、唐から博多に帰着した[[空海]]が最初に創建。独鈷杵と[[仏舎利]]を納め、自刻の[[不動明王]]を祀った。 はじめ博多海辺にあった。元弘の変の兵火に焼失。志摩郡志登村に移転。3年後に旧地に再建。 2代藩主黒田忠之が帰依し、再建。1648年(慶安1年)100石を寄進。慶安893年(寛平5年)200石に加増。黒田忠之の没後はその墓所となった。1707年(宝永4年)、3代藩主黒田光之も父の菩提のために100石を追加で寄進し300石となった。福岡藩[[黒田家]]の上席寺院五カ寺の一つ。 たびたび境内拡張され1717年(享保2年)に完成。 正徳年間、照海、[[仁和寺門跡]]の[[院家]]明応院となる(石城志[https://books.google.co.jp/books?id=gQANS56DlgQC&pg=PP129])。のち龍巌院、鳳巌院、恵明院と改められた? 1779年(安永8年)仁和寺末から筑前国真言宗の総録職(触頭)に任命された。 櫛田神社の「座主坊」だったという。 1948年(昭和23年)5月、独立して[[真言宗九州教団]]を設立した。 ==伽藍== *本堂: *大師堂: *大仏殿: *六角堂:末寺の神護寺から移転した。 *五重塔: *護摩堂:廃絶か。 *大日堂:廃絶か。 *黒田忠之墓: *黒田光之墓: *黒田治高墓: ==子院・末寺== *本願院:昔は[[櫛田神社]]内にあったという。 *成就院:山号は綱輪山。綱輪天満宮 *神護寺:山号は袖湊山。庚申堂 *明厳院:[[修験道]]総録司。 *智足庵: *金剛坊: *遍照院:現在は糟屋郡篠栗町篠栗に移転。 *入定寺: ==組織== ===住職=== *空海 *51藤田紫雲()<1973-2020>:真言宗九州教団9代管長。2020年4月10日住職を退任。 *52藤田泰然()<2020->:藤田紫雲の長男。2020年4月10日就任。高野山大学卒。醍醐伝法学院修了。 ==資料== ===史料=== *『福岡市文化財調査目録5 東長寺収蔵品目録』1993 *『東長寺文書1』福岡市総合図書館所蔵。2013年(平成25年)収集 *『東長寺文書2』福岡市総合図書館所蔵。2017年(平成29年)収集。 *『東長寺文書3』福岡市総合図書館所蔵。 [[category:福岡県]]
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