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林丘寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2022年2月11日 (金) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
林丘寺(りんきゅうじ)は、京都府京都市左京区修学院にある臨済宗の尼門跡寺院。臨済宗単立。元は修学院離宮の一部。林丘寺宮墓地が一燈寺内にある。林丘寺門跡。音羽御所。
組織
住職
女王の住職は三代で終わる。
- 1照山元瑶女王(1634-1727)<1682-1707>:後水尾天皇皇女。母は蓬春門院。俗名は光子内親王。1634年(寛永11年)7月1日生。幼名は朱宮(緋宮)。5歳で東福門院の養女のような形となる。1665年、32歳の時、妙心寺派で黄檗宗開祖隠元に師事した龍渓性潜から受戒。父帝が崩御してまもなく1680年、真言宗大覚寺門跡に入寺。弟の性真法親王が門主だった。天龍寺の天外のもとで得度した。修学院離宮の朱宮御所に戻り、寺院として寄進。1682年(天和2年)2月、林丘寺を創建。1707年隠居後も引き続き林丘寺に住む。父帝が再建した近江正明寺を支援し、地安寺を創建した。1727年(享保12年)10月6日死去。94歳。非常に多くの仏像・仏画を制作した。普明院宮。墓所は林丘寺宮墓地。
- 2松嶺元秀女王(1696-1752)<1707->:霊元天皇皇女。1696年(元禄9年)生。幼名は亀宮。1707年、照山元瑶から林丘寺を継承する。1752年(宝暦2年)6月7日死去。57歳。普光院宮。墓所は林丘寺宮墓地。
- 3博山元敞女王(1750-1797)<>:閑院宮直仁親王の王女。桃園天皇養女。1750年(寛延3年)7月12日生。八代宮。1797年(寛政9年)12月15日死去。48歳。普明門院宮。墓所は林丘寺宮墓地。
(『比丘尼御所諡号考』)
住職(近代)
曇華院が兼務した時期もある(「尼門跡の言語生活」)。
- 由理滴水()<>:
- 唐橋慈正()<-1957->:(「尼門跡の言語生活からみた女房詞の研究」)