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枚聞神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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枚聞神社(ひらきき・じんじゃ)は鹿児島県指宿市開聞十町(薩摩国穎娃郡)の開聞岳にある神社。祭神は「枚聞神」(「旧官国幣社と延喜式内社」)。加紫久利神社と共に薩摩国に2社しかない官社(式内社)の一つ。新田神社と共に薩摩国一宮国幣小社別表神社開聞宮開聞神社開聞九社大明神開聞大明神とも称した。また和多都美神社という異称があり、豊玉姫命の旧跡を伝えるなど、海神信仰の要素もある。 別当は瑞応院


目次

奉斎

祭神については古来、議論がある。元々は開聞岳の山の神と思われる。中世以来、天智天皇皇后の大宮姫命を主祭神とする説が主流だったが、近世にはそれを疑問視する意見が強くなった。一方で海神とする説もあり、神社側でも、取り込んでいる。また猿田彦神とする説も出てきて、近世には支持を得た。国常立尊や大日霊貴(天照大神)とする説もあった。明治の改革で、大宮姫命説は否定され、大日霊貴とされた。特定せずに「枚聞神」とすることも多い。

歴史

  • 神代:神代の創建という。
  • 649年(大化5年):智通が開聞岳の麓に瑞応院を創建したという。
  • 白鳳1年:天智天皇が行幸したという(神社選集)
  • 652年(白雉3年):瑞応院、枚聞神社のそばに移転。
  • 860年3月20日:朝廷、枚聞神社神階を従五位上から従四位下(三代実録)
  • 866年4月7日:従四位上(三代実録)
  • 872年3月4日:開聞岳噴火(三代実録)
  • 872年7月2日:20戸(三代実録)
  • 874年:この年、開聞岳が噴火(正史には見えず)し、枚聞神社を神託で指宿神社に一時奉遷したという。
  • 882年10月9日:正四位下に昇叙(三代実録)
  • 885年7月12日:開聞岳噴火(三代実録)
  • 885年8月11日:開聞岳噴火(三代実録)
  • 885年10月9日:朝廷、二度の開聞岳噴火を受け、神祇官陰陽寮に占をさせて薩摩国と肥前国に命じて管内の神社に奉幣させた。(三代実録)
  • 895年9月11日:慶雲が現れたと報告。宇多天皇菅原道真に「答公卿賀薩摩国慶雲勅」を作らせた。(日本紀略、菅家文草)
  • 中世:薩摩国一宮となる。
  • 1200年:島津忠久、社殿再建
  • 1235年:指宿忠秀と頴娃忠継が開聞宮領を巡って争う。
  • 1284年5月3日:鎌倉幕府、薩摩国守護の島津氏に薩摩国一宮と薩摩国分寺に異国降伏祈願を命じる
  • 1287年3月:新田神社、薩摩国一宮は開聞神社ではなく新田神社だと主張。以後、両神社の間で争論が続く。
  • 1326年(嘉暦1年):島津貞久が舜請(?-1420)を招いて瑞応院を中興。薩摩・一乗院の末寺とした。
  • 1571年:領主頴娃家の内乱で焼失。社領も失う。
  • 1592年9月9日:島津義久、24町を寄進。
  • 1606年9月21:「開聞神領目録」によると、この時点で217石。
  • 琉球王室もたびたび額を奉納した。
  • 1610年:島津家、本殿など主要社殿を造営
  • 1787年:島津重豪、社殿修造
  • 1869年11月:鹿児島藩、神仏分離を実行。瑞応院廃絶
  • 1871年5月14日:国幣小社に列格。

境内

中近世

諸説あり。一例。

  • 本社:祭神は国常立尊、大日霊貴、皇后大宮姫命、八神。大宮姫に代わり猿田彦とも。単に大宮姫のみとする説もある。本地仏は大日如来と聖観音。
  • 西宮:祭神は天智天皇。本地仏は阿弥陀如来。
  • 二龍宮:祭神は海神夫婦。本地仏は十一面観音または歓喜天。二立宮
  • 懐殿宮:祭神は汐満汐涸宝珠、照美子。本地仏は如意輪観音。廻殿宮とも。
  • 東宮:祭神は彦火火出見尊。本地仏は薬師如来。
  • 聖宮:祭神は塩土老翁。本地仏は大日如来。仙宮とも。
  • 姉姫宮:祭神は豊玉姫命。本地仏は千手観音。
  • 天井宮:祭神は玉依姫命。本地仏は虚空蔵菩薩。天上宮、乙姫宮、弟姫宮とも。
  • 荒仁宮:祭神は大己貴命。本地仏は毘沙門天。荒人宮。「あらひと」と読む。
  • 御陵所:天智天皇と大宮姫の御陵という。
  • 西宮本地堂:本尊は阿弥陀如来。
  • 奉納堂:
  • 酒甕屋:祭神は天児屋根命
  • 御供所:
  • 鐘楼:
  • 善神王社:祭神は経津主命、武甕槌命。本地仏は十一面観音と聖観音。
  • 山上社:祭神は大日霊尊、伊弉諾尊、伊弉冊尊。景行天皇20年10月3日、一夜にして涌出という。
  • 窟屋観音堂:本尊は観音菩薩。大宮姫の誕生地という。
  • 御馬所:
  • 玉之井:
  • 鏡之池:
  • 無水池:
  • 神池:
  • 頼宋法印塚山:
  • 智華山:
  • 九郎殿塚石塔山:
  • 小四郎殿石塔山:

現代

  • 本社:
  • 勅使殿:拝殿の前にある。1787年修造。
  • 東西長庁
  • 境内社:拝殿の脇
  • 東門守神社:
  • 西門守神社:
  • 頌徳碑:鳥居がある。
  • 御嶽神社:境外摂社。開聞岳頂上にある。
  • 川上神社:境外摂社。

関連旧跡

開聞故事縁起に末社44社を記す。

  • 飯倉神社:鹿児島県南九州市川辺町宮(薩摩国川辺郡)にある神社。現在の祭神は玉依姫命。県社。枚聞神社の末社とされた。
  • 鹿児島・一之宮神社:鹿児島県鹿児島市郡元。鹿児島三社の一つ。大宰府所管の府領社のうち「郡本社」に当たるとされる。枚聞神社の末社とされた。
  • 揖宿神社:鹿児島県指宿市東方。874年開聞岳噴火の時、枚聞神社を神託でこの地に奉遷し、開聞新宮九社大明神社と称したという。郷社。
  • 霧島神社
  • 興玉神社
  • 鹿児島神社:鹿児島県垂水市南松原町。村社。
  • 豊玉姫神社:鹿児島県南九州市知覧町にある海神信仰の神社。県社。開聞中宮大明神。
  • 豊玉媛神社:鹿児島県指宿市岩本麓。郷社。中宮大明神。
  • 鹿父神社:鹿児島県肝属郡南大隅町根占横別府。村社。
  • 竹屋神社:鹿児島県南九州市川辺町中山田。王子大明神。王子宮。


  • 岩屋仙宮:石碑石塔群がある。江戸時代には観音堂があった。智通が修行した地であり、中近世の主祭神とされた瑞照姫(大宮姫?天智天皇皇后)の誕生地ともいう。天の岩屋。
  • 仙人洞:登山道7合目過ぎにある。
  • 鏡池
  • 玉乃井:龍女豊玉姫命が使用した井戸という。
  • 聟入谷:彦火火出見命と豊玉姫命が結婚した地という。
  • 御馬所
  • 瑞応院
  • 瑞応院歴代住職墓地
  • 池田湖:『三国名勝図会』に「荒古開聞嶽湧出の跡」「開聞の御池」とある。龍神信仰がある。
  • 舜請墓:東之坊跡地

組織

大宮姫の従臣末裔の阿野家、桜井家、安東家、長山家と、天智天皇従臣末裔の紀家系の池田家、有馬家、仙田家、松山家があったようだ。

宮司

  • 1井上祐文(1830-1906)<1973-1906>:鹿児島藩士。1830年(天保1年)生。1870年(明治3年)枚聞神社神主代。1872年(明治5年)枚聞神社権宮司。1873年(明治6年)枚聞神社宮司。1877年(明治10年)12月8日制度改正で廃官。1878年(明治11年)2月23日枚聞神社宮司。1887年(明治20年)3月31日、制度改正で廃官。4月23日、枚聞神社宮司。1906年(明治39年)死去。
  • 島津久実(1866-?)<1906-1909>:花岡島津家8代当主。照国神社宮司。1906年(明治39年)11月、枚聞神社宮司。1909年(明治42年)4月、枚聞神社宮司退任。
  • 二階堂智行(-1922)<1909-1915>:1909年(明治42年)4月14日枚聞神社宮司。1915年(大正4年)6月16日、照国神社宮司。
  • 肝付忠一(-1924)<1915-1922>:1915年(大正4年)6月16日枚聞神社宮司。1922年(大正11年)9月26日、照国神社宮司。
  • 種子田八雲()<-1929>:枚聞神社宮司。1929年(昭和4年)8月24日新田神社宮司。
  • 田中喜芳(1894-)<1929-1933>:明治神宮主典から1929年(昭和4年)8月24日新田神社宮司。1933年(昭和8年)5月27日、神宮神部署神部。のち明治神宮権宮司、神宮少宮司。
  • 高橋章充()<1933->:神宮神部署神部補。1933年(昭和8年)5月27日、枚聞神社宮司。(略歴は弥彦神社#組織を参照)
  • 11谷川龍男(1911-)<1948->:鹿児島県出身。1911年(明治44年)生。霧島神宮禰宜を経て1948年(昭和23年)枚聞神社宮司。
  • 小久保光雄(1908-1991)<1983-1989>:神社本庁長老。鹿児島県神社庁長。愛知県出身。国学院大学卒。鹿児島神宮宮司、霧島神宮宮司を経て1983年(昭和58年)6月9日から1989年(平成1年)6月1日まで枚聞神社宮司を兼務。(略歴は霧島神宮#組織を参照)
  • 谷川博之()<>:

画像

資料

古典籍

  • 開聞故事縁起:1746
  • 神社選集:1776
  • 薩隅日神社秘録:1815
  • 『開聞神社文書』1[1](デジコレ限定送信)
  • 『開聞神社文書』2[2](デジコレ限定送信)
  • 『開聞神社文書』3[3](デジコレ限定送信)
  • 『古事類苑』「枚聞神社」[4]
  • 『枚聞神社考』:山田清安
  • 『三国名勝図会』
    • 「開聞岳」[5]
    • 「開聞神社」[6]
    • 「開聞神社続」[7]
    • 境内絵図[8]
    • 陵墓絵図[9]
    • 絵図玉井[10]
    • 絵図窟屋観音堂[11]

文献

  • 『麑藩名勝考』「枚聞神社」[12]
  • 『開聞町郷土誌』
  • 『開聞昔話』[13]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%9E%9A%E8%81%9E%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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