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根生院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年4月19日 (金)

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根生院001.jpg

根生院(こんしょういん)は、東京都豊島区高田にある真言宗寺院。本尊は薬師如来。近世は、弥勒寺真福寺円福寺とともに真言宗新義派江戸触頭寺院(江戸四カ寺)の一つ(護持院から交代したという)。仁和寺門跡の直院家。 延寿寺と号す。湯島根生院。山号は金剛宝山。

目次

歴史

江戸名所図会・根生院001.jpg
  • 1636年(寛永13年):春日局、栄誉を招いて下谷長者町に創建。
  • 1665年(寛文5年):寺領100石を寄進。
  • 1688年(元禄1年):湯島の知足院(護持院)跡地に移転。
  • 1691年(元禄4年):寺領100石を加増し200石となる。
  • 1830年(天保1年)12月9日:役僧廓心が僧法観を殺害。住職を収監。(慊堂日暦)
  • 1889年(明治22年):下谷区池之端七軒町に移転。
  • 1902年(明治35年):現在地に移転。

組織

歴代住職

  • 1栄誉(1603-1678)<1636->:春日局の猶子。土佐国出身。1603年(慶長8年)生。土佐石見寺で出家。長谷寺に掛錫。春日局の帰依を得て徳川家光の護持僧となる。1636年(寛永13年)根生院の開山に招かれる。1678年(延宝6年)2月10日死去。76歳。文秀。
  • 2栄専()<>:
  • 3澄意()<>:
  • 4頼雅()<>:武蔵総持寺2世か。
  • 5龍寿()<>:鶏足寺44世か。
  • 6快意(?-1724)<)<>:護持院12世。護国寺3世。弥勒寺11世。室生寺2世。(略歴は江戸・護持院#組織を参照)
  • 7慧海(1662-1745)<>:長谷寺21世。護持院16世。護国寺9世。1720年(享保5年)3月14日、根生院住職。1724年(享保9年)2月16日護国寺住職。恵海。
  • 8卓運()<>:
  • 9圭賢(1669-1749)<>:長谷寺23世。護持院20世。護国寺12世。
  • 10栄宣()<>:
  • 11亮栄()<>:宝仙寺31世。
  • 12良忍()<>:宝仙寺32世。
  • 13教盛()<>:宝仙寺33世。
  • 14隆栄()<>:
  • 15性海(1685-1764)<>:長谷寺25世。武蔵・総持寺14世。
  • 16円秀(1686-1766)<>:長谷寺26世。千葉妙見寺。
  • 17周海(?-1789)<1764->:長谷寺で学ぶ。西蔵院芳寿に師事。彦根に遊学し丹波西光寺住職となったあと再び長谷寺で学び長谷寺地蔵院、長谷寺日輪院を経て1758年(宝暦8年)鷲宮大乗院、1764年(明和1年)根生院住職となる。1765年(明和2年)、護持院光星の隠退でその職を望んで弥勒寺栄慶と争い敗れる。1789年(寛政1年)11月5日死去。
  • 18有慶(1709-1775)<1766-1772>:長谷寺28世。護持院25世。護国寺18世。1766年(明和3年)12月24日、根生院住職。1772年(安永1年)10月27日、護持院住職
  • 19快運(?-1787)<>:長谷寺29世。
  • 20尚盛()<>:
  • 21観算(?-1788)<1783-1785>:護持院27世。護国寺20世。1783年(天明3年)9月30日、根生院住職。1785年(天明5年)6月19日、護持院住職
  • 22鑁明()<>:
  • 23儀貞(1732-1802)<1791-1796>:長谷寺33世。護持院29世。護国寺22世。室生寺10世。1791年(寛政3年)6月14日、将軍の命令で根生院23世。1796年(寛政8年)4月16日、護持院29世。(略歴は室生寺#組織を参照)
  • 24実自(?-1797)<1796-1796>:護持院30世。護国寺23世。1796年(寛政8年)7月30日、根生院住職。11月12日、護持院住職
  • 25円応()<>:
  • 26暁慧(1731-1803)<>:長谷寺35世。室生寺11世。暁恵。
  • 27玄盛()<>:玉蔵院21世。
  • 28快道(1751-1810)<>:上野国出身。1751年(宝暦1年)生。相応寺快音につき出家。1803年(享和3年)玉蔵院住職。根生院住職。1810年(文化7年)2月21日死去。林常。著書『倶舎論法義』。
  • 29唯阿(1751-1823)<>:長谷寺39世。
  • 30祐澄(?-1818)<1812-1818>:護持院37世。護国寺30世。1812年(文化9年)9月30日、根生院住職。1818年(文政1年)10月2日護持院住職。
  • 31無相()<>:玉蔵院23世。
  • 32栄山(1767-1828)<>:長谷寺42世。石手寺
  • 33暢栄()<>:玉蔵院24世。
  • 34真淳(?-1850)<1831-1837>:護持院41世。護国寺34世。宝仙寺42世。1831年(天保2年)5月2日、根生院住職。1837年(天保8年)9月、本山貸付金の督促を受ける。1838年(天保9年)1月19日護持院住職。
  • 35信慧(1776-1846)<1838-1845>:長谷寺46世。護持院42世。護国寺35世。1838年(天保9年)4月20日、根生院住職。1845年(弘化2年)3月18日、護持院住職。信恵。
  • 36深賢(1776-1851)<>:長谷寺47世。
  • 37長盛(?-1855)<1847-1848>:護持院44世。護国寺37世。1847年(弘化4年)4月24日、根生院住職。1848年(嘉永1年)11月6日、護持院住職。
  • 38通済(1788-1872)<1849-1855>:長谷寺49世。護持院45世。護国寺38世。1849年(嘉永2年)2月29日根生院住職。1855年(安政2年)5月2日、護持院住職。
  • 39皆知()<>:
  • 40快識(?-1867)<>:長谷寺51世。武蔵総持寺26世。
  • 41直樹俊海(1801-1883)<1867-1868>:護持院50世。護国寺43世。1867年(慶応3年)幕命で湯島根生院住職。1868年(明治1年)2月、護持院住職。1869年(明治2年)5月25日、護国寺住職。
  • 42忍愷()<>:
  • 43快春()<>:
  • 44赤田明盛()<>:
  • 45那須宥高()<>:
  • 46中村林盛()<>:

(富田学純『新義真言宗史』[1]

資料

  • 『御朱印地新義真言諸寺院根生院配下分別名牒』
  • 守山聖眞1935「根生院周海と弥勒寺栄慶の護持院後董の争に就て」『密教論叢』
  • 『寺社書上』「根生院明細書」[2]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%A0%B9%E7%94%9F%E9%99%A2」より作成

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