ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

橿原神宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年8月12日 (金)

移動: 案内, 検索
Kasihara.JPG
橿原神宮
かしはら じんぐう
概要 神武天皇宮跡に鎮座する神社。
奉斎 神武天皇、媛蹈鞴五十鈴媛皇后
(土岐昌訓論文)
所在地 奈良県橿原市久米町934
所在地(旧国郡)
所属(現在) 神社本庁
格式など 官幣大社別表神社勅祭社
関連記事 神武天皇旧跡


目次

概要

橿原神宮(かしはら・じんぐう)は、奈良県橿原市の橿原宮跡にある神武天皇を祀る神社。神武天皇陵も隣接。官幣大社別表神社勅祭社畝傍山の麓にある。

歴史

京都御所旧賢所とその前に建つ特異な形状の幣殿
創建初期の社殿配置
現在と異なり昭和造営前は直線の参道が拝殿まで続いていた。
昭和造営後の社殿配置

江戸時代、元禄年間にはこの地に神武天皇の神廟を建てようとする動きがあったという。

1873年(明治6年)3月7日、紀元節を制定。 1877年(明治10年)に明治天皇が神武天皇陵に行幸。 西内成郷らの長年の訴えにより、宮内省および勅使の実検を経て 1888年(明治21年)、橿原宮の跡地の所在が治定された。そして御料地として買い上げとなった。さらに西内成郷らは奉斎神社の創建を訴え1889年(明治22年)5月に請願。まもなく許可を受け7月23日、京都御所の旧内侍所と神嘉殿を下賜され、それぞれ本殿と拝殿とした。1890年(明治23年)3月1日竣工。 同月20日、祭神と社名と社格が決定(3月24日内務省告示第10号)。

3月29日、勅使子爵石山基正が御霊代を奉じて奈良県に到着。県境の木津駅で奉迎し、旅館に奉安。31日、旅館を出発して今井町の斎館に到着。 2日橿原神宮に到着し奉納告式


そして神武天皇祭(崩御日)前日の同年4月2日に鎮座した。鎮座祭には勅使子爵石山基正が参向した。

同年11月19日、明治天皇は2月11日を橿原神宮の例祭日に治定したと宮内省から内務省へ通達。通常、例祭日は神宮暦などに記載されるが、橿原神宮例祭のみは明治天皇の治定により不掲載とされた。

1894年(明治27年)11月、宮司山根温知が例祭を鎮座記念日の4月2日に変更するように請願したが、1895年(明治28年)5月6日、明治天皇の沙汰で据え置かれた。

1915年(大正4年)4月1日、台湾阿里山の檜で大鳥居を建立した。 1916年(大正5年)神武天皇2500年式年大祭。大正天皇参拝。 1917年(大正6年)2月1日、橿原神宮が勅祭社となる。同月11日の例祭から勅使が派遣されるようになる。初回の御祭文が明らかにされている[1]

1920年(大正9年)10月7日、勅令第471号で明治神宮と同時に権宮司が設置された。戦前の制度で権宮司の職がある神社は勅祭社の一部のみである。

1911年(明治44年)頃から第一次境内整備計画が進められ、宮司の交代が重なり、一挙には進まなかったようだが、1926年(昭和1年)3月に竣工した。

つづいて第二次境内整備計画が検討されたが、関東大震災の影響などを鑑みて土地買収を進め他日を期した。1935年(昭和10年)国費による整備が決定。さらに1937年(昭和12年)12月9日、紀元二千六百年奉祝会から整備事業案が提案され、進めることになった。奈良県でも紀元二千六百年奈良県奉祝会が組織された。 1939年(昭和14年)11月11日に遷座。12日奉幣祭が行われた。

各地で橿原神宮遙拝所が建てられた。

1937年(昭和12年)2月3日、氷川神社以下勅祭社7社の例祭祭式と祝詞を定められた(内務省令第4号)。 1940年(昭和15年)の紀元2600年記念で1938年(昭和13年)から大規模な境内整備が行われた。

1993年(平成5年)2月4日、神楽殿(旧京都御所神嘉殿)を失火で焼失。

境内

(国土地理院空中写真より)
畝傍山周辺(国土地理院空中写真より)

畝傍山も参照。

  • 本殿:旧京都御所内侍所。建坪38坪。1855年(安政2年)造営。
  • 幣殿:
  • 内拝殿:
  • 外拝殿:
  • 第一鳥居:
  • 第二鳥居:
  • 北参道鳥居:
  • 西参道鳥居:
  • 神楽殿:京都御所神嘉殿の復元建物。下賜された神嘉殿が当初拝殿として用いられたが、のちの社殿造営で神楽殿となった。失火で焼失。のち復元再建。建坪80坪。
  • 東大谷日女命神社:姫蹈鞴五十鈴姫命
  • 長山稲荷社:宇迦能御魂神・豊宇気神・大宮能売神
  • 池田神社


  • 祝詞舎
  • 神饌所
  • 宝庫
  • 祭器庫
  • 勅使館
  • 斎館
  • 宮庁
  • 神苑
  • 畝傍山
  • 神武天皇陵
  • 綏靖天皇陵
  • 懿徳天皇陵
  • 安寧天皇陵
  • 奈良県神社庁

組織

宮司

代数 名前 生没 在職 略歴
1 山根愨輔 1890- 山口藩士。明倫館講師。1875年(明治8年)5月20日、梅宮神社宮司兼中講義。1876年(明治9年)3月25日、大和神社少宮司。10月18日、賀茂別雷神社少宮司。12月15日、権大講義。1877年(明治10年)4月18日、大講義。12月8日、制度改正で少宮司廃官。12日、賀茂別雷神社禰宜。1880年(明治13年)9月17日、広瀬神社宮司。1890年(明治23年)3月25日、橿原神宮初代宮司を兼務。1892年(明治25年)山根温知と改名。(公文録[2]、未見・明治過去帳)
風早公紀 1841-1905 1900-1902 子爵風早家当主。風早実豊の長男。1841年(天保12年)生。山口藩主毛利敬親の赦免のために周旋。1884年(明治17年)7月8日、子爵。1887年(明治20年)3月、甲斐浅間神社宮司。1890年(明治23年)2月28日、氷川神社宮司。1894年(明治27年)9月、日枝神社宮司。1897年(明治30年)、石上神宮宮司。1900年(明治33年)橿原神宮宮司。1902年(明治35年)退任。1905年(明治38年)2月28日死去。
西内成郷 1855-1911 1902-1911 1883年(明治16年)、孝元天皇陵の陵掌となり、県内各地の天皇陵の陵掌を歴任。1887年(明治20年)、県会議員。橿原宮跡の顕彰を唱え、橿原神宮の創建に尽力。1902年(明治35年)2月3日、橿原神宮宮司。1911年(明治44年)4月2日死去。57歳。
桑原芳樹 1861-1943 1911-1917 1911年(明治44年)橿原神宮宮司。1912年(大正1年)5月まで大神神社宮司兼務。1917年(大正6年)12月転任。(略歴は、熱田神宮#組織を参照)
吉田豊 1871-1922 1917-1918 福岡県出身の神職。1917年(大正6年)から1918年(大正7年)まで橿原神宮宮司。(略歴は、大和神社#組織を参照)
菟田茂丸 1872-1968 1918-1931 福岡県出身。1900年(明治33年)国学院大学卒業。1905年(明治38年)6月6日、氷川神社禰宜。1907年(明治40年)7月23日、寒川神社宮司。1911年(明治44年)沼名前神社宮司。1918年(大正7年)橿原神宮宮司。1931年(昭和6年)4月30日、伊勢神宮少宮司。1937年(昭和12年)8月28日、橿原神宮宮司に再任。1942年(昭和17年)6月29日退任。1968年(昭和43年)2月19日死去。(神道人名辞典、橿原神宮史続編)
高松四郎 1875-1955 1931-1934 1931年(昭和6年)4月30日から1934年(昭和9年)まで橿原神宮宮司。(略歴は、朝鮮神宮#組織を参照)
長谷外余男 1890-1973 1934-1936 1934年(昭和9年)から1936年(昭和11年)まで橿原神宮宮司。(略歴は、熱田神宮#組織を参照)
副島知一 1874-1959 1936-1937 佐賀県出身。1900年(明治33年)国学院大学卒。1936年(昭和11年)から1937年(昭和12年)まで橿原神宮宮司。(略歴は、石清水八幡宮#組織を参照)
11 菟田茂丸 1872-1968 1937-1942 再任。1937年(昭和12年)8月28日就任。1942年(昭和17年)6月29日退任。
12 高階研一 1885-1967 1942-1967 神社本庁第3代事務総長。1942年(昭和17年)6月29日、橿原神宮宮司に就任。1967年(昭和42年)10月4日、在職で死去。(略歴は神社本庁#組織を参照)
13 佐伯芳彦 1895-1970 1968-1970 1895年(明治28年)生。1968年(昭和43年)2月7日、橿原神宮宮司就任。1970年(昭和45年)6月14日、在職で死去。(略歴は北海道神宮#組織を参照)
14 長尾薫 1904-1982 1971-1982 岡山県勝田郡奈義町出身。1904年(明治37年)生。1923年(大正12年)皇典講究所神職養成部卒。同年7月12日、橿原神宮出仕。1926年(昭和1年)1月30日、橿原神宮主典。8月17日、故郷の瀧神社社司となる。1927年(昭和2年)10月2日、国幣中社浅間神社主典。1929年(昭和4年)8月31日、枚岡神社主典。1932年(昭和7年)5月31日、神宮宮掌。1937年(昭和12年)12月8日、権禰宜。同年橿原神宮禰宜。1942年(昭和17年)3月19日、権宮司。1943年(昭和18年)劔神社宮司。1946年(昭和21年)御上神社宮司。三上山の境内地編入に尽力。1959年(昭和34年)滋賀県神社庁参事。1964年(昭和39年)橿原神宮権宮司に再任。1970年(昭和45年)7月13日宮司代務者。1971年(昭和46年)4月1日、奈良県神社庁長。同年7月26日、橿原神宮宮司。1979年(昭和54年)国学院大学理事。1980年(昭和55年)神社本庁常務理事。1982年(昭和57年)2月22日、在職で死去。77歳。前日付で神社本庁長老。(橿原神宮史続編)
15 山田正 1919-2002 1982-1997 大阪府出身。1919年(大正8年)生。1942年(昭和17年)国学院大学国史学科卒。1943年(昭和18年)石清水八幡宮に奉仕。平野神社白峰神宮に奉仕。1944年(昭和19年)召集され、広島の陸軍暁部隊で勤務。戦後、伏見稲荷大社賀茂御祖神社、橿原神宮の禰宜を経て1968年(昭和43年)湊川神社権宮司。1972年(昭和47年)橿原神宮権宮司。1982年(昭和57年)5月26日橿原神宮宮司。1983年(昭和58年)奈良県神社庁長。1993年(平成5年)2月4日、神楽殿を失火で焼失。1996年(平成8年)神楽殿復元再建を果たし1997年(平成9年)6月30日退任。2002年(平成14年)2月22日死去。82歳。(橿原神宮史続編)
16 広瀬和俊 1931- 1997-2000 1997年(平成9年)7月1日、橿原神宮宮司。2000年(平成12年)5月14日退任。(略歴は三峰神社#組織を参照)
17 伊勢美登 1924-2009 2000-2007 奈良県出身。1941年(昭和16年)畝傍中学校卒。1943年(昭和18年)運輸省水路部技術官養成所修了。海軍気象部に勤務。1952年(昭和27年)奈良県神社庁録事。1954年(昭和29年)橿原神宮出仕。1958年(昭和33年)権禰宜。1968年(昭和43年)禰宜。1997年(平成9年)4月1日権宮司。2000年(平成12年)5月15日、宮司。2007年(平成19年)9月30日退任。2003年(平成15年)から2007年(平成19年)まで奈良県神社庁長。神社本庁監事、評議員。2009年(平成21年)5月18日死去。83歳。(神道人名辞典、橿原神宮史続編)
18 飛鳥井雅慶 1937- 2007-2011 1937年(昭和12年)生。民間企業を経て1996年(平成8年)掌典職委嘱掌典。1999年(平成11年)掌典。2002年(平成14年)掌典次長。2007年(平成19年)10月1日、橿原神宮宮司。2009年(平成21年)6月26日、奈良県神社庁長。2011年(平成23年)7月31日退任。(橿原神宮史続編)
(松中久) 2011-2012 2011年(平成23年)8月1日宮司代務者。2012年(平成24年)3月12日退任。(橿原神宮史続編)
19 栃尾泰治郎 1941- 2012-2014 兵庫県出身。1965年(昭和40年)国学院大学神道学専攻科卒。同年、神社本庁録事。1981年(昭和56年)、神社本庁庶務部長。湊川神社宮司。2012年(平成24年)3月1日、橿原神宮宮司。10月4日、奈良県神社庁長。2014年(平成26年)2月24日退任。(神道人名辞典、橿原神宮史続編)
20 久保田昌孝 1951- 2014- 東京都出身。1951年(昭和26年)生。国学院大学神道学専攻科卒。1974年(昭和49年)橿原神宮に奉職。1975年(昭和50年)権禰宜。1997年(平成9年)禰宜。2014年(平成26年)2月25日、宮司代務者。9月1日宮司就任。(橿原神宮史続編)

権宮司

代数 名前 生没 在職 略歴
1 石上清治 1920-1923 三重県出身。陸軍歩兵少尉。1914年(大正3年)4月18日、西寒多神社宮司。1920年(大正9年)10月8日、橿原神宮権宮司。1923年(大正12年)5月26日、竈山神社宮司。のち結城神社宮司、三重県護国神社受持神官。
2 大坪富 1888-1966 1923-1925 のち諏訪大社宮司。1923年(大正12年)5月26日、橿原神宮権宮司。1925年(大正14年)6月30日退任。
3 二宮正彰 1894-1981 1925-1929 のち生国魂神社宮司。1925年(大正14年)6月30日、橿原神宮権宮司。1929年(昭和4年)3月5日退任。
4 石崎沢次郎 1929-1933 1929年(昭和4年)3月5日、橿原神宮権宮司。1933年(昭和8年)2月6日退任。
5 片山九皐 1933-1935 のち花園神社宮司。1933年(昭和8年)2月6日、橿原神宮権宮司。1935年(昭和10年)8月6日退任。
6 後閑克秀 1935-1942 1935年(昭和10年)8月6日、橿原神宮権宮司。1942年(昭和17年)3月19日退任。
7 長尾薫 1904-1982 1942-1943 のち橿原神宮宮司。1942年(昭和17年)3月19日、橿原神宮権宮司。1943年(昭和18年)3月27日退任。
8 篠塚庸之助 1905- 1943-1944 のち大洗磯前神社宮司。1943年(昭和18年)3月27日、橿原神宮権宮司。1944年(昭和19年)3月14日退任。
9 草場峻 1944-1946 1944年(昭和19年)3月14日、橿原神宮権宮司。1946年(昭和21年)2月2日退任。
10 草場峻 1946-1947 1946年(昭和21年)8月12日、橿原神宮権宮司。1947年(昭和22年)4月30日退任。のち神社本庁に奉職。
11 吉田智朗 1909-2003 1947-1948 のち湊川神社宮司。1947年(昭和22年)6月19日、橿原神宮権宮司。1948年(昭和23年)6月30日退任。著書『神道理論のプロレゴメナ』。
12 要邦光 1907- 1948-1949 のち大阪府神社庁参事。大阪府出身。1907年(明治40年)生。1930年(昭和5年)国学院大学卒。丹生川上神社吉備津神社吉野神宮を経て、1945年(昭和20年)橿原神宮主典。権禰宜、禰宜を経て1948年(昭和23年)6月30日、橿原神宮権宮司。1949年(昭和24年)6月30日退任。柏原神社宮司。1955年(昭和30年)から1963年(昭和38年)まで大阪府神社庁参事。
13 高階成章 1949-1954 1914年(大正3年)生。内務省神社局考証官補。1949年(昭和24年)6月30日、橿原神宮権宮司。1954年(昭和29年)5月12日退任。1979年(昭和54年)死去。
14 高階成章 1957-1964 1957年(昭和32年)4月3日、橿原神宮権宮司。1964年(昭和39年)9月1日退任。
15 長尾薫 1904-1982 1964-1970 のち橿原神宮宮司。1964年(昭和39年)11月13日、橿原神宮権宮司。1970年(昭和45年)7月13日退任。
16 山田正 1919-2002 1972-1982 のち橿原神宮宮司。1972年(昭和47年)1月15日、橿原神宮権宮司。1982年(昭和57年)5月26日退任。
17 江角弘 1928- 1988-1997 島根県出身。1928年(昭和3年)生。1946年(昭和21年)大社国学館卒。同年、神道大教出雲教会本院権少教理。1949年(昭和24年)春日大社権禰宜。1958年(昭和33年)橿原神宮権禰宜。禰宜を経て1988年(昭和63年)8月25日、橿原神宮権宮司。1997年(平成9年)2月28日退任。
18 伊勢美登 1924-2009 1997-2000 のち橿原神宮宮司。1997年(平成9年)4月1日、橿原神宮権宮司。2000年(平成12年)5月14日退任。
19 鷹森茂 2000-2007 2000年(平成12年)7月1日、橿原神宮権宮司。2007年(平成19年)7月31日退任。
20 松中久 2007-2014 2007年(平成19年)8月5日、橿原神宮権宮司。2011年(平成23年)8月1日宮司代務者。2014年(平成26年)3月31日退任。
21 山田敬介 2014-2017 2014年(平成26年)12月1日、橿原神宮権宮司。2017年(平成29年)7月31日退任。
22 西野敬一 2014- 2014年(平成26年)12月1日、橿原神宮権宮司。

画像

(国土地理院空中写真より)
(国土地理院空中写真より)


参考文献

  • 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%A9%BF%E5%8E%9F%E7%A5%9E%E5%AE%AE」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール