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歓喜光寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年11月23日 (火)

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本堂(旧法国寺本堂)

歓喜光寺(かんきこうじ)は、京都府京都市山科区大宅奥山田にある時宗寺院。かつての時宗六条派の拠点寺院。現在の本尊は阿弥陀如来だが、江戸時代の本尊は十一面観音であった。聖戒が山城八幡に善導寺として創建。八幡信仰天満信仰ゆかりの寺院。現在の真宗本廟枳殻邸のあたりに移り、のち寺町に遷った。錦天満宮を鎮守とした。河原院六条道場。山号は紫苔山。(参考:同名寺院歓喜寺善導寺_(同名)

目次

歴史

江戸時代の境内(『都名所図会』より)。錦天満宮の脇にあった。
現在の歓喜光寺(国土地理院空中写真より)

聖戒一遍の弟で、一遍の廻国遊行に同行した。一遍が石清水八幡宮に参詣したとき、神託を得た。 1291年(正応4年)、その縁で聖戒は石清水八幡宮の近くに善導寺を創建。 1299年(正安1年)、関白九条忠教の寄進で善導寺を河原院跡地に移転。 この時、同時に菅原院(菅原道真邸)跡から天満宮とその神宮寺であった歓喜寺を移転、合併して歓喜光寺と称したという。あるいは先に歓喜寺と天満宮が河原院の地に移転していたともいう。 江戸時代の記録で本尊とされる十一面観音は一般に天満宮の本地仏とされる。神宮寺としての性格が強かったか。

のち六条堀川の東南に移転。中昔京師地図に描かれる。このころ、六条道場の呼称が定まったとみられる。 六条風呂が名物だった。歌人が集まり、連歌会がたびたび開かれた。

1379年(天授5年/康暦1年)焼失。1419年(応永26年)焼失。1428年(正長1年)焼失。1434年(永享6年)焼失。1436年(永享8年)焼失。1437年(永享9年)9月6日、将軍足利義教が参詣。1490年(延徳2年)焼失。

1552年(天文21年)頃、高辻烏丸に移転。 六条東洞院にも寺地があり、そこで刑死者に十念を授けていたという。

天正年間、京極錦小路に移転。 1652年(承応1年)焼失。 1676年(延宝4年)、清浄光寺末寺となり、遊行派となる。この時点で六条派としての実態は失われていたと思われる。 1788年(天明8年)焼失。1864年(元治1年)焼失。 1872年(明治5年)、神仏分離で錦天満宮を分離。 1907年(明治40年)5月15日、東山五条の法国寺に移転し、同寺を併合した。錦天満宮は旧地に残った。 1975年(昭和50年)、山科の現在地に移転。

(『日本歴史地名大系』) たびたび出開帳や富くじ興行の会場となった。

  • 1722年(享保7年):嵯峨薬師寺(出開帳)(月堂見聞集)
  • 1783年(天明3年):白鳳寺(以下、富くじ興行)
  • 1786年(天明6年):青蓮院
  • 1790年(寛政2年):竹生島
  • 1825年(文政8年):竹生島
  • 1826年(文政9年):瑞龍寺
  • 1826年(文政9年):南宮大社
  • 1828年(文政11年):青蓮院


組織

歴代住職

  • 歴代住職は2世以降「弥阿(弥阿弥陀仏)」を名乗った。
世数 生没 在職 略歴
1 弥阿聖戒 1261-1323 一遍の弟。甥という説もある。1261年(弘長1年)生。越智氏。河野通定。六条派の祖とみなされる。鳥辺山の草庵で1323年(元亨3年)2月15日死去。63歳。『一遍聖絵』を編纂。「大乗戒受持の菩薩」であるとして「阿弥陀仏」号は名乗らなかった(弥阿弥陀仏を名乗ったというのは後世の付会で一遍聖絵に登場する弥阿弥陀仏も別人物)。一遍の旧跡を追って巡歴した。賦算には積極的でなかったという。伝記『開山弥阿上人行状』。
2 弥阿一色 1270-1333 1270年(文永7年)生。1333年(元弘3年/正慶2年)12月26日死去。64歳。
3 弥阿瑞光 1287-1359 1287年(弘安10年)生。1359年(正平14年/延文4年)2月27日死去。73歳。『開山弥阿上人行状』を記す。
4 弥阿正道 1296-1364 1296年(永仁4年)生。1364年(正平19年/貞治3年)3月28日死去。69歳。
5 弥阿心静 1308-1378 1308年(延慶1年)生。1378年(天授4年/永和4年)4月9日死去。71歳。
6 弥阿徳山 1328-1411 1328年(嘉暦3年)生。1411年(応永18年)1月18日死去。84歳。
7 弥阿住定 1339-1411 1339年(延元4年/暦応2年)生。1411年(応永18年)6月18日死去。73歳。
8 弥阿常然 1362-1421 1362年(正平17年/貞治1年)生。1421年(応永28年)5月4日死去。60歳。
9 弥阿浄安 1366-1436 1366年(正平21年/貞治5年)生。1436年(永享8年)9月3日死去。71歳。
10 弥阿成厳 1369-1435 1369年(正平24年/応安2年)生。1435年(永享7年)1月21日死去。67歳。
11 弥阿如山 1379-1437 1379年(天授5年/康暦1年)生。1437年(永享9年)5月26日死去。59歳。
12 弥阿安住 1384-1460 1384年(元中1年/至徳1年)生。1460年(寛正1年)3月13日死去。77歳。
13 弥阿常清 1395-1473 1395年(応永2年)生。1473年(文明5年)5月24日死去。79歳。
14 仇阿善念 1433-1493 1433年(永享5年)生。1493年(明応2年)6月10日死去。61歳。
15 弥阿上善 1437-1534 1437年(永享9年)生。1534年(天文3年)12月21日死去。98歳。
16 弥阿了幻 1442-1534 1442年(嘉吉2年)生。1534年(天文3年)3月15日死去。93歳。
17 弥阿観空 1465-1552 1465年(寛正6年)生。1552年(天文21年)7月12日死去。88歳。
18 弥阿底閑 1495-1573 1495年(明応4年)生。1573年(天正1年)5月14日死去(1572年(元亀3年)とも)。79歳。
19 弥阿順清 1526-1577 1526年(大永6年)生。1577年(天正5年)5月10日死去。52歳。
20 弥阿文閑 1542-1604 中興。1542年(天文11年)生。連歌師として活躍。 1604年(慶長9年)6月21日死去。63歳。
21 弥阿春重 1547-1607 1547年(天文16年)生。1607年(慶長12年)9月24日死去。61歳。
22 弥阿仙厳 1569-1623 1569年(永禄12年)生。連歌師として活躍。 1623年(元和9年)9月1日死去。55歳。
23 弥阿底相 1582-1654 1582年(天正10年)生。1654年(承応3年)8月21日死去。73歳。
24 弥阿今相 ?-1679 1679年(延宝7年)1月29日死去。
25 弥阿正教 ?-1689 1689年(元禄2年)9月22日死去。
26 弥阿陽山 ?-1717 1717年(享保2年)6月24日死去。
27 弥阿超現 1668-1731 後中興。1668年(寛文8年)生。錦天満宮を再建。1731年(享保16年)1月16日死去。64歳。
28 弥阿智元 1672-1732 1672年(寛文12年)生。1732年(享保17年)8月15日死去。61歳。
29 弥阿祖流 1703-1758 1703年(元禄16年)生。1758年(宝暦8年)4月17日死去。56歳。
30 弥阿輪山 1712-1781 1712年(正徳2年)生。1781年(天明1年)7月22日死去。70歳。
31 弥阿智寛 1744-1795 1744年(延享1年)生。1795年(寛政7年)7月23日死去。52歳。
32 弥阿対山 1682-1716 1682年(天和2年)生。1716年(享保1年)9月10日死去。35歳。
33 弥阿寛良 1772-1822 1772年(安永1年)生。1822年(文政5年)1月6日死去。51歳。
34 弥阿良随 1791-1843 1791年(寛政3年)生。1843年(天保14年)6月18日死去。53歳。
35 弥阿随冏 ?-1852 1852年(嘉永5年)11月3日死去。
36 弥阿文冏 1820-1892 1820年(文政3年)生。1892年(明治25年)5月23日死去。73歳。
37 弥阿良心 河野良心。時宗執事長。一蓮寺64世。龍華院。法阿。
弥阿 河野良康。

子院

江戸時代には以下の子院があった。

  • 満願寺:
  • 覚恩寺:
  • 金台寺:
  • 与願寺:
  • 行福寺:
  • 安念寺:鳥辺野にあった聖戒の隠居地か。
  • 清浄心院:
  • 長寿院:
  • 芳泉院:
  • 端月院:
  • 玉林院:
  • 正面庵:
  • 道照庵:

(日本歴史地名大系)

資料

歓喜光寺に関するまとまった研究はないようだ。

  • 「一遍上人絵伝」(勅修御伝、六条縁起)[1]
  • 「歓喜光寺絵図」(2002『社寺境内図資料集成2』所収)
  • 大橋俊雄『一遍と時宗教団』
  • 金井清光1970「六条道場歓喜光寺歴代世譜」『時衆研究』41
  • 河野憲善1982「史料紹介 現歓喜光寺碑と甲府一蓮寺碑読解と解説」『時宗教学年報』10[2](送信館限定)
  • 祢冝田成然1991「歓喜光寺弥阿より大浜愍冏への書簡」『時宗教学年報』19[3](送信館限定)
  • 大槻洋二1998「京都・新京極の成立母胎としての寺町:伝統都市の近代における歓楽街形成に関する史的研究 その1」[4]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%AD%93%E5%96%9C%E5%85%89%E5%AF%BA」より作成

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