ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

毘沙門堂

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

2022年12月17日 (土) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
移動: 案内, 検索
毘沙門堂門跡(国土地理院空中写真より)

毘沙門堂(びしゃもんどう)は、京都府京都市山科区安朱稲荷山町(山城国宇治郡)にある、毘沙門信仰天台宗門跡寺院。本尊は毘沙門天。天台宗延暦寺派門跡寺。護法寺、尊重寺、平等寺を合併して成立したという。江戸時代に天海、公海が復興。毘沙門堂門跡山科御殿出雲寺安国院。山号は護法山。

目次

歴史

双林院と輪王寺宮毘沙門堂墓地(国土地理院空中写真より)

『宇治郡名勝誌』では、703年(大宝3年)4月21日に文武天皇の勅願で京都出雲路(現在の上御霊神社から相国寺一帯)に創建されたというが、鎌倉時代初期に平氏ゆかりの3寺を統合して成立したとみられる。また出雲寺という名称の古代寺院(上御霊神社神宮寺)が出雲路の地にあったことが知られ、現在も出雲路山の山号を称する毫摂寺(福井県越前市、真宗出雲路派本山)も出雲路の地にあった(京都・毫摂寺)。何らかの関係があったとみられるがはっきりしない。

前身寺院の起源

  • 平安時代初期:葛原親王太秦・平等寺を創建。広隆寺の西にあった。のち焼失した。(平親範置文)
  • 平安時代初期:平親信、五辻に尊重寺が創建。廃絶して本尊のみが大原に移転した。(平親範置文)
  • 平安時代:平範家、伏見・護法寺を創建。大日如来釈迦如来薬師如来の丈六仏3体があった。阿弥陀堂と毘沙門堂もあった。(平親範置文)
  • 1161年(応保1年):護法寺、平治の乱で焼けたとみられ、本尊を北岩倉に移転。(平親範置文)
  • 1162年(応保2年):護法寺、堂宇を建てた。(平親範置文)
  • 1163年(長寛1年):護法寺は寺門派であったため、山門衆徒に焼かれた。(平親範置文)
  • 1165年(永万1年):残った護法寺の多聞天像を大原来迎院近くに移し、後年、堂宇を建てて祀った。(平親範置文)
  • 1195年(建久6年):護法寺、出雲路に移転した。(平親範置文)

桜の名所として

  • 1214年(建保2年)頃:平親範(円智)が平等寺・尊重寺・護法寺の3寺を統合。出雲路に五間の一宇を建てて3寺の本尊を祀り、西を平等寺、東を尊重寺、中を護法寺に擬した。(平親範置文)
  • 1233年(天福1年)2月21日:『明月記』に「毘沙門堂花半開云々」とあり、桜の名所だった。謡曲『西行桜』にも「毘沙門堂の花盛り」と謳われた。
  • 1339年(延元4年/暦応2年)11月6日:毘沙門堂付近が焼失(師守記)。のち廃絶したらしい。

日光門跡の出張所として再興

  • 1611年(慶長16年):後陽成天皇天海に復興を命じる。
  • 1665年(寛文5年):天海の弟子の公海が輪王寺宮日光門跡寛永寺)の京都での拠点として現在地に復興(輪王寺宮年譜)。
  • 1682年(天和2年):公弁法親王が入り、門跡寺院に加えられた。
  • 1686年(貞享3年):後西天皇の旧殿を宸殿として移築。

寺領1070石。

伽藍

  • 本堂
  • 霊殿:阿弥陀如来を本尊。歴代門主の位牌を祀る。1563年(永禄6年)京都御所から移築。
  • 宸殿:後西天皇の旧殿を1686年(貞享3年)移築。
  • 庫裏
  • 観音堂
  • 高台弁財天
  • 輪王寺宮毘沙門堂墓地

子院

  • 養源院:毘沙門堂の脇門跡とされた(国史大辞典)。
  • 双林院:
  • 龍華院:
  • 妙光院:

組織

住職

  • 公尊まで『日本仏家人名辞書』。「公海」~「玄航」は『望月仏教大辞典』。
  • 現在は毘沙門堂の住職を門主と称す。現在の任期は7年間。


  • 明禅(1167-1242)<>:林泉坊にいた。天台密教毘沙門堂流の祖の智海の弟子。あるいは明禅が毘沙門堂流の祖ともいう。晩年は浄土教に帰依し、法然門下の信空の弟子になったともいう。(高橋秀栄「毘沙門堂流の学匠たち」)
  • 顕瑜()<>:林泉坊にいた。
  • 経海(1207-1278)<>:
  • 公豪()<>:天台座主。
  • 実禅()<>:
  • 実超()<>:
  • 実尊()<>:
  • 実救()<>:
  • 実円()<>:
  • 実修()<>:
  • 公承(1406-1485)<>:三条実冬の子。天台座主。
  • 明円()<>:
  • 忠承()<>:
  • 公意()<>:
  • 覚真()<>:
  • 観経()<>:
  • 行然()<>:
  • 仙雲()<>:
  • 成尊()<>:
  • 仙尊()<>:
  • 遍豪()<>:
  • 公厳()<>:
  • 天海(1536-1643)<>:中興
  • 公海(1607-1695)<>:花山院忠長の子。寛永寺2世。久遠寿院と号す。
  • 守澄法親王()<>:輪王寺宮3代。『日本仏家人名辞書』になし。
  • 天真法親王()<>:輪王寺宮。『日本仏家人名辞書』になし。
  • 公弁法親王(1669-1716)<>:輪王寺宮。
  • 童形()<>:『望月仏教大辞典』になし。
  • 公尊法親王()<>:『望月仏教大辞典』になし
  • 公寛法親王()<>:輪王寺宮。
  • 公遵法親王()<>:輪王寺宮。
  • 公啓法親王()<>:輪王寺宮。
  • 公顕法親王()<>:輪王寺宮。
  • 公延法親王()<>:輪王寺宮。
  • 公澄法親王()<>:輪王寺宮。
  • 舜仁法親王()<>:輪王寺宮。
  • 公紹法親王()<>:輪王寺宮。公詔
  • 慈性法親王()<>:輪王寺宮。
  • 公現法親王()<>:輪王寺宮。能久親王
  • 今出川行全()<>:
  • 赤松光映(1819-1895)<>:天台座主233世。公英
  • 中山玄航(1828-)<>:天台座主238世。
  • 菊岡義哀(?-1936)<?-1936>:1928年(昭和3年)時点で滋賀院門跡。のち毘沙門堂門跡。1936年(昭和11年)2月18日死去。
  • 奥田公昭()<>:真正極楽寺
  • 杉谷義良(1870-1946)<>:自坊は寛永寺円珠院。
  • 渋谷慈鎧(?-1947)<-1940->:天台座主249世。
  • 中山玄秀(1879-1959)<>:天台座主250世。
  • 山中忍海()<1958->:宗務総長。早稲田大学卒。聖衆来迎寺住職。1958年(昭和33年)4月28日、毘沙門堂門跡門主。
  • 梅山円了(1903-1997)<1978-1991>:天台座主254世。
  • 誉田玄昭(1915-1999)<>:探題。延暦寺執行。自坊は延暦寺法曼院。天台声明の権威。兵庫県出身。1915年(大正4年)生。比叡山専修院(叡山学院専修科)卒。延暦寺一山会議議長。叡山学院教授。大津市議会議員。1966年(昭和41年)から翌年まで市議会議長。比叡山中高校長、幼稚園長。1990年(平成2年)頃、延暦寺執行、在職。勧学。毘沙門堂門跡門主。1997年(平成9年)探題。1999年(平成11年)12月11日死去。84歳。
  • 森川宏映(1925-)<1999-2006>:天台座主256世。1999年(平成11年)11月19日から2006年(平成18年)11月19日まで毘沙門堂門跡門主。2015年(平成27年)12月14日天台座主・延暦寺住職に就任。(略歴は延暦寺#組織を参照)
  • 61叡南覚範(1926-)<2007?-2020>:1926年(昭和1年)生。
  • 62今出川行雲(1936-)<2020-2027予定>:自坊は延暦寺大林院。滋賀県大津市出身。1937年(昭和12年)生。1960年(昭和35年)立命館大学文学部卒。1962年(昭和37年)叡山学院研究科卒。同年大林院住職。1983年(昭和58年)宗議会議員。1988年(昭和63年)延暦寺副執行・教化部長。2005年(平成17年)延暦寺執行。2008年(平成20年)比叡山居士林所長、延暦寺大霊園園長。2016年(平成28年)戸津説法。2020年(令和2年)11月19日、毘沙門堂門跡門主。


  • 「諸門跡伝―毘沙門堂・曼殊院・滋賀院」『華頂要略』142[1]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%AF%98%E6%B2%99%E9%96%80%E5%A0%82」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール