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水無神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
水無神社
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'''水無神社'''(みなし・じんじゃ)は岐阜県高山市一之宮町(飛騨国大野郡)にある神社。主祭神は[[御歳大神]]で、相殿に14柱を祀り、合わせて'''水無大神'''と総称する。戦後の一時期、[[熱田神宮]]の[[草薙剣]]が疎開して奉安されたことでも知られる。 [[官社]]・[[諸国一宮|飛騨国一宮]]・[[国幣小社]]・[[別表神社]]。[[伊勢神宮]]式年遷宮や[[大嘗祭]]に笏を献上する。 [[熱田神宮関連旧跡]]・[[神器関連旧跡]]。 数十年に一度の[[式年祭]]「飛騨の大祭」がある。'''水無大菩薩'''。 ==歴史== ===古代=== 創建不詳。祭神は諸説ある。 *851年(仁寿1年)1月27日正六位上(文徳実録) *867年(貞観9年)10月5日従五位上(三代実録) *868年(貞観10年)7月27日正五位下(三代実録) *871年(貞観13年)11月10日正五位上(三代実録) *873年(貞観15年)4月5日従四位下(三代実録) *881年(元慶5年)10月9日従四位上(三代実録) ===中世=== 1151年(仁平1年)、大江助高(大江匡房の孫)が祝となり派遣された。 建保年間に本地堂を建てて神仏習合が進んだという。 1585年(天正13年)の金森長近の進攻で衰退。神主の三木三沢が抵抗したが滅ぼされた。 しばらく[[飛騨・千光寺]]が別当を務めた。金森長近が1607年(慶長12年)、社殿造営。 ===近世=== 1695年(元禄8年)の検地以来、山下家と森家が神主を世襲したが、1773年(安永2年)の農民一揆「大原騒動」に加担した罪で断絶。代わって大江助高の末裔という梶原家が大宮司となる。この時、神仏分離が行われた。 また1779年(安永8年)から「飛騨の大祭」が行われるようになった。 ===近現代=== 1869年(明治2年)、位山に位山神社を創建。 1945年(昭和20年)、[[熱田神宮]]の[[草薙剣]]が疎開のため、水無神社に奉遷された。 ==境内== *神明社:摂社。 *天神社:摂社。 *中島社:摂社。 *稲荷社:摂社。 *白川神社:末社。ダム建設で沈んだ白川郷の神社を合祀して遷座。 *右回廊奉祀末社 *左回廊奉祀末社 *本地堂:本尊は[[釈迦如来]]。廃絶。 *阿弥陀堂:廃絶。 *[[位山]]:水無神社の奥宮。神体山ともいう。天岩戸など磐座が点在する。位山神社がある? *[[水無神社御旅所]]:御旅山。位山の遥拝所とも。神輿が渡御する。 *[[大幢寺]]:神社のそばにある。曹洞宗。水無神社社家の山下家・森家の菩提寺でもあった。 *[[三木祖霊社]]:寺の中にある。三木三沢(水無神社の神主)を祀る。 ==組織== 歴代宮司[https://dl.ndl.go.jp/pid/3448784/1/125] ===大宮司=== 大原騒動で山下家と森家が追放された後、信濃から梶原家が招聘され、明治まで「大宮司」と吉田家の「神祇道取締」を務めた。梶原家は[[大江氏]]。 *梶原家熊(1723-1801)<1778->:梶原家初代。 *梶原景直()<>:梶原家2代。 *梶原景審(1798-1872)<-1866->:梶原家3代。 *毛利茂()<-1872>:梶原家4代。毛利に改名。 ===宮司=== *上杉一枝まで『宮村史』[https://dl.ndl.go.jp/pid/3448784/1/126] {|class="wikitable" |+ !style="width:5%;"|歴代 !style="width:10%;"|名 !style="width:10%;"|生没年 !style="width:10%;"|在職年 !style="width:40%;"|略歴 |- |1 |塩川広平 |1842-1890 |1873-1873 |尊攘派の志士。武蔵国の元阿保稲荷神社の社家の出身。1842年(天保13年)生。幕臣だったが岩倉具視の内命を受けて幕府の動静を探る。1873年(明治6年)2月から3月23日まで水無神社宮司。[[教部省]]、司法省に勤務した。1890年(明治23年)6月2日死去。49歳。 |- |2 |松村清人 |?-1880 |1873-1873 |長野県出身。1873年(明治6年)3月末頃から4月2日まで水無神社宮司。[[伊弉諾神社]]宮司、[[岩木山神社]]宮司。(略歴は[[伊弉諾神宮#組織]]を参照) |- |3 |杉浦直樹 |?-1886 |1873-1873 |1872年(明治5年)3月頃、長崎でキリシタンへの教化に従事[https://dl.ndl.go.jp/pid/3365223/1/31]。1873年(明治6年)4月、帰京[https://dl.ndl.go.jp/pid/2982819/1/67]。同月16日から5月27日まで水無神社宮司。教部省出仕[https://dl.ndl.go.jp/pid/779613/1/32]。1874年(明治7年)5月頃、[[生国魂神社]]少宮司[https://dl.ndl.go.jp/pid/2938420/1/40]。[[広瀬神社]]禰宜。1879年(明治12年)12月27日、大講義から権少教正。1886年(明治19年)死去[https://dl.ndl.go.jp/pid/3545203/1/6]。 |- |4 |久米幹文 |1828-1894 |1873-1873 |水戸藩の[[国学者]]。本居内遠、平田鉄胤に師事。1873年(明治6年)6月4日、水無神社宮司。退任時期は不詳。[[田村神社]]、[[寒川神社]]、[[大麻比古神社]]の宮司を務めた。大八洲学会を設立。水廼舎と号す。(略歴は[[田村神社#組織]]を参照) |- |5 |服部友徳 |1816-1899 |1873-1873 |備前国上道郡出身の儒学者。[[閑谷学校]]で学び、亀井昭陽に学ぶ。[[氷川神社]]少宮司、[[浅間神社]]宮司を経て1873年(明治6年)8月2日、水無神社宮司。退任時期は不詳。 |- |6 |角田信道 |1846-1884 |1873-1873 |岩村田藩士。角田忠行(のち[[熱田神宮]]宮司)の弟。1846年(弘化3年)生。1873年(明治6年)10月30日から11月30日まで水無神社宮司。[[吉田神社]]宮司、[[広田神社]]宮司。1884年(明治17年)死去。(略歴は[[広田神社#組織]]を参照) |- |7 |島崎正樹 |1831-1886 |1874-1877 |尊攘派志士。角田忠行の盟友。文豪島崎藤村の父で、『夜明け前』主人公の青山半蔵のモデル。1831年(天保2年)生。[[足利将軍]]像梟首事件に関わる。1874年(明治7年)11月13日、水無神社宮司、1877年(明治10年)12月8日、辞職。1886年(明治19年)死去。 |- |8 |吉住頼武 |1821-1880 |1877-1880 |1821年(文政4年)生。1869年(明治2年)高山県権大属。同年の梅村騒動の「黒幕」という[https://dl.ndl.go.jp/pid/9539236/1/33]。1877年(明治10年)12月13日、水無神社宮司。1880年(明治13年)8月16日(26日とも)死去[https://dl.ndl.go.jp/pid/935954/1/132]。60歳。諡号は真本柱建雄心大人[https://dl.ndl.go.jp/pid/3440424/1/224]。礼卿。松窓。著書『梅村騒動実記』。 |- |9 |清水正信 |?-1895 |1880-1881 |1880年(明治13年)9月30日から1881年(明治14年)5月31日まで水無神社宮司。退任時期は不詳。1893年(明治26年)9月時点で[[小国神社]]宮司[https://dl.ndl.go.jp/pid/1084212/1/24]。1895年(明治28年)1月22日死去(官報)。 |- |10 |坂内須賀美 |1838-1913 |1881-1881 |陸奥国会津郡荒井村の熊野神社の社家の出身。1838年(天保9年)生。[[伊佐須美神社]]祠官。伊佐須美神社権宮司を経て1881年(明治14年)7月15日、水無神社宮司。退任時期は不詳。(略歴は[[伊佐須美神社#組織]]を参照) |- |11 |大池真澄 |1852-1923 |1881-1920 |飛騨高山出身。1852年(嘉永5年)生。1873年(明治6年)、[[伏見稲荷大社]]権宮司。1881年(明治14年)11月29日、水無神社宮司。1920年(大正9年)3月9日休職[https://dl.ndl.go.jp/pid/2954394/1/3]。1923年(大正12年)9月18日死去。 |- |12 |近藤弘代 |生没年不詳 |1920-1926 |三重県出身。1898年(明治31年)3月、[[神宮皇学館]]本科卒[https://dl.ndl.go.jp/pid/2947725/1/4]。1920年(大正9年)3月9日、水無神社宮司[https://dl.ndl.go.jp/pid/2954391/1/3]。1926年(昭和1年)5月13日、[[赤間宮]]宮司[https://dl.ndl.go.jp/pid/2956266/1/5]。1929年(昭和4年)3月5日、休職[https://dl.ndl.go.jp/pid/2957120/1/2]。1931年(昭和6年)3月4日休職満期[https://dl.ndl.go.jp/pid/2957750/1/6]。 |- |13 |河合繁樹 |1890-1972 |1926-1930 |[[神社本庁]]長老。初代[[宮城県神社庁]]長。宮城県出身。1890年(明治23年)生。[[皇典講究所]]庶務課長。[[宮崎神宮]]宮司、[[志波彦神社]][[塩竈神社]]宮司。1926年(昭和1年)5月13日から1930年(昭和5年)2月6日まで水無神社宮司。1972年(昭和47年)4月3日死去。(略歴は[[宮崎神宮#組織]]を参照) |- |14 |桜井稲麿 |1884-1937 |1930-1933 |埼玉県小川町出身。[[敢国神社]]宮司。[[飛騨総社]]社司。1930年(昭和5年)2月6日から1933年(昭和8年)5月22日まで水無神社宮司。[[全国神職会]]会報の編集を担当。桜井東花。(略歴は[[敢国神社#組織]]を参照) |- |15 |河崎正直 |1898-1985 |1933-1940 |石川県出身。1898年(明治31年)生。1925年(大正14年)[[国学院大学]]文学部道義科卒。同年[[伏見稲荷大社]]主典。1933年(昭和8年)5月22日から1940年(昭和15年)3月11日まで水無神社宮司。1940年(昭和15年)[[照国神社]]宮司、1945年(昭和20年)[[吉野神宮]]宮司。1984年(昭和59年)吉野神宮名誉宮司。1985年(昭和60年)1月22日死去。(略歴は[[吉野神宮#組織]]を参照) |- |16 |大住巌 |生没年不詳 |1940-1946 |1916年(大正5年)、[[皇典講究所]]神職養成部神職講習科修了[https://dl.ndl.go.jp/pid/3364903/1/50]。1924年(大正13年)時点で兵庫県三河村の大森神社社司[https://dl.ndl.go.jp/pid/1687434/1/903]。1926年(昭和1年)高等神職試験に合格[https://dl.ndl.go.jp/pid/3365029/1/73]。[[白山比咩神社]]禰宜[https://dl.ndl.go.jp/pid/2960449/1/6]を経て1940年(昭和15年)3月11日から1946年(昭和21年)2月2日まで水無神社宮司。 |- |17 |上杉一枝 |1893-1975 |1946-1975 |[[神社本庁]]長老。初代[[岐阜県神社庁]]長。岐阜県出身。1893年(明治26年)生。1915年(大正4年)岐阜県吉城郡春日神社社掌。1919年(大正8年)水無神社主典。全国神職会評議員。1939年(昭和14年)岐阜県議会議員。[[京城神社]]社掌。1946年(昭和21年)2月、神社本庁設立と同時に理事となる。1946年(昭和21年)6月23日、水無神社宮司。1948年(昭和23年)から1953年(昭和28年)まで神社本庁常任理事。1956年(昭和31年)から1967年(昭和42年)まで神社本庁評議員会議長。1969年(昭和44年)神道政治連盟初代会長。同年、神社本庁長老。1975年(昭和50年)1月30日死去。 |- |18 |西村兵衛 |生没年不詳 |1975-1984 |鳩谷八幡神社宮司[https://dl.ndl.go.jp/pid/3448801/1/418]。1975年(昭和50年)3月29日から1984年(昭和59年)4月6日まで水無神社宮司。 |- |19 |宇都宮敢 |1914-1994 |1984-1986 |本務は[[南宮大社]]。1914年(大正3年)生。1984年(昭和59年)4月6日から1986年(昭和61年)10月6日まで水無神社特任宮司。1994年(平成6年)6月10日死去。 |- |20 |藤枝和泉 |1930- |1986-2016 |岐阜県出身。1930年(昭和5年)生。1958年(昭和33年)国学院大学卒。高山日枝神社宮司。1986年(昭和61年)10月6日、水無神社宮司。著書『暮年記』。 |- |21 |牛丸大吾 |1960- |2016- |2016年(平成28年)水無神社宮司。 |} ===権宮司=== *山崎弓雄(?-1897)<1872-?>:岐阜県出身の神職。1872年(明治5年)権宮司。神職養成に尽くす。(『神道人名辞典』) ==画像== <Gallery> file:水無神社001.jpg| file:水無神社002.jpg| file:水無神社003.jpg| file:水無神社004.jpg| file:水無神社005.jpg| file:水無神社006.jpg| file:水無神社007.jpg| </Gallery> <!-- ==古典籍== --> ==参考文献== *土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』 ==脚注== <references/> [[category:岐阜県]]
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