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永観旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年9月25日 (月)

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永観(えいかん、ようかん)(1033-1111)は平安時代末の三論宗真言宗浄土教の僧。京都出身。東大寺別当83世。禅林寺7世中興。

略歴

石清水八幡宮別当元命の子。あるいは源国経の子とも。山崎国成寺に入り、不動明王の加護を得た。禅林寺深観に師事。密教を学んだ。東大寺戒壇院で受戒し、有慶に三論宗を学ぶ。1086年(応徳3年)維摩会講師。光明山寺に住し、のち禅林寺に移る。禅林寺7世。浄土教に傾倒。真言三論系の寺院だった禅林寺を浄土教に帰していく契機となり、中興とされる。長座念仏して舎利の倍増を得る。念仏行道に励むとき、阿弥陀像が先を走り、振り向き「永観遅し」と言ったという。永観堂の名の由来。 1100年(康和2年)5月21日、東大寺別当83世(「仏家次第」では73世)。在任中、大和国の夫役を興福寺のためでなく、東大寺修復のために用いるべきことを訴えた。七重塔、正倉院、食堂、大仏殿回廊などを修復した。1102年(康和4年)、興福寺衆徒が東大寺周辺に火を放つと、強訴のため八幡宮の神輿を初めて京都に入京させた。1102年(康和4年)辞職して禅林寺に帰った。1111年(天永2年)11月3日死去。著書『往生拾因』『往生講式』『弥陀経要記』『三時念仏記』など。永観律師。(『東大寺辞典』ほか)


旧跡

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