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求菩提山
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
求菩提山
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'''求菩提山'''(くぼてさん)は、福岡県豊前市にある霊山。[[英彦山]]六峰の一つ。標高782m。[[白山神]]を祀った。 == 歴史 == 継体天皇20年、猛覚魔卜仙が開山。慶雲元年、[[役小角]]が登拝。 養老4年(720)、行善が山を開き、[[白山権現]]を祭り、[[豊前・護国寺|護国寺]]を建てたとされる。のち平安時代末期の保延年間、頼厳という天台僧が護国寺を復興。 求菩提山の修験道を確立したとされ、銅板法華経(現存)を作ったことでも知られる。 中世には多数の経塚が築かれた。 大内氏の庇護を得て大永7年()12月、求菩提山法度を制定。 慶長頃から細川家の影響下となり、細川一族の法菩提院道閑が[[東寺]]にいながら求菩提山支配を兼務した。 元禄年間、小倉藩主小笠原の甥の小笠原内記が求菩提山座主に就任し、智徳院道達と称した。 以後、世襲し、藩主から150石を与えられた。 近世には[[聖護院]]の支配下にあった。 明治の修験道廃止、神仏分離で[[豊前・国玉神社|国玉神社]]が残った。 1878年、[[黒住教]]に入る。 昭和50年から遺跡の調査が行われている。 == 一覧 == *上宮地区 **[[豊前・国玉神社]]上宮:拝殿は平成3年の台風で倒壊。 **磐座:上宮の裏にある。 **護摩場:護摩壇は見つかっていないが重要な聖地だったらしい **辰の口:蒸気が上がる。大日如来が出現したとも *中宮地区 **[[豊前・護国寺]]:行善が創建。頼厳が中興。 **[[豊前・国玉神社]]中宮:旧北山殿。山王二十一社を祀る。 **多宝塔:明治33年に台風で倒壊。大永年間に発見された銅板法華経が収められていた。 **山門 **常行堂 **講堂 **食堂 **地蔵堂 **鬼神社:犬ヶ岳にいた8人の鬼を祀る。 *鳥居畑 **下宮:大山祇神社 **覚魔社 **鳥居 **仁王門 *座主墓地:小笠原系の座主の墓地 *山伏墓地: *玄冲塚:[[御霊神]]となった玄冲を祀る塚 *玄海墓: *毘沙門堂:豊照神社 *役行者堂 *山王社 *大行事社 *琴毘羅神社: *愛宕神社: *次郎坊天狗社 *獅子の口 *みそぎ場 *宝塔:頼厳の供養塔とも。国東型の石塔 *小笠原忠真の供養塔 ==院坊== *上谷 *中谷 *下谷 *杉谷 **学王院:座主坊。神護寺とも。 **岩屋坊:杉谷にある。建物は現存。昭和40年頃まで居住。 **安浄寺:山伏の葬儀を行った。跡地には[[地蔵菩薩]]と[[三十三観音]]が建てられている。 *西谷 *南谷 *北谷 *鬼石坊: *滝蔵坊:建物は現存。 *聖体十坊:運営を担った幹部寺院10寺のこと。聖躰坊。出入りがあったらしい。山伏ではなく、僧侶。 **北中坊:別当を担った寺院。座主の次位。下谷にあった。[[延暦寺正覚院]]末。 **安浄寺 **松福寺 **女鹿生寺 **坂口坊 *如法寺:現在は[[黄檗宗]]寺院。六峰の一つ。本尊は[[如意輪観音]]。宇都宮信房の中興。江戸時代初期、天台宗から黄檗宗となる。常在山。 ==岩窟== *大日窟:五窟の一つ。金剛窟とも。金剛界[[大日如来]]像が祀られていた(求菩提資料館に現存)。 *普賢窟:五窟の一つ。胎蔵窟とも。銅板法華経を発見。奥の方から水が落ちるような音が聞こえるという。[[水分神]]を祀ることもあった。 *多聞窟:五窟の一つ。 *吉祥窟:五窟の一つ。法華窟、千手窟とも。昭和初期まで法華経経筒が収められていた。窟の前には千手観音を祀っていた堂がある。 *阿弥陀窟:五窟の一つ。表に[[阿弥陀如来]]、裏に地蔵菩薩を彫った石仏があった。 *朝日窟:板碑がある。小さい窟。 *緑ケ岩屋: *不動窟:三重石塔がある。 *岩洞窟:狗ケ岩屋とも。[[薬師如来]]を祀る。天井壁画がある。石造の多宝塔、五輪塔、妙見像などがある。 *奥之院:中宮地区そばにある人為的に作られた窟。行者窟とも。 ==その他== ===求菩提山六峰=== 近世には大白山の求菩提山に対して小白山と呼ばれた *[[飯盛神社|飯盛山権現]]:[[豊前・東光寺|東光寺]]:西方:福岡県築上郡築上町寒田:勢実が東光寺を開く。神社は上宮と中宮があるらしい。山麓の水田調査で大型建物跡が見つかり、東光寺跡かと言われている。 *[[鬼塚神社|鬼ケ洲権現]]:---:北方:福岡県築上郡築上町湊:近年に干拓されるまでは浅い浜でつながっている島だった。満潮時には離れ小島になった。犬ケ岳で退治された鬼の頭を収めたと言われる。 *[[常在山権現]]:[[豊前・如法寺|如法寺]]:北東:福岡県豊前市山内:厳尊が開く。本尊は如意輪観音。写経所であったと言われ、銅板法華経もここで作られたとも言われる。現在は臨済宗寺院で黄檗宗所属。白山神社の他、不動堂、全国の神々を合祀する石龕がある。石塔群や伽藍跡伝承地が点在する。 *[[松尾山三社神社|松尾山権現]]:[[豊前・医王寺|医王寺]]:東方:福岡県築上郡上毛町:[[松尾山]]。元禄12年、求菩提山との関係を断つ。医王寺は神仏分離で廃絶。講堂旧本尊の薬師如来は覚円寺にある。輪蔵も覚円寺に移築された。松尾山三社神社には上宮・中宮がある。 *両界山権現:[[経読堂]]:東南:福岡県豊前市:経読岳(きょうよみたけ)。山頂に経読堂跡碑がある。 *宝勝山権現:[[豊前・長福寺|長福寺]]:南方:福岡県豊前市:犬ヶ岳にあったか。 *玉置権現:[[豊前・吉祥寺|吉祥寺]]:近世、飯盛山と交代 *釈迦岳権現:近世、鬼洲と交代。 *[[稲積山]]:[[稲積六神社]]:大分県宇佐市。 *稲積山:妙楽寺:大分県宇佐市。[[曹洞宗]]。稲積六神社の社僧。頼厳の墓がある。 *[[普智山]]:[[等覚寺]]:福岡県京都郡苅田町山口。求菩提山が復興してその支配下に入る。[[白山多賀神社]]がある。 *[[檜原山]]:[[正平寺]]:大分県中津市耶馬溪町中畑。松尾山の末寺。 == 資料 == ===古典籍=== *「求菩提山雑記」:『山岳宗教史研究叢書18 修験道史料集2西日本編』所収。 *「求菩提山縁起」:『山岳宗教史研究叢書18 修験道史料集2西日本編』所収。 *「華供峯中規定略記」:『山岳宗教史研究叢書18 修験道史料集2西日本編』所収。 *「一山法務之修法」:『山岳宗教史研究叢書18 修験道史料集2西日本編』所収。 *「求菩提山文書」:『福岡県史資料』所収。 *「求菩提山年中行事」:1973『日本祭礼行事集成6』平凡社所収。 ===調査報告=== *豊前市教育委員会監修2003『史跡「求菩提山」整備基本計画報告書』 *元興寺文化財研究所編1978『英彦山・求菩提山仏教民俗資料緊急調査報告書』 *1978『求菩提山 豊前市文化財調査報告書3』 *1992『求菩提 福岡県豊前市所在の修験道遺跡群詳細分布調査報告書 豊前市文化財調査報告書8』 *1989『求菩提山修験道遺跡 福岡県文化財調査報告書84』 *2008『史跡求菩提山 求菩提山護国寺 豊前市文化財調査報告書25』 *2011『史跡求菩提山 求菩提山安浄寺杉谷参道 豊前市文化財調査報告書28』 *2013『国史跡求菩提山 北谷・中谷坊跡/鬼石坊 豊前市文化財調査報告書32』 *2002『求菩提資料館常設展示図録』 *1978『豊前修験道・求菩提展 北九州市立歴史博物館第3回特別展』 ===文献=== *稲葉倉吉1941「求菩提山玄海法印の事蹟」『豊前郷土史論集』 *稲葉倉吉1941「求菩提登山記」『豊前郷土史論集』 *稲葉倉吉1941「如法寺まうで」『豊前郷土史論集』 *市場直次郎1955「求菩提山銅板経図像私考」『考古学雑誌』40-3 *1969『天狗の末裔たち 秘境・求菩提を探る』毎日新聞社 *重松敏美1969『豊州求菩提山修験文化攷』 *重松敏美1969『秘境求菩提』九州人文化の会 *重松敏美1971「求菩提山信仰と美術」『仏教芸術』81 *重松敏美1972「求菩提山出土の新発見銅製経筒」『月刊考古学ジャーナル』75 *重松敏美1973「武士と求菩提山」『小倉郷土会 記録』16 *重松敏美1983『求菩提・修験の世界』葦書房 *重松敏美1985「経塚の方位と、その選地の在方 7 経塚造営地の在方と求菩提山」『山岳修験』1 *重松敏美1986『山伏まんだら 求菩提山修験遺跡にみる』NHKブックス *重松敏美1991「求菩提山の構成にみる信仰方位軸と四方浄土の展開について」『山岳修験』7 *中野幡能1974「求菩提山と六郷山」『古代国東文化の謎 宇佐神道と国東文化』 *中野幡能「豊前の修験道と山岳信仰 求菩提山修験道の起源とその展開」『山岳宗教史研究叢書13 英彦山と九州の修験道』名著出版 *野間吉夫1969「求菩提山の石窟文化」『民藝』193 *広瀬梅次郎1970『求菩提山犬ヶ岳研究開発先覚者の遺徳を偲んで』 *宮小路賀宏1976「福岡県豊前市求菩提山経塚の調査」『月刊考古学ジャーナル』129 *友石孝之「求菩提山の松会」『山岳宗教史研究叢書13 英彦山と九州の修験道』名著出版 *高良竹美「求菩提山・宝満山の伝承」『山岳宗教史研究叢書16 修験道の伝承文化』名著出版 *恒遠俊輔2001『天狗たちの森 求菩提山と修験道』葦書房 *山口正博2005「《発見》された修験霊山 求菩提山をめぐる表象の力学」『神道宗教』199・200 *錦織亮介1980「求菩提山如法寺旧蔵両界曼荼羅図 金剛界八十一尊曼荼羅図の一作例」『西南地域史研究』4 *西ケ谷恭弘1998「求菩提山 岩窟巡る山伏修行の道場」『歴史と旅』388 *2006「山伏に託された人びとの祈り 近世の英彦山・求菩提山と里の交流」『図説田川・京築の歴史』郷土出版社 *2012「求菩提山上宮五重層塔」『日本石造物辞典』吉川弘文館 *2012「求菩提山中宮宝塔」『日本石造物辞典』吉川弘文館 *2012「求菩提山不動窟三重層塔」『日本石造物辞典』吉川弘文館 *江藤和幸2012「石造宝塔の編年試案(1)大分県中津市を中心に分布する「求菩提型宝塔」を中心として」『石造文化研究』30 *江藤和幸2015「石造宝塔の編年試案(2)大分県中津市を中心に分布する「求菩提型宝塔」を中心として」『石造文化研究』31 *桟比呂子2006『求菩提山 私の修験ロード』海鳥社 *『求菩提資料館ジャーナル』[http://kubote-historical-museum.com/journal.html](10-22号のみ閲覧できる) [[category:福岡県]]
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