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池田家御廟
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
池田家御廟
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'''池田家御廟'''は岡山県岡山市北区京山の池田家邸内にある岡山[[池田家]]の[[祖霊社]]。元は岡山城二の丸の西郭にあり、現在の榊原病院東門のあたり。'''池田家祖廟'''。池田家家廟。 == 歴史 == 1642年(寛永19年)の段階では祖先の位牌を岡山城内の仏殿に祀っていた。1655年(明暦1年)2月、池田光政は、歴代の神主(儒式の位牌)を作り、書院において祖先祭祀を儒式で執行。祝(斎主?)を熊沢蕃山が務めた。以後、祖先祭祀は儒式で行うこととした。1658年(万治1年)、御廟奉行を設置し、加世季弘を任命。1659年(万治2年)1月、二の丸西郭の「石山」に家廟を造営。2月、神主を廟に遷座した。 『家礼』に則った祭祀が江戸時代を通じて行われたらしい。 御廟は明治維新の際に撤廃して、[[芳烈祠遙拝所]]が移転してきて[[閑谷神社]]遙拝所となった。1928年(昭和3年)、東京池田家邸の祖廟をこの地に遷座した。この「祖廟」が江戸時代の御廟とどのような連続性を持つかは不明。戦後は再び「御廟」と称した。1983年(昭和58年)に池田家が土地を売却し、御廟は岡山京山の池田家邸内に遷座した。 当主の死去交代に当たっては「遷廟」「神主改題」が行われた。 「遷廟」は新たな死者の神主を収めるため、先代の神主の位置を移動させることである。神主の配置には細かい規程がある。「神主改題」は、旧当主からの親族関係で表記された神主にある名を、新しい当主からみた表記(祖父→曽祖父、室→母など)に書き換えることであり、全ての神主に書かれた名を改める必要がある。 ==社殿== 『家礼』に基づき造営された。奥の「御堂」は三つに分かれている。 池田光政の祝文では「同堂異室」とあるが、実際には「同堂異龕」に当たるという。 ==祭典== 『宗廟記』には以下のように祭日が定められており、『家礼』を踏襲している。彼岸や盆の祭祀はなかった。 *元日:1月1日 *朔日:毎月1日 *望日:毎月15日 *俗節:上巳(3月3日)、端午(5月5日)、七夕(7月7日)、重陽(9月9日)、上元(1月15日)、中元(7月15日) また出入必告、四季、忌日、祝事にも祭典を行った。 ==組織== ===御廟奉行=== *1加世季弘(1625-1684)<1658-1673>:[[中江藤樹]]の弟子。1658年(万治1年)就任。1673年(延宝1年)学校奉行就任。 *2泉泉窩(1623-1702)<1673->:[[熊沢蕃山]]の実弟。1673年(延宝1年)就任。 *小原宗介()<1743-1751>:1743年(寛保3年)6月就任。1751年(宝暦1年)10月退任。 *小原弥一郎()<1785->:1785年(天明5年)2月就任。学校奉行。 *市浦善蔵()<>:天保頃?学校奉行兼務。 [[category:岡山県]]
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