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池田家御廟
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年5月4日 (月)
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==組織== | ==組織== | ||
===御廟奉行=== | ===御廟奉行=== | ||
- | * | + | *1加世季弘(1625-1684)<1658-1673>:[[中江藤樹]]の弟子。1658年(万治1年)就任。1673年(延宝1年)学校奉行就任。 |
- | * | + | *2泉泉窩(1623-1702)<1673->:[[熊沢蕃山]]の実弟。1673年(延宝1年)就任。 |
- | * | + | *小原宗介()<1743-1751>:1743年(寛保3年)6月就任。1751年(宝暦1年)10月退任。 |
+ | *小原弥一郎()<1785->:1785年(天明5年)2月就任。学校奉行。 | ||
+ | *市浦善蔵()<>:天保頃?学校奉行兼務。 | ||
[[category:岡山県]] | [[category:岡山県]] |
2020年5月4日 (月) 時点における最新版
池田家御廟は岡山県岡山市北区京山の池田家邸内にある岡山池田家の祖霊社。元は岡山城二の丸の西郭にあり、現在の榊原病院東門のあたり。池田家祖廟。池田家家廟。
目次 |
歴史
1642年(寛永19年)の段階では祖先の位牌を岡山城内の仏殿に祀っていた。1655年(明暦1年)2月、池田光政は、歴代の神主(儒式の位牌)を作り、書院において祖先祭祀を儒式で執行。祝(斎主?)を熊沢蕃山が務めた。以後、祖先祭祀は儒式で行うこととした。1658年(万治1年)、御廟奉行を設置し、加世季弘を任命。1659年(万治2年)1月、二の丸西郭の「石山」に家廟を造営。2月、神主を廟に遷座した。 『家礼』に則った祭祀が江戸時代を通じて行われたらしい。
御廟は明治維新の際に撤廃して、芳烈祠遙拝所が移転してきて閑谷神社遙拝所となった。1928年(昭和3年)、東京池田家邸の祖廟をこの地に遷座した。この「祖廟」が江戸時代の御廟とどのような連続性を持つかは不明。戦後は再び「御廟」と称した。1983年(昭和58年)に池田家が土地を売却し、御廟は岡山京山の池田家邸内に遷座した。
当主の死去交代に当たっては「遷廟」「神主改題」が行われた。 「遷廟」は新たな死者の神主を収めるため、先代の神主の位置を移動させることである。神主の配置には細かい規程がある。「神主改題」は、旧当主からの親族関係で表記された神主にある名を、新しい当主からみた表記(祖父→曽祖父、室→母など)に書き換えることであり、全ての神主に書かれた名を改める必要がある。
社殿
『家礼』に基づき造営された。奥の「御堂」は三つに分かれている。 池田光政の祝文では「同堂異室」とあるが、実際には「同堂異龕」に当たるという。
祭典
『宗廟記』には以下のように祭日が定められており、『家礼』を踏襲している。彼岸や盆の祭祀はなかった。
- 元日:1月1日
- 朔日:毎月1日
- 望日:毎月15日
- 俗節:上巳(3月3日)、端午(5月5日)、七夕(7月7日)、重陽(9月9日)、上元(1月15日)、中元(7月15日)
また出入必告、四季、忌日、祝事にも祭典を行った。