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河内・極楽寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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大阪府河内長野市。 [[融通念仏宗]]の[[河内六別時]](中本山)の一つで、「錦部別時」と呼ばれた。河内西代藩(伊勢神戸藩)本多家の菩提寺。 錦渓山安養聚院と称す。[[阿弥陀如来]]を本尊とし、[[勢至菩薩]]、[[観音菩薩]]を両脇に祀る。 元亨元年(1321)、法明が創建。正中2年(1325)ともいう。この地は[[聖徳太子]]が建てた温泉寺の故地といい、創建とともに末寺としたが、廃絶した。 [[楠木正成]]の弟恵秀が入寺したともいうが不詳。 融通念仏宗独自の寺院形態である「挽道場」で、近隣の民家などを交代で道場としていたが、寛永19年(1642)に現在地に移ったという。 江戸時代初期に当地に西代藩を領した本多家の菩提寺となった(その後、伊勢神戸に転封。墓所はないようだ)。 近年、河内大仏が建立されている。 『大阪府全志』4巻 河内長野市ウェブサイト [[category:大阪府]]
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