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法園寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
法園寺
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[[ファイル:C952199F-E288-4528-8FB5-C6B74FF23750.jpeg|thumb|500px| ]] '''法園寺'''(ほうおんじ)は、京都府八幡市の[[石清水八幡宮]]近辺にある[[律宗]]寺院。石清水別当を世襲した田中家の菩提寺。本尊は[[釈迦如来]]。[[唐招提寺]]末で、[[善法寺]]、[[山城・金剛寺|金剛寺]]、[[八幡・大乗院|大乗院]]、[[寿徳院]]と共に石清水五律家の一つ。[[石清水八幡宮関連旧跡]]・[[唐招提寺関連旧跡]]。'''園寺'''(そのでら)・'''法薗寺'''ともいう。山号は雄徳山。 == 歴史 == 石清水別当28世の田中勝清の邸宅「園殿」(そのどの)が起源。慶清、道清と代々受け継がれ、1217年(建保5年)11月28日、別当34世の田中宗清が勝清・慶清・道清の墓所の傍らに仏堂を建て、[[阿弥陀]]・[[観音]]・[[勢至]]を祀った。のち1264年(文永1年)、別当39世の田中行清が伽藍を整備し、鎮守七社を祀った。そして唐招提寺中興[[覚盛]]門下で、[[東大寺]]大勧進11世の聖守を招聘して開山(中興開山)とした。聖守は法園寺に葬られたという。 南北朝の戦いで1338年(延元3年/暦応1年)焼失。『太平記』にも戦場となったことが描かれている。この後の再建の時に現在の本尊が造立されたらしい。文禄年間、地震で被災。江戸時代、朱印地90石を領した。1934年(昭和9年)9月、台風で大破。 (日本歴史地名大系) <Gallery widths="300" heights="200" perrow="3"> file:C2A774DD-4F0F-4A74-9ABB-6D2A31192A3C.jpeg file:C952199F-E288-4528-8FB5-C6B74FF23750.jpeg file:E34F5AEE-A70F-45CE-8E50-3E1941E08A4B.jpeg file:1FDB5E4F-15AA-4818-841F-D4A3588EB6E5.jpeg file:F392EBBE-27CD-448B-AABE-1516A925B1FF.jpeg file:ACAF982E-E69A-4781-A70A-62D3C8027F4C.jpeg file:87CC5751-C0F2-4AB8-9CD8-F90637097629.jpeg </gallery> [[Category:京都府]]
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