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法相宗
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
法相宗
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'''法相宗'''(ほっそうしゅう)は、[[北伝仏教]]・[[大乗仏教]]の一宗派。[[玄奘]]弟子の慈恩大師[[窺基]]を開祖とする。 == 一覧 == ===中国=== *[[大慈恩寺]] ===日本=== *[[興福寺]] *[[薬師寺]] *[[法隆寺]] *[[清水寺]] *[[元興寺]] ==人物== ===インド=== ===中国=== *[[玄奘]] *窺基:[[大慈恩寺]]に住す。慈恩大師。 *慧沼:淄州大師。 *智周(668-723):慧沼に師事。報城寺に住す。弟子に玄昉。通称は、撲揚大師。 ===朝鮮=== *円測 *欧陽竟无(1872-1943):中国近代の在家仏教者。楊文会に師事。唯識哲学を復興。 *湛然(711-781):天台宗の学僧。唯識にも通じる。 *智旭(1599-1655):天台宗の学僧。唯識にも通じる。 ===日本=== *道昭(629-700):日本法相宗の開祖。入唐僧。河内国丹比郡出身。船氏。元興寺で学び、653年(白雉4年)に入唐。玄奘に師事し、基と交わった。660年(斉明6年)帰国し、日本に初めて法相宗を伝えたことで著名だが、玄奘の勧めで隆化寺恵満(慧可の弟子)に禅を学び、初めて日本に禅を伝えた人物でもある。元興寺に禅院を設けた。日本初の大僧都。死後、日本で初めて火葬された。 *定慧(643-665):法相宗の入唐僧。藤原鎌足の長男。653年(白雉4年)、入唐。長安の慧日道場で神泰に学ぶ。12年滞在し、665年(天智4年)帰国してまもなく病死。父の墓を多武峰に築き、妙楽寺を開いたとされる。貞慧。 *智通(生没年不詳):法相宗第二伝。658年(斉明4年)に智達と共に入唐。玄奘や基に学ぶ。金剛山寺を創建したともいう。 *智達(生没年不詳):法相宗第二伝。658年(斉明4年)に智通と共に入唐し、玄奘や基に師事。帰国後、元興寺で法相宗を広めた。 *智鳳(生没年不詳):法相宗第三伝。新羅出身。703年(大宝3年)、智雄や智鸞と共に入唐し、智周に学ぶ。日本に戻り、元興寺で法相宗を広めた。 *義淵 *行信(生没年不詳) *護命 *仲継 *霊仙(生没年不詳) *実範(?-1144):興福寺の学僧。戒律復興。 *宗性(1202-1278):東大寺の学僧。倶舎論、華厳教学、唯識、因明学などを研究。 *凝然(1240-1321): *信培(1675-1747):浄土律の学僧。諸学に通じ、唯識や華厳を究める。詳細は[[律宗の諸師旧跡]]を参照。 *覚州(?-1756):華厳宗の僧侶。[[京都・華厳寺]]の鳳潭の弟子。唯識研究で知られ、『成唯識論』への書き入れが残り、参照される。中村宗玄。 *大鹿愍成(1857-1925):浄土宗知恩院派の学僧。宗教大学(大正大学)教授。金戒光明寺法主。唯識が専門。 *曽我量深(1875-1971):真宗大谷派の学僧。真宗学と唯識が専門。清沢満之の弟子。
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