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法華経寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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==歴史==
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富木常忍(日常)が創建した法華寺と大田乗明(妙日)が創建した本妙寺が合併して成立。現在の境内は妙本寺の寺地を受け継ぐ。法華寺の地は[[法華経寺奥之院|奥之院]]となっている。
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富木常忍(日常)が創建した法華寺と大田乗明(妙日)が創建した本妙寺が合併して成立。2人とも日蓮に師事した武士。現在の境内は妙本寺の寺地を受け継ぐ。法華寺の地は[[法華経寺奥之院|奥之院]]となっている。
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1282年、日蓮が亡くなると常忍は出家し、自らの館を寺にした。大田乗明の子の日高が二代を継ぎ、本妙寺と両寺一主制を取った。
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三代の日祐が積極的に布教。東北から九州まで勢力を広げ、中山門流の基礎を築いた。
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両寺が合併するのは1545年頃という。
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江戸時代、日珖が復興。
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戦後の一時期、離脱して中山妙宗を設立した。
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==伽藍==
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*祖師堂
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*法華堂
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*山門
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*鬼子母神堂
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*五重塔
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*刹堂
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*宇賀神堂
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*妙見堂
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*八大龍王社
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*聖教殿
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*荒行堂
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*奥之院
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*日常墓
==塔頭==
==塔頭==
*法宣院
*法宣院

2017年2月9日 (木) 時点における版

法華経寺(ほけきょうじ)は、千葉県市川市にある日蓮宗本山寺院日蓮宗久遠寺派大本山。中山門流の中心寺院。日蓮真筆『立正安国論』『観心本尊抄』などを所蔵。毎年11月1日から2月10日まで百日荒行が行われることで知られる。法華経寺関連旧跡も参照。頂妙寺京都・本法寺妙国寺が輪番で住職を務めた。正中山中山法華経寺

目次

歴史

富木常忍(日常)が創建した法華寺と大田乗明(妙日)が創建した本妙寺が合併して成立。2人とも日蓮に師事した武士。現在の境内は妙本寺の寺地を受け継ぐ。法華寺の地は奥之院となっている。

1282年、日蓮が亡くなると常忍は出家し、自らの館を寺にした。大田乗明の子の日高が二代を継ぎ、本妙寺と両寺一主制を取った。 三代の日祐が積極的に布教。東北から九州まで勢力を広げ、中山門流の基礎を築いた。 両寺が合併するのは1545年頃という。 江戸時代、日珖が復興。 戦後の一時期、離脱して中山妙宗を設立した。

伽藍

  • 祖師堂
  • 法華堂
  • 山門
  • 鬼子母神堂
  • 五重塔
  • 刹堂
  • 宇賀神堂
  • 妙見堂
  • 八大龍王社
  • 聖教殿
  • 荒行堂
  • 奥之院
  • 日常墓

塔頭

  • 法宣院
  • 浄光院
  • 安世院
  • 本行院

組織

住職

(『正中山法華経寺誌』)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E7%B5%8C%E5%AF%BA」より作成

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