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法起寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
法起寺
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'''法起寺'''(ほっきじ、ほうきじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町岡本にある、[[聖徳太子]]ゆかりの[[南都仏教]]寺院。[[法相宗]]系[[聖徳宗]]の[[南都仏教の本山寺院|本山]]。本尊は[[十一面観音]]。[[聖徳太子建立七寺]]の一つで、太子の[[岡本宮]]を寺としたと伝える。現存最古の三重塔がある。'''岡本寺'''。'''岡本尼寺'''。'''池尻寺'''。'''池後寺'''。'''池後尼寺'''とも。山号は岡本山。 ==歴史== 聖徳太子が[[法華経]]を講義した岡本宮を寺に改めたもの。 638年(舒明10年)、福亮が弥勒菩薩像を造立して金堂を建てた。 684年(天武13年)、恵施が三重塔を建立。 江戸時代には三重塔のみとなっていたが、 1678年(延宝6年)、[[神鳳寺]]中興・[[高野山円通寺]]2世・[[法隆寺北室院]]3世の真政円忍(1609-1677)が修復。 1694年(元禄7年)に講堂を再建。[[聖天堂]]も新たに建てられた。近年の発掘調査で寺院以前に建物があったことが分かっており、岡本宮跡の可能性がある。 [[法隆寺]]が戦後、[[法相宗]]を離脱し、[[聖徳宗]]として独立すると、当寺も従い、総本山、尼門跡寺院に次ぐ'''本山'''となった。 1960年(昭和35年)から発掘調査が行われた。 ==組織== ===歴代住職=== *1真政円忍(1609-1677):中興 *2純空恵性:河内南林寺住職か。 ==画像== <Gallery widths="300" heights="200" perrow="3"> file:法起寺001.jpg| file:法起寺002.jpg| file:法起寺003.jpg| file:法起寺004.jpg| file:法起寺005.jpg| file:法起寺006.jpg| file:法起寺007.jpg| file:法起寺008.jpg| file:法起寺009.jpg| file:法起寺010.jpg| file:法起寺011.jpg| </Gallery> ==参考文献== *『日本仏教基礎講座』 *『日本歴史地名大系』 *『国史大辞典』 [[category:奈良県]]
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