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法輪寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
法輪寺
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'''法輪寺'''(ほうりんじ)は奈良県生駒郡斑鳩町にある[[聖徳太子]]ゆかりの[[南都仏教]]の寺院。[[法相宗]]系[[聖徳宗]]の[[南都仏教の本山寺院|本山]]だったが、現在は単立寺院。本尊は[[薬師如来]]。太子が感得したという[[妙見菩薩]]を祀る妙見堂がある。[[法隆寺関連旧跡]]、[[興福寺関連旧跡]]。'''法琳寺'''、'''法林寺'''、'''三井寺'''、'''御井寺'''。妙見山。(参考:同名寺院[[法輪寺_(同名)]]) == 歴史 == [[File:斑鳩法輪寺_(4).jpg|thumb|300px|法輪寺・三重塔]] 創建については2説あり、「御井寺勘録寺家資財雑物等事」によると、推古30年、山背大兄王らが父聖徳太子の命で創建。 もう一つは『上宮聖徳太子伝補闕記』に670年(天智9年)の[[法隆寺]]の炎上後に百済僧が造営したという記事である。発掘調査では推古朝頃の造営とみられている。法隆寺式伽藍で規模は法隆寺の3分の2だった。 平安時代末には[[興福寺一乗院]]の末寺となる。 1441年(嘉吉1年)、諸堂を修復。のち[[豊臣秀吉]]の祈願寺となる。 江戸時代、1645年(正保2年)、暴風で金堂と講堂が倒壊し、三重塔の上層が破損した。 1731年(享保16年)、北西方の妙見山にあった妙見堂を境内に移転、 1737年(元文2年)、塔が修復された。 明治維新後は[[東寺]]の末寺となる。 1944年(昭和19年)落雷で塔が焼失。1975年(昭和50年)に塔が再建された。 1950年(昭和25年)12月10日、聖徳宗に転属(『法隆寺の秘話』)。 平成頃、聖徳宗を離脱して単立となる。 (国史大辞典、日本歴史地名大系ほか) <Gallery widths="200" heights="150" perrow="2"> File:斑鳩法輪寺_(1).jpg| File:斑鳩法輪寺_(2).jpg| File:斑鳩法輪寺_(3).jpg| File:斑鳩法輪寺_(5).jpg| File:斑鳩法輪寺_(6).jpg| File:斑鳩法輪寺_(7).jpg| File:斑鳩法輪寺_(8).jpg| File:斑鳩法輪寺_(9).jpg| File:斑鳩法輪寺_(10).jpg| File:斑鳩法輪寺_(11).jpg| </Gallery> ==組織== ===住職=== *井ノ上慶覚()<>: *井ノ上康生()<>: *井ノ上妙康(1961-)<2011->: [[category:奈良県]]
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