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法通寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
法通寺
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'''法通寺'''は大阪府東大阪市東石切町(河内国河内郡)にあった[[古代寺院]]。[[石切剣箭神社]]本殿の北に「法通寺」の字名が残り、跡地とみられる。7世紀末から鎌倉時代にかけての瓦が出土している。 [[聖徳太子]]の創建と伝える。『山槐記』1161年9月17日条によると、前関白藤原忠通が法通寺に対し、大江御厨への押領を止めるように命じている。 法通寺庄が成立し、1302年、吉田経長が[[興福寺]]領として寄進した。1381年、室町幕府は法通寺地頭職を[[石清水八幡宮]]に寄進した。 1984年の発掘調査では金堂の基壇跡とみられる遺構が見つかった。 石切剣箭神社の神宮寺との推測もある。 [[浄土真宗]]光養寺([[浄土真宗本願寺派]])は[[蓮如]]が法通寺を復興した道場であるといい、山号を法通山という。 1494年の河内合戦を描いた「河内御陣図」(福智院家文書)によると[[河内・往生院]]のあたりにあったと描く。 (『日本歴史地名大系』) [[category:大阪府]]
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