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法門寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
法門寺
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'''法門寺'''は、中国[[鳳翔]]郊外(陝西省宝鶏市扶風県)にある[[アショーカ王旧跡]]の寺院。中国を代表する[[仏舎利信仰]]の寺院。'''阿育王寺'''、'''無憂王寺'''とも。 == 歴史 == インドのアショーカ王(阿育王)が仏舎利を収めるために建てたとされる。その塔は「護国真身塔」と呼ばれた。元魏2年、舎利供養を行った記録がある。唐代には30年ごとの舎利供養が恒例となった。631年が初見で、勅許で塔を開いたところ、失明が治るという霊験を示し、数万人が押し寄せたという。その次からは舎利が都に運ばれて、いわば出開帳された。これは唐代に6回行われた。819年に都に仏舎利を迎えた時、喜捨が相次ぎ破産・失業するものが相次いだ。灯明を献じる代わりに身体の一部を燃やすものも現れた。 789年~790年には仏舎利の送迎が[[恵果]]に関わっており、仏舎利の位置付けについて恵果弟子の[[空海]]が835年に日本で始めた[[後七日御修法]]との共通性が指摘されている。(内藤栄2017「空海の舎利信仰の源流 後七日御修法とスリランカの仏歯供養」『鹿園雜集 奈良国立博物館研究紀要』[http://id.nii.ac.jp/1631/00000013/]) [[category:中華人民共和国陝西省]]
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