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扶余

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年9月2日 (土)

泗沘から転送)
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扶余は韓国忠清南道扶余郡扶余邑にある古都。538年~660年に百済の王都が置かれた。当時は泗〓(泗沘)と呼ばれた。「扶余」の名称は、百済や高句麗の王統の起源とされる満洲地方南部の民族名・国家名に由来する(現在も中国吉林省に「扶余市」がある)。百済は国号を「南扶余」と称したこともある。

一覧

  • 王宮:忠清南道扶余郡扶余邑扶蘇路周辺か。官北里遺跡と推定されているが確定されていない。
  • 扶蘇山城:忠清南道扶余郡扶余邑扶蘇路。
  • 皐蘭寺:忠清南道扶余郡扶余邑扶蘇路。扶蘇山の北麓にある。
  • 西腹寺:忠清南道扶余郡扶余邑扶蘇路。扶蘇山廃寺。扶蘇山の西南麓にある。
  • 忠霊祠:忠清南道扶余郡扶余邑扶蘇路。扶蘇山城。
  • 三忠祠:忠清南道扶余郡扶余邑扶蘇路。扶蘇山城。百済の忠臣の成忠・興首・階伯を祭る
  • 宮女祠:忠清南道扶余郡扶余邑扶蘇路。扶蘇山城。滅亡と共に死んだ宮女を祀る。1965年建立。
  • 道江影堂:忠清南道扶余郡扶余邑扶蘇路。扶蘇山城南。
  • 扶余神宮:忠清南道扶余郡扶余邑。扶蘇山城に計画された。祭神は応神天皇斉明天皇天智天皇神功皇后。未鎮座のまま廃絶。
  • 定林寺:忠清南道扶余郡扶余邑東南里。扶蘇山城の南方にある。
  • 東南里廃寺:忠清南道扶余郡扶余邑東南里。
  • 国立扶余博物館:忠清南道扶余郡扶余邑東南里。
  • 王興寺:忠清南道扶余郡窺岩面新里。扶蘇山城の北側、錦江の対岸にある。
  • 羅福里古墳群:忠清南道扶余郡窺岩面羅福里。
  • 文献書院:忠清南道扶余郡窺岩面
  • 虎岩寺:
  • 臨江寺:忠清南道扶余郡扶余邑県北里。錦江の下流にある。
  • 佳塔里廃寺:忠清南道扶余郡扶余邑佳塔里。
  • 旧校里廃寺:忠清南道扶余郡扶余邑旧校里。
  • 旧衙里廃寺:忠清南道扶余郡扶余邑旧衙里。
  • 軍守里廃寺:忠清南道扶余郡扶余邑軍守里。薯童公園内。
  • 百済五千決死隊忠魂塔:忠清南道扶余郡扶余邑軍守里。薯童公園内。
  • 錦城山廃寺:忠清南道扶余郡扶余邑錦城路。
  • 陵山里古墳群:忠清南道扶余郡扶余邑陵山里。東郊外にある。
  • 陵山里廃寺:忠清南道扶余郡扶余邑陵山里。陵山里古墳群にある。
  • 龍井里廃寺:忠清南道扶余郡扶余邑龍井里。
  • 楮石里古墳群:忠清南道扶余郡扶余邑楮石里。
  • 滄江書院:忠清南道扶余郡扶余邑楮石里。
  • 道譲寺:忠清南道扶余郡扶余邑か。『三国史記』「百済本紀」に660年5月に落雷で塔が焼失とある。跡地不詳。
  • 天王寺:忠清南道扶余郡扶余邑か。『三国史記』「百済本紀」に660年5月に落雷で塔が焼失とある。扶余旧衙里百済遺跡とする説がある。
  • 白石寺:忠清南道扶余郡扶余邑か。『三国史記』「百済本紀」に660年5月に落雷で講堂が焼失とある。跡地不詳。
  • 漆岳寺:忠清南道扶余郡扶余邑か。『三国史記』「百済本紀」に法王(在位599-600)が雨乞いを行ったとある。 跡地不詳。
  • 義烈祠:
  • 恩山別神堂:忠清南道扶余郡恩山面
  • 金剛寺:忠清南道扶余郡恩山面琴公里。
  • 芝仙里古墳群:忠清南道扶余郡外山面芝仙里。
  • 烏含寺:忠清南道保寧市聖住面聖住里。三国史記に登場。
  • 聖住寺:忠清南道保寧市聖住面聖住里。禅宗。廃絶。百済時代の烏含寺跡地にある。
  • 普光寺:忠清南道扶余郡林川面加神里。聖住山。
  • 大鳥寺:忠清南道扶余郡林川面旧校里。
  • 無量寺:忠清南道扶余郡外山面万寿里。
  • 彰烈書院:忠清南道扶余郡九龍面金寺里。四十七書院の一つ。彰烈祠、扶余彰烈祠ともいう。

画像

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%89%B6%E4%BD%99」より作成

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