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津島神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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津島神社
つしま じんじゃ
Tsushima-jinja (32).jpg尾張地方の神社独特の「蕃塀」
概要 代表的な牛頭天王奉斎神社の一つ。
奉斎 建速須佐之男命
(土岐昌訓論文)
所在地 愛知県津島市神明町1
所在地(旧国郡) 尾張国海部郡
所属(現在) 神社本庁
格式など 式内社朱印地拝領神社国幣小社別表神社
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目次

概要

津島神社(つしま・じんじゃ)は、愛知県津島市にある牛頭天王津島信仰の総本社。祭神は建速須佐之男命大穴牟遅命朱印地拝領神社国幣小社別表神社。かつての佐屋川と天王川(津島川)に挟まれた向島(天王島、神島)に鎮座する(佐屋川は埋め立てられた)。社殿は尾張造という地方独特の社殿構成を備える。津島神社関連旧跡。例祭は津島祭・天王祭として知られる。通称は津島牛頭天王津島天王

歴史

社伝によると欽明天皇元年6月1日、対馬国から牛頭天王が来臨したのが起源という。蘇民将来末裔という姥が託宣を受け、居森に祀ったという。平安時代書写とみられる『無量義経』と『観普賢経』に「尾州津嶋牛頭天王」にあるのが史料上の初出。年代がはっきりしているものでは、1175年(安元1年)書写の大般若経(七寺蔵)に「多度・津嶋・南宮・千代」とあるのが初出となる。すでに多度大社南宮大社に並ぶ大社として扱われていることが分かる。『吾妻鏡』の1188年(文治4年)2月2日条に、「尾張国津嶋社」の「板垣冠者」という者への荘園年貢不納の訴えを却下した記事がある。

偽書とされるが『浪合記』に1370年(建徳1年)1月25日、神階正一位と「日本総社」の号を授けられたとある(社伝によると810年(弘仁1年)のことという)。

1591年(天正19年)、豊臣秀吉が楼門を寄進。1598年(慶長3年)、豊臣秀頼が四脚門を寄進。1605年(慶長10年)本殿造営。

中世、御師を全国に派遣し信仰を広げた。1598年(慶長3年)の檀那帳によると上野・越後・越中・越前・甲斐・信濃・飛騨・美濃・遠江・三河・尾張・伊勢・志摩・近江・山城・丹波・播磨・紀伊・伊予・豊後の20国に信者を持っていた。1638年(寛永15年)には陸奥・出羽・下野・常陸・武蔵・上総・下総・安房・相模・伊豆・駿河・加賀・能登・伊賀・但馬・出雲の16国も加わって36国に信仰圏が広がっていた。木曽川沿いに分霊社が多いと言われるが、関東では健田須賀神社がある。 1620年(元和6年)、徳川義直から黒印地1293石を寄進したが、改めて1665年(寛文5年)、将軍徳川家綱が朱印地として寄進。

幕末、有栖川家の祈祷所となる。

1873年(明治6年)県社。1926年(昭和1年)10月1日、国幣小社に昇格(内務省告示第148号)。

1899年(明治32年)、佐屋川は埋め立てられた。

(国史大辞典、日本歴史地名大系、神社ウェブサイト)

境内ほか

境内案内図、境内解説板および神社ウェブサイトに基づく。津島神社関連旧跡も参照。

  • 本社:本殿は三間社流造檜皮葺。1605年(慶長10年)の再建。
  • 荒御魂社:摂社。祭神は建速須佐之男命荒御魂。旧称は蛇毒神社で、八岐大蛇を祀っていたとも。1437年(永享9年)造営。1759年(宝暦9年)再建。
  • 居森社:摂社。祭神は建速須佐之男命幸御魂。元宮の一つ。津島神社の最初の鎮座地。欽明天皇元年、蘇民将来末裔の老女が神船を高津の湊の森に寄せて霊鳩の神託で森の中に祀った旧跡。1591年(天正19年)豊臣秀吉母の大政所が寄進して再建。1759年(宝暦9年)再建。
  • 柏樹社:摂社。祭神は建速須佐之男命奇御魂。元宮の一つ。757年(天平宝字1年)?、居森社の地から遷座した旧跡。社の後ろに柏の古樹が生えていた。1760年(宝暦10年)造営。別称は柏宮、柏社。
  • 和魂社:摂社。祭神は建速須佐之男命和御魂。元は姥ケ森(愛知県愛西市町方町海用)にあり、姥社、蘇民社と称した(今も跡地に姥ケ森社がある)。姥ケ森は素盞鳴尊が来臨の時、蘇民将来末裔の老女が神託を受けたところといい、岩窟があったという。1760年(宝暦10年)造営。明治維新で境内に遷座か。
  • 八柱社:摂社。祭神は天忍穂耳命天之菩卑命天津日子根命活津彦根命熊野樟毘命多紀理毘売命市寸島比売命多岐津比売命八王子信仰を参照)。旧称は八王子社。1672年(寛文12年)造営。寛文年間までは本社相殿に祀られていた。
  • 弥五郎殿社:摂社。祭神は大穴牟遅命武内宿禰命。津島神社の社家紀氏の祖。官社「国玉神社」の論社という。1673年(延宝1年)造営。1348年(正平3年/貞和4年)に四条畷の戦いで南朝武将として戦死した社家の堀田正泰(弥五郎)が造営したため、この名があるという。


  • 疹社:末社。祭神は須佐之男命和御魂。居森社に並ぶ。1591年(天正19年)造営。
  • 大日〓社:末社。祭神は大日〓貴命。居森社に並ぶ。
  • 照魂社:末社。津島地区の招魂社。祭神は戦没者1170柱。1951年(昭和26年)10月9日、祖霊社として御垣内に旧津島町出身の戦没者658柱を祀る。1954年(昭和29年)10月10日、現在地に遷座し、全津島市の戦没者を合祀し照魂社と改称。1957年(昭和32年)9月、拝殿を造営し、鳥居を元歩兵第六連隊忠霊祠から移築した。



  • 白山社:境外末社。祭神は大穴牟遅命。1381年(弘和1年/永徳1年)三奥村(愛西市見越町)に創建。1608年(慶長13年)現在地に遷座。
  • 市神神社:境外末社。愛知県津島市米之座町。1381年(弘和1年/永徳1年)創建。祭神は大市比売命。1837年(天保8年)修造。2019年(令和1年)再建。


  • 姥ケ森社:愛知県愛西市町方町海用。
  • 堤下神社:愛知県津島市本町。祭神は須佐之男命奇御魂。現在津島神社にある鉄燈籠がここにあったという。金燈籠社。当初は天王川を隔てた場所にあった津島神社の遥拝所だったという。「とうげ・じんじゃ」。
  • 八剱社:愛知県津島市中野町。
  • 大土社:愛知県津島市今市場町。境外末社。祭神は土大御祖神。土ノ御前社。現在の本殿は1903年(明治36年)の再建。1929年(昭和4年)改修。1914年(大正3年)に石神社を、1929年(昭和4年)10月の改修時に琴平社を境内に遷座した。「土」の漢字は点のある字体を用いる。
  • 石神社:愛知県津島市今市場町。大土社境内。
  • 琴平社:愛知県津島市今市場町。大土社境内。
  • 御旅所:天王川公園の北にある。丸池の北岸にあたる。通常は赤い鳥居と基壇があるのみ。朝祭の斎場となる。朝祭の前日に神輿が渡御し、当日に還御する。
  • 神葭刈場:愛知県愛西市立田町か。神葭(みよし)を育てている。朝祭14日前に「神葭刈場選定神事」を行い、朝祭4日前に「神葭刈神事」で刈り取る。翌日、神社で「神葭揃神事」を行い、「真の神葭」と、葉付き・人形・四垂・十二把物・六把物の6種類(5種類?)の神葭を奉製。「真の神葭」は本殿内陣に奉安し、昨年奉安した「真の神葭」と取り替える。他の神葭は本殿外陣に奉安される。
  • 神葭漂着地:一年間本殿内陣に奉安されて撤下された「真の神葭」と当年に奉製された他の神葭が、朝祭翌日未明の「神葭放流神事」で天王川に流される。天王川がせき止められる以前は下流や伊勢湾の沿岸地まで流れ着いた。漂着したところでは神事が行われて祠などを立てて祀った。しかし、せき止められて丸池となった現在は丸池の中で祀る。その場所は毎年変わる。放流神事の翌日に「神葭着岸祭」が行われ、池の中の神葭の周辺に円形に竹を立てて注連縄を張る。堤防の上に遙拝所を設ける。神葭着岸祭から75日間この状態が続く。朝祭から9日後午後4時と10日後午前10時には池に舟を出して「神葭祭」を斎行する。朝祭の77日後(神葭着岸祭の75日後)に神葭納神事が行われる。
  • 神葭島:丸池に浮かぶ小島。鳥居が立つ。神葭納神事が終わった後、神葭をこの島に納める。


  • 秋葉神社:愛知県津島市橋詰町。
  • 御嶽神社:愛知県津島市宮川町。

組織

前近代では神職長官を「神主」と称し、紀氏の氷室家が世襲した。紀氏は武内宿禰の末裔。氷室家の祖は紀国範とされるが、紀有常とする説もある。氷室の名は尾張国中島郡氷室村(愛知県稲沢市氷室町)に由来する。中世以降、『浪合記』で南朝の尹良親王王子の良王が継いだという説が流布された。また津島四家七党四姓(津島十五党)と呼ばれる社家がいた。そのうち真野家から真野時綱(1648-1717、延命寺に墓)が国学者として活躍した。

神主(前近代1)

  • 紀国範():
  • 紀範基():氷室を称す。
  • 紀範長():仁治年間在職。
  • 紀牛王丸():1242年(仁治3年)在職。
  • 紀近三郎太夫():1416年(応永23年)在職
  • 紀宗長():1437年(永享9年)、1442年(嘉吉2年)在職。
  • 紀長吉():1472年(文明4年)在職。
  • 紀広長():1540年(天文9年)在職。

(尾張群書系図部集など)

神主(前近代2)

  • 良王(1415-1492)<1435-1492>:南朝の伝説的な人物。尹良親王の王子。後醍醐天皇皇曽孫。1435年(永享7年)12月、津島神社神主となる。1492年(明応1年)3月5日死去。78歳。墓所は津島・瑞泉寺良王神社がある。
  • 氷室良新()<>:
  • 氷室貞常()<>:養子。
  • 氷室広長()<>:1540年(天文9年)在職。
  • 氷室勝長()<>:
  • 氷室長盛()<1579-1629>:1579年(天正7年)就任。1629年(寛永6年)退任。
  • 氷室長俊()<1629-1635>:1629年(寛永6年)就任。1635年(寛永12年)退任。
  • 氷室長吉()<1637-1658>:1637年(寛永14年)就任。1658年(万治1年)退任。
  • 氷室長徳()<1658-1673>:石黒良通次男。1658年(万治1年)就任。1673年(延宝1年)退任。
  • 氷室良長()<1674-1694>:吉見宮内次男。1674年(延宝2年)就任。1694年(元禄7年)退任。
  • 氷室長命()<1694-1709>:堀田右馬大夫家の出身。1694年(元禄7年)就任。1709年(宝永6年)退任。
  • 氷室長満()<1709-1728>:氷室長命の弟。1709年(宝永6年)就任。1728年(享保13年)退任。
  • 氷室亮長()<1728-1770>:多田義俊に国学を学ぶ。1728年(享保13年)就任。1770年(明和7年)退任。
  • 氷室長英()<1770-?>:1770年(明和7年)就任か。
  • 氷室豊長(1784-1863)<1807-?>:松井弘高の次男。氷室長翁。歌人として著名。墓所は常楽寺。1807年(文化4年)就任。
  • 氷室泰長(1811-1855)<>:熱田神宮大宮司千秋家の次男。
  • 氷室為長()<1853-?>:1853年(嘉永6年)就任か。

(尾張群書系図部集など)

津島十五党

  • 津島四家:大橋、岡本、山川、恒川
  • 七党:堀田、平野、服部、真野、鈴木、河村、光賀
  • 四姓:宇佐見、宇都宮、開田、野々村


宮司

  • 吉村清享(生没年不詳)<1926-?>:山口県出身の神職。大神神社宮司から転任。経歴不詳。
  • 伊達巽(1894-1988)<1937-1944>:1937年(昭和12年)津島神社宮司。1944年(昭和19年)、大日本神祇会常務理事。(明治神宮#組織を参照)
  • 久保恵一()<>:
  • 和出泰夫()<>:
  • 伊藤祥文 ()<>:
  • 堀田正裕()<2018->:

画像

資料

  • 『尾張名所図会』[1]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%B4%A5%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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