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津田永忠墓
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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岡山県和気郡和気町吉田にある岡山池田家重臣の津田永忠(1640-1707)の墓。津田永忠は池田光政と池田綱政の2代に仕え、熊沢蕃山の跡を継ぐ儒学者として活躍し、岡山藩の安定した政治の基礎を築いた名臣と評価されている。池田光政時代に、和意谷墓地の造営、閑谷学校の開設、社倉米制度の制定などを手掛け、池田綱政時代に新田開発と財政再建、曹源寺や正覚谷墓地の造営、吉備津彦神社の再建、後楽園の造園などに関わった。1707年(宝永4年)2月5日、岡山城下で死去。別邸に近くに儒教式の墓が築かれた。周囲に親族も葬られている。