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津軽家の祭祀

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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津軽家は陸奥国津軽郡を支配した大名家。源氏または藤原氏。弘前藩主。外様大名。

目次

歴代

前身

  • 金沢家光():
  • 金沢家信():
  • 大浦光信(1460-1526):種里城主。種里八幡宮祭神。菩提寺は曹洞宗弘前長勝寺。種里城跡に大浦光信墓がある。種里八幡宮や曹洞宗弘前海蔵寺を創建。南部光信とも。法号は功樹院殿長勝寺隆栄大居士。
  • 大浦盛信():大浦城主。曹洞宗弘前長勝寺を創建。南部盛信とも。法号は大浦院殿鎮山源流大居士。
  • 大浦政信(?-1541):大浦城主。近衛尚通の庶子という伝承がある。母は大浦光信の娘。曹洞宗弘前天津院を創建。法号は天津先公大禅定門。
  • 大浦為則():大浦城主。1560年、岩木山神社の山頂の祠を再建。

弘前津軽家

豊臣時代に45000石。1601年、表高47000石。1808年、10万石。1884年、伯爵。

  • 1津軽為信(1550-1607):大浦為則の婿。実父は武田重信。大浦為信、南部為信とも。津軽地方を統一。近衛家から家紋を拝領する。1603年、弘前城の築城を始める。
  • 2津軽信枚(1586-1631):津軽為信の三男。青森港を開く。信牧とも。
  • 3津軽信義(1619-1655):津軽信枚の長男。新田・鉱山の開発に努めた。
  • 4津軽信政(1646-1710):津軽信義の長男。治水・新田開発・植林に努めた。『津軽古文書』を編纂。号は養正軒。
  • 5津軽信寿(1669-1746):津軽信政の次男。『津軽一統志』編纂を命じる。俳人としても活躍。初名は信重。
  • 6津軽信著(1719-1744):津軽信寿の孫。津軽信興の長男。早世。
  • 7津軽信寧(1739-1784):津軽信著の長男。俳諧を嗜む。
  • 8津軽信明(1762-1791):津軽信寧の長男。天明の大飢饉で武士の帰農を奨励。
  • 9津軽寧親(1765-1833):黒石津軽家津軽著高の長男。本家を継ぐ。新田開発に尽力。藩校稽古館を設置。蝦夷地警備が財政を逼迫。
  • 10津軽信順():
  • 11津軽順承():
  • 12津軽承昭():

黒石津軽家

1809年、大名に昇格。子爵。

  • 1津軽信英():


菩提寺

  • 長勝寺:青森県弘前市西茂森。津軽家霊廟がある。曹洞宗。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%B4%A5%E8%BB%BD%E5%AE%B6%E3%81%AE%E7%A5%AD%E7%A5%80」より作成

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