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浅草寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
浅草寺
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'''浅草寺'''(せんそうじ)は、東京都台東区にある[[観音信仰]]の[[天台宗]]寺院。[[坂東三十三所観音霊場]]の第13番札所。本尊は'''聖観世音菩薩'''。関東随一の古刹で参詣者が非常に多い。[[関東祈祷所]]。[[聖観音宗]]総本山。'''浅草観音'''。'''金龍山伝法院'''。 ==歴史== [[推古天皇]]36年(628)3月18日、漁師の'''檜前浜成'''と'''竹成'''の兄弟が宮戸川(隅田川)で網を投げて漁をしていたところ、閻浮檀金製の1寸8分(約5.5cm?)の聖観音像を得た。そこで集落の長であった'''土師中知'''が自宅を寺として奉安した。大化元年(645)、'''勝海'''という僧侶がこの地に来たとき、宝塔を建て本尊を秘仏と定めた。そのため勝海を開山とする。実際の起源は不詳だが奈良時代の仏具が発掘されているという。 天安元年(857)、[[円仁]]が滞在したとされ、御前立本尊を彫り、中興開山とする。 [[平将門]]の乱で焼失するが、天慶5年(942)、平国香の弟の公雅が復興、伽藍を整備した。関東の名刹としての威容を備えたのはこのときという。のち[[源頼朝]]が堂宇を修理し、戦勝祈願の報賽として寺領を寄進した。災害や戦乱で何度も焼失と再建を繰り返した。 [[徳川家康]]が江戸に入ると、徳川家の祈願寺となり、その庇護を受けてますます発展した。貞享・元禄(1684-1704)頃から門前町が発展し、江戸東京を代表する繁華街となった。江戸時代中期の元文5年(1740)以来、[[寛永寺]]が兼帯した。 東京大空襲で焼失し、戦後、昭和33年に再建された。[[天台宗延暦寺派]]から独立して、[[聖観音宗]]を立てた。 ==伽藍== *本堂:本尊は聖観音。[[梵天]]と[[帝釈天]]の他、[[不動明王]]、[[愛染明王]]を祀る。背面に裏観音を祀る。1649年(慶安2年)再建の本堂は1945年(昭和20年)の東京大空襲で焼失。1958年(昭和33年)に再建。 *[[浅草寺駒形堂]]:本尊は[[馬頭観音]]。浅草観音の上陸の地にある観音堂。隅田川にかかる駒形橋の傍らに鎮座。628年(推古36年)に観音が出現したのがこの地という。2003年(平成15年)再建。 *[[浅草寺東照宮]]:浅草寺にあった[[東照宮]]。浅草神社に合祀か。 *[[浅草寺淡島堂]]:祭神は[[淡島明神]]。本尊として[[阿弥陀如来]]、本地仏として[[虚空蔵菩薩]]、取子地蔵尊も祀る。元禄年間、[[加太神社]]から分霊して創建。東京大空襲で焼失した本堂の代わり、仮本堂として使われた時期もある。1994年(平成6年)に現在地に遷座。 *大平和塔:1963年(昭和38年)建立。 *写経供養塔:1994年(平成6年)建立。 *[[浅草神社]]:鎮守。浅草寺開基の3人を祀る。浅草寺東照宮も合祀。現在は独立した神社。郷社。 *[[待乳山聖天宮]]:[[歓喜天]]を祀る。浅草寺の北東にある。小さな丘にあり595年(推古3年)に突然出現した霊山という。601年(推古9年)、観音が歓喜天の姿で出現して人々を救ったという。 *雷門:南側に風神・雷神、北川に天龍と金龍を祀る。焼失と再建を繰り返している。1635年(寛永12年)造営のものが1642年(寛永19年)に焼失した記録がある。1960年(昭和35年)、松下幸之助の寄進で再建。 *五重塔:現在はスリランカ・[[イスルムニヤ寺院]]伝来の仏舎利を祀る。阿弥陀三尊と百体観音を祀る。1648年(慶安1年)再建の塔は東京大空襲で焼失。現在と異なり境内東側にあった。1973年(昭和48年)再建。 *宝蔵門:金剛力士を祀る仁王門。1945年(昭和20年)東京大空襲で焼失。1964年(昭和39年)再建。[[鶴岡八幡宮]]旧蔵の「元版一切経」を上部に収める経蔵を兼ねる。 *影向堂:聖観音を中心に、守り本尊八体を影向衆と呼び祀る。1994年(平成6年)の建立。 *薬師堂:本尊は[[薬師如来]]。1649年(慶安2年)建立の伽藍が現存。1994年(平成6年)現在地に遷座。橋本薬師堂。 *銭塚地蔵堂:本尊は六地蔵尊。兵庫県西宮市山口町の銭塚地蔵尊を勧請したもの。1964年(昭和39年)再建。 *二天門:1649年(慶安2年)建立のものが現存。元は浅草寺東照宮の随神門だった。神仏分離までは豊岩間戸命、櫛岩間戸命を祀っていた。鶴岡八幡宮から広目天と持国天が遷されたが修理先で東京大空襲で焼失。1957年(昭和32年)、[[寛永寺厳有院廟]]の持国天・増長天を遷した。 *鎮護堂:本坊伝法院内にある。周辺に住み着いていたタヌキを1883年(明治16年)に鎮護大使者として祀った。 *弁天堂:[[弁財天]]を祀る。弁天山にある。かつては池の中の小島になっていた。1983年(昭和58年)再建。 *久米平内堂:久米平内を祀る。 ==子院== *日本歴史地名大系に基づく *現存は「法人番号公表サイト」に基づく {|class="wikitable" |+ !style="width:20%;"|名称 !style="width:10%;"|エリア !style="width:10%;"|格式 !style="width:10%;"|現存 !style="width:60%;"|備考 |- |[[浅草寺伝法院|伝法院]] |南谷 |本坊 | |旧称は知楽院。1690年(元禄3年)伝法院と改称。現在は独立した法人格は持っていない。伝法心院の略称という。大玄関・客殿・使者の間・大台所・大書院・住職の間や庭園がある。客殿に阿弥陀三尊を祭り、左右には徳川歴代将軍、そして浅草寺歴代住職の位牌を奉安する。鎮護堂がある。 |- |寿命院 |南谷 |寺僧 |● | |- |円乗院 |南谷 |寺僧 | | |- |正福院 |南谷 |寺僧 | | |- |智光院 |南谷 |衆徒 |● | |- |正智院 |南谷 |寺僧 |● | |- |長寿院 |南谷 |寺僧 |● | |- |勝蔵院 |南谷 |寺僧 | | |- |梅園院 |南谷 |衆徒 |● |旧称二王小屋 |- |実相院 |南谷 |衆徒 |● |旧称宝蔵院 |- |松寿院 |南谷 |衆徒 | |旧称月祥院 |- |金蔵院 |南谷 |衆徒 |● | |- |観智院 |南谷 |寺僧 |● |旧称養光院 |- |日音院 |南谷 |衆徒 |● | |- |自性院 |東谷 |衆徒 |● | |- |寿徳院 |東谷 |寺僧 | | |- |金剛院 |東谷 |寺僧 |● | |- |法善院 |東谷 |寺僧 |● |旧称龍泉院 |- |妙音院 |東谷 |寺僧 |● |姥宮を管理していた。 |- |顕松院 |東谷 |衆徒 | |三社権現([[浅草神社]])別当だった。藜堂一ノ権現社を管理していた。 |- |覚善院 |東谷 |寺僧 | | |- |医王院 |東谷 |衆徒 |● |旧称福寿院 |- |教善院 |北谷 |寺僧 | |旧称蓮乗院 |- |無動院 |北谷 |衆徒 |● | |- |誠心院 |北谷 |寺僧 |● |旧称愛教院 |- |延命院 |北谷 |寺僧 |● |旧称十善院または智泉院 |- |徳応院 |北谷 |寺僧 | |旧称賢福院または真性院 |- |吉祥院 |北谷 |寺僧 |● |旧称華蔵院 |- |妙徳院 |北谷 |寺僧 |● | |- |修善院 |北谷 |衆徒 | |北谷の富士浅間社と諏訪社を管理していた。 |- |泉蔵院 |北谷 |寺僧 |● | |- |泉凌院 |北谷 |寺僧 | | |- |善龍院 |北谷 |寺僧 |● |旧称恵明院 |- |本龍院 |不詳 |衆徒 | |境外にある。[[待乳山聖天宮]]を管理。 |- |遍照院 |不詳 |寺僧 | |旧称安楽院。かつては浅草寺一山の火葬所だった。本尊は阿弥陀如来。1964年(昭和39年)再建。葛飾北斎終焉の地。 |- |弥勒院 |不詳 |不詳 | | |- |宝性院 |不詳 |不詳 | | |} *専堂坊:土師中知の末裔。還俗して[[浅草神社]]神職となる。 *斎堂坊:檜前浜成の末裔。 *常音坊:檜前竹成の末裔。 ==組織== ===歴代別当=== 浅草寺別当を称した。1738年(元文3年)から輪王寺宮が浅草寺別当を兼務。別当代が置かれた。[https://dl.ndl.go.jp/pid/2986339/1/363] {|class="wikitable" |+ !style="width:5%;"|世数 !style="width:10%;"|名前 !style="width:10%;"|生没年 !style="width:10%;"|在職年 !style="width:40%;"|略歴 |- | |勝海 |生没年不詳 |645- |開山。 |- | |[[円仁]] |794-864 |857- |天台密教を確立。[[天台宗山門派]]の開祖とされる。 |- | |寂海 |?-1286 | |橋場長昌寺鐘銘に名前がある。[[日蓮宗]]に帰依。1286年(弘安9年)11月1日死去。 |- | |忠海 |生没年不詳 | |不詳。 |- | |忠善 |生没年不詳 | |不詳。 |- |1 |忠豪 |?-1609 |?-1609 |中興。江戸城代の遠山直景の子。知楽院を本坊とする。1535年(天文4年)に焼失した伽藍を1581年(天正9年)に再建を果たす。1609年(慶長14年)8月4日死去。権大僧都。忠孝とも。 |- |2 |忠尊 |?-1639 |1610?-1639 |伊丹政富の子。忠豪の甥。[[日光山]]観音院を開く。1610年(慶長15年)頃、浅草寺別当。1617年(元和3年)[[紅葉山東照宮]]別当を兼ねる。1636年(寛永13年)別当領200石下付。1639年(寛永16年)11月18日死去。権僧正。忠存とも。 |- |3 |忠運 |1630?-1686 |1648-1685 |忠尊の甥。伊丹直吉の子。1648年(慶安1年)浅草寺別当。1685年(貞享2年)7月、犬を捨てたため幕府の怒りを買い追放される。下総法漸寺([[葛飾八幡宮]]別当)に隠棲。以後、寛永寺が人選。1686年(貞享3年)8月27日死去。『御府内備考続編』では忠円を入れるのは忠運のことか。(日本人名大辞典ほか) |- |4 |宣存 |1639-1708 |1690-1693 |寛永寺執当。1688年(元禄1年)12月、紅葉山東照宮別当。1690年(元禄3年)、寛永寺東漸院から転任。伝法院の[[院室]]号を賜る。1693年(元禄6年)退任。寛永寺明王院に住す。1708年(宝永5年)3月17日死去。70歳。[[戸隠山]]の[[乗因]]の師。権僧正。 |- |5 |最純 |?-1710 |?-1710 |寛永寺執当。寛永寺見明院を経て1691年(元禄4年)[[寛永寺護国院]]4世となり執当となる。1690年(元禄3年)から1694年(元禄7年)まで[[伯耆大山寺]]学頭。1693年(元禄6年)権僧正となり寛永寺等覚院に住す。同年、浅草寺別当か。1702年(元禄15年)6月、大僧正。1710年(宝永7年)2月13日死去。寛永寺顕照院。覚王院と号す。 |- |6 |公然 |?-1730 |1710-1730 |内大臣花山院定誠の猶子。[[寛永寺寒松院]]に住す。1710年(宝永7年)2月、浅草寺別当。1730年(享保15年)11月20日死去。寛永寺松林院に住す。僧正。仏頂光院と号す。 |- |7 |公英 |1696-1756 |1730-1738 |寛永寺執当。京都出身。[[源氏]]。中納言六条有藤の子。仏頂光院公然の弟子。1722年(享保7年)6月、寒松院から伝法院に住す。1730年(享保15年)浅草寺別当。1738年(元文3年)退任(1740年(元文5年)とも)。1756年(宝暦6年)7月27日死去。61歳。寛永寺松林院に住す。正僧正。恵日院と号す。 |} ===別当代=== *1理乗院慧道()<1740-1760>:初代別当代。智泉院と改称。院室唯識院を兼務。 *2常応院性洞()<1760-1770>: *3善応院覚邦()<1770-1773>: *4恵命院実心()<1773-1779>: *5即心院観光()<1779-1785>: *6境智院秀亨()<1785-1789>: *7興善院智賢()<1789-1797>: *8善王院高薫()<1797-1799>: *9恵門院淵海()<1799-1804>: *10是心院海侃()<1804-1816>: *11理乗院唯順()<1816-1820>: *12境智院敬親()<1820-1829>: *13浄国院貞興()<1829-1837>: *14理乗院明忍()<1837-1840>: *15恵門院謙海()<1840-1844>: *16安住院亮貫()<1844-1855>: *17興善院瓏覚()<1855-1855>: *18喜見院実諄()<1855-1858>: *19恵命院俊応()<1858-1868>: 歴代別当代は小島信泰「近世後期における浅草寺別当代の就任過程」[https://ci.nii.ac.jp/naid/110007145918/]による 東京都社寺備考[https://dl.ndl.go.jp/pid/1917756/1/98]、浅草寺志[https://dl.ndl.go.jp/pid/1256067/1/248] ===歴代貫首(近現代)=== 聖観音宗の独立以後は貫首と称す。 {|class="wikitable" |+ !style="width:5%;"|世数 !style="width:10%;"|名前 !style="width:10%;"|生没年 !style="width:10%;"|在職年 !style="width:40%;"|略歴 |- |18 |唯我韶舜 |1825-1886 |1873- |出雲出身。1825年(文政8年)生。1873年(明治6年)浅草寺住職。1886年(明治19年)死去。 |- |19 |奥田貫昭 |1846-1900 |1890- |京都出身。1846年(弘化3年)3月16日生。[[延暦寺松林院]]で学ぶ。1874年(明治7年)[[護浄院]]住職。1880年(明治13年)[[善光寺大勧進]]副住職。1890年(明治23年)浅草寺住職。明治33年10月2日死去(9月22日とも)。55歳。菩提心院。 |- |20 |修多羅亮延 |1841-1917 |1900- |自坊は遍照院。天台宗大学学長。1841年(天保12年)12月5日生。1852年(嘉永5年)[[寛永寺松林院]]で得度。1868年(明治1年)三門跡行事職。1869年(明治2年)浅草寺別当代。1873年(明治6年)[[教導職]]十四級試補。1878年(明治11年)教導職権中講義。1880年(明治13年)権大講義。1865年(慶応1年)[[延暦寺宝積院]]住職。1882年(明治15年)市谷[[自証院]]住職。1900年(明治33年)[[武蔵・安養寺]]住職。同年、浅草寺住職。 |- |21 |救護栄海 |1851-1928 |1918- |寛永寺住職20世。[[江戸・輪王寺]]門主17世。1851年(嘉永4年)生。1918年(大正7年)1月22日、一宗公選で浅草寺住職[https://dl.ndl.go.jp/pid/943746/1/44]。1928年(昭和3年)死去。(略歴は[[寛永寺#組織]]を参照) |- |22 |大森亮順 |1878-1950 |1928-1950 |仏教学者。天台宗宗務総長。浅草寺住職。東京出身。1878年(明治11年)生。1892年(明治25年)群馬[[光巌寺]]で得度。天台宗東部大学黌卒。1916年(大正5年)、天台宗務庁総務。[[大正大学]]設立に尽力。1938年(昭和13年)大正大学学長。1928年(昭和3年)浅草寺住職。1933年(昭和8年)戸津説法。1934年(昭和9年)3月8日延暦寺執行。合併天台宗の宗務総長を1941年(昭和16年)7月1日から1942年(昭和17年)7月28日まで。1950年(昭和25年)6月7日死去。71歳。『伝教大師全集』『天台宗全書』を発行。(20世紀日本人名事典) |- |23 |'''大森真応''' |1882-1951 |1950-1951 |聖観音宗初代管長。大森亮順の従兄弟。1882年(明治15年)生[https://dl.ndl.go.jp/pid/1905144/1/46]。自坊は浅草寺医王院。1901年(明治34年)天台宗大学卒。大正大学、専修大学、叡山大学で教鞭を執る。1950年(昭和25年)6月、浅草寺貫首。9月、[[天台宗延暦寺派]]から離脱して「聖観音宗」を設立。初代管長となる。1951年(昭和26年)11月、死去。68歳。 |- |24 |清水谷恭順 |1891-1979 |1952- |仏教学者。群馬出身。1891年(明治24年)生。天台宗大学卒。自坊は浅草寺善龍院。1942年(昭和17年)[[善光寺大勧進]]95世。1919年(大正8年)天台宗大学教授。1926年(昭和1年)大正大学教授。1952年(昭和27年)浅草寺貫首・聖観音宗管長2代。1979年(昭和54年)8月8日死去。著書多数。 |- |25 |守山良順 |1902-1993 | |浅草寺貫首。管長3代。1902年(明治35年)生。1993年(平成5年)1月31日死去。91歳。 |- |26 |壬生台舜 |1913-2002 |1989-1996 |自坊は浅草寺泉蔵院。1913年(大正2年)生。大正大学仏教学部卒。大正大学教授。1989年(平成1年)浅草寺貫首・管長4代に就任。1996年(平成8年)退任。2002年(平成14年)6月13日死去。 |- |27 |清水谷孝尚 |1919-2014 |1996-2014 |長野県上田市の[[信濃・常楽寺]]の出身。天台座主半田孝淳の実弟。1919年(大正8年)生。1941年(昭和16年)大正大学文学部卒。1946年(昭和21年)浅草寺善龍院住職。1996年(平成8年)浅草寺貫首・管長5代に就任。2014年(平成26年)10月28日死去。 |- |28 |田中昭徳 |不詳 |2015-現職 |武蔵野音楽大学卒。1970年(昭和45年)浅草寺妙音院住職。執事長などを経て2015年、浅草寺貫首・管長6代に就任。 |} ==参考文献== *浅草寺ウェブサイト *東京名所図会[https://dl.ndl.go.jp/pid/9641010/1/9] *江戸名所図会[https://dl.ndl.go.jp/pid/2982546/1/112] *『南無観世音―金竜山縁起正伝』[https://dl.ndl.go.jp/pid/819694/1/1] *浅草区誌[https://dl.ndl.go.jp/pid/2986339/1/360] *東京都社寺備考[https://dl.ndl.go.jp/pid/1917756/1/97] *浅草寺志[https://dl.ndl.go.jp/pid/1256067/1/1] *浅草寺縁起[https://dl.ndl.go.jp/pid/1175189/1/1] [[category:東京都]]
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