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浦添ようどれ

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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浦添ようどれは、沖縄県浦添市にある、英祖王統第二尚氏の陵墓。中山王統の居城である浦添城の北側崖下に北面してある。「極楽陵」「極楽山」ともいう。

歴史

咸淳9年(1273)に英祖王によって造営された。察度王統の王族も葬られていた可能性が指摘されている。英祖王陵、尚寧王陵。石棺に沖縄最古の仏像彫刻がある。英祖王統時代には東西の室があり、木槨があったという。崖面にテラスのような前庭があったが現在のような石牆はなかった。尚巴志王の時代の改修で、前庭を拡張して、一番庭と二番庭が造営され、石牆で囲い込まれた。

第3代尚真王の世子である尚維衡が浦添城に封じられ、1540年に没して浦添ようどれに葬られたが、のちに玉陵に改葬されたという。1620年に第7代尚寧王によって改修されて、拡張された。東室に第7代尚寧王とその父・追尊尚懿王などが葬られている。1759年には天山陵から尚寧王妃が西室に改葬された。

沖縄戦で壊滅的被害を受けたが、1956年に琉球政府によって修復された。1996年から2005年にかけて、浦添市教育委員会によって調査・修復された。 (安里進「琉球王国の陵墓制」)

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