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滋賀院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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滋賀院(しがいん)は、滋賀県大津市坂本にある天台宗の門跡寺院。本尊は薬師如来。江戸時代以降、比叡山延暦寺の本坊で、輪王寺宮の比叡山での御所。天台宗延暦寺派門跡寺。法勝寺を継承するという説がある。天海が創建した。内仏殿、宸殿、慈眼堂、輪王寺宮滋賀院墓地(治定外)などがある。天台宗務庁が隣接。滋賀院門跡、滋賀御殿、滋賀院御殿。山号は比叡山。
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歴史
1615年(元和1年)、天海が後陽成上皇から京都御所の高閣を授かり移築したのが起源。あるいは慈円の別坊であった法勝寺を移築したとも、もともとこの地に慈円の別坊があったともいう。移築は1635年(寛永12年)のことともいう。
1655年(明暦1年)、輪王寺宮尊敬法親王(守澄法親王)が天台座主に就任し、移住した時、父の後水尾上皇から滋賀院の号を賜った。同年、寺領1000石が寄進された。以後、歴代輪王寺宮が住して延暦寺運営の中心となり本坊となった。寛文年間、境内を整備。天台座主が坂本に滞在するようになったため、他の僧侶も坂本に住むようになり、周辺にも里坊が発展していった。
1710年(宝永7年)、伯耆国大山寺が輪王寺宮の「御抱え」となり、大山寺学頭が滋賀院の兼務となり、滋賀院留守居が管轄し、大山寺本坊の西楽院に代官を派遣した。
1878年(明治11年)火災で焼失。1880年(明治13年)延暦寺山上の建物を移築して復興した。書院は無動寺谷学頭法曼院の御殿を移築した。
伽藍
敷地は約1万平方m。小堀遠州作の庭園、渡辺了慶など狩野派の襖絵などが有名。
- 内仏殿:滋賀院本尊の薬師如来と両脇に智顗と最澄を祀る。
- 奥殿:後陽成上皇、後水尾上皇、明治天皇、徳川将軍歴代、江戸時代以降の天台座主歴代の位牌が祀られている。
- 慈眼堂:開山堂。天海を祀る。
- 輪王寺宮滋賀院墓地:治定外。
組織
歴代住職
輪王寺宮を参照
- 「諸門跡伝―毘沙門堂・曼殊院・滋賀院」『華頂要略』142[1]