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潮江天満宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年2月18日 (日)

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潮江天満宮(うしおえ・てんまんぐう)は、高知県高知市天神町(土佐国土佐郡)にある天満宮。祭神は菅原道真・菅原高視・北御方。県社別表神社

目次

祭神

  • 菅原道真
  • 菅原高視:菅原道真の長男。父が大宰府に左遷されたように高視も土佐に左遷されてこの地に来たという。
  • 北御方:菅原道真の妻。
  • 天穂日命菅原氏の祖神。
  • 大海津見命:天満宮奉斎以前からこの地に祀られていた龍王神地主神的な性格を持つと考えられる。幡龍宮として境内にも祀られている。

歴史

  • 901年(延喜1年):菅原道真が大宰府左遷になったとき、長男の菅原高視も土佐権守に左遷となった。現在の高見町のあたりに住んだと伝える。
  • 903年(延喜3年)2月25日:菅原道真死去。道真の随臣の度会春彦(白太夫)が道真の遺品の剣と鏡を奉じて土佐の高視のもとを訪れた。高視は遺品を龍王神の祠に納めて霊璽として父の霊を祀ったのが潮江天満宮の創始とされる(高視の死後に高視の家臣が道真の遺品と高視の遺品を納めたとも[1])。元の鎮座地は現在の土佐・真如寺の地だった。
  • 905年(延喜5年)12月9日:地元の伝承では度会春彦、大津雲門寺で死去。
  • 906年(延喜6年)7月16日:地元の伝承では菅原高視が土佐で死去(通常は913年(延喜13年)死去とされる)。
  • 1510年(永正7年)12月19日:この頃、社殿再建(棟札銘文)。
  • 1550年(天文19年):この頃、社殿再建(棟札銘文)。
  • 1568年(永禄11年):この頃、社殿再建(棟札銘文)。
  • 1601年(慶長6年):曹洞宗真如寺(山内家の筆頭菩提寺)創建。このために現在地に遷座した。江戸時代には寿命院が別当を務めた。
  • 1606年(慶長11年):この頃、社殿再建(棟札銘文)。
  • 1632年(寛永9年)8月29日:造替
  • 1669年(寛文9年):社殿修造。
  • 1689年(元禄2年):社殿修造。
  • 1696年(元禄9年):社殿修造。
  • 1700年(元禄13年):枕天神像、寿命院に遷される。
  • 1701年(元禄14年):社殿修造。
  • 1746年(延享3年):社殿修造。
  • 1802年(享和2年)2月:900年祭を斎行(祝詞[2]
  • 1805年(文化2年)4月26日:吉田家から「正一位太政大臣天満宮」の神位神号を授与される(贈位祠詞[3])。
  • 1834年(天保5年):社殿修造。
  • 1853年(嘉永6年):社殿修造。現存の楼門も建てられた。
  • 1870年(明治3年):早良宮が藤並神社御旅所から遷座。
  • 1873年(明治6年)3月:県社に列格(神道史大事典)
  • 1877年(明治10年)12月:菅原高視墓に垣を設ける。
  • 1899年(明治32年):暴風雨で楼門倒壊。
  • 1902年(明治35年):楼門を復元修理。この時、向きを変更し、島村三四郎による彫刻が施された。
  • 1928年(昭和3年)10月16日:放火で社殿焼失。楼門だけ残る。
  • 1932年(昭和7年):再建。
  • 1945年(昭和20年)7月4日:高知空襲で社殿焼失。移築した奉安殿を仮本殿とした。
  • 1958年(昭和33年):幣殿拝殿を再建。
  • 1964年(昭和39年):防災工事のため龍王ケ池を楼門南に移転。
  • 1965年(昭和40年):誠道館建設。
  • 1987年(昭和62年):社務所再建
  • 1995年(平成7年):本殿再建。

社家は宮地家が世襲していた。一族からは、土佐勤王党に参加した潮江天満宮神主の宮地常磐、その子で宮地神仙道の祖とされる宮地堅磐(宮地水位)、伊勢神宮禰宜や掌典職掌典を歴任した宮地厳夫、神祇院で神社考証に当たった神道史学者の宮地直一らが輩出。

境内

名称 祭神など 概要
本社
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霊杉
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菅原高視碑
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1933年(昭和8年)建立
白太夫社
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度会春彦
若栄社
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菅公に陪従の諸神霊並びに宮地正勝霊 宮地正勝は旧社家の宮地家の祖で、菅原高視に仕えたという。
大山祇神社
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大山祇命 巨岩の上の巨石の隣にある
早良宮
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不詳 祭神不詳。「枕天神画像と潮江天満宮」[4]によると、早良親王を祀る。元唐人町にあったが、別邸建設のために慶応年間に藤並神社御旅所に遷座。1870年(明治3年)3月、潮江天満宮に遷座。
島崎神社
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島崎道和(島崎道久) 島崎道和(島崎道久)は潮江天満宮の氏子篤信者だが詳細は不明という。1794年(寛政6年)10月創建。
(不詳)
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幡龍宮
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龍神 1964年(昭和39年)防災工事のため龍王ケ池を楼門南に移転。1975年(昭和50年)現在の社を造営。
神霊舎 不詳
寿命院 薬師如来 江戸時代の別当寺。真言宗。廃絶。山号は月洞山。夢窓疎石が五台山に滞在した後、この地に来て薬師像を祀り、一宇を建てた。永禄年間、恵光という僧侶が復興し、真言宗となった。のち寿命院と改めた。常通寺の末寺だった。枕天神、牛頭天王社、吉川明神、薬師堂、夢窓国師堂があった。維新で廃寺となり仏像は竹林寺に遷されたという。(「月洞山医王寺寿命院」[5]
枕天神社
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十一面観音 十一面観音像は潮江天満宮の本地仏。菅原道真が醍醐天皇から下賜されたもので、片時も離さずに枕元に置いていたため枕天神と呼ばれたという。1700年(元禄13年)に寿命院に遷された。寿命院廃絶後は土佐・竹林寺に遷されたとも、隣の真如寺に遷されたともいうが、現存は確認できていないという。廃絶。
菅原高視墓 菅原高視 高知県高知市北高見町。邸宅跡という。
白太夫神社
白太夫神社・社殿002.jpg
度会春彦 高知県高知市大津。
度会春彦墓
白太夫神社・度会春彦墓002.jpg
度会春彦 高知県高知市大津。

画像

資料

  • 寺石正路1902『土佐に於ける菅公古伝』[6]
  • 1910『北野誌』「県社天満宮」[7]
  • 宮地美彦1938「土佐の宮地氏に就て」[8]
  • 西本明四1929『潮江村誌』「菅原高視朝臣の事蹟と天滿宮縁起」[9]
  • 山中康司2000「枕天神画像と潮江天満宮」[10]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%BD%AE%E6%B1%9F%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE」より作成

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