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熊野大社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
熊野大社
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[[ファイル:Kumano-taisha-izumo (11).jpg|350px|thumb|熊野大社 鑽火殿]] '''熊野大社'''(くまの・たいしゃ)は島根県松江市八雲町熊野(出雲国意宇郡)にある[[出雲スサノオ信仰]]の神社。祭神は「神祖熊野大神櫛御気野命」(土岐昌訓論文)で、[[素戔嗚尊]]と同一視される。[[風土記所載神社]]、[[官社]]、[[名神大社]]、[[出雲国一宮]]、[[国幣大社]]、[[神社本庁]][[別表神社]]。[[熊野信仰]]や[[出雲信仰]]の影響も強い。[[出雲大社関連旧跡]]も参照。 ==歴史== ===上代=== [[ファイル:Kumano-taisha-izumo (8).jpg|350px|thumb|熊野大社 拝殿]] 創建不詳。『日本書紀』の659年(斉明5年)、[[出雲国造]]に命じて神の宮を修造させたという記事の「神の宮」が熊野大社に当たるという説がある。 紀伊国の[[熊野三山]]との関係は諸説あり、出雲の熊野大社から紀伊の熊野に信仰が伝わったとも、あるいはその逆とも考えられているが、決定的な根拠はない。 [[出雲国風土記]]に「大社」とあるのは杵築大社([[出雲大社]])と熊野大社のみであり、風土記にみえる出雲神戸は杵築大社と熊野大社の共有のものであって両社が密接な関係にあったことが分かる。出雲国造が出雲大社と熊野大社の双方の祭祀を司っていたと思われる。 ===古代=== 『令義解』では熊野大社を天神として出雲大社を地祇として対比させ、『文徳実録』や「出雲国造神賀詞」の記述をみると、熊野大社は出雲大社と同格かあるいはやや上位にあるように記す。『延喜式』では両社とも名神大社となった。1109年(天仁2年)10月29日と1167年(仁安2年)11月11日の[[大神宝使]]では山陰道では熊野大社だけが対象となり、出雲大社は外れた。 元来、出雲国造は現在のように出雲大社の近くではなく、熊野大社と同じ意宇郡に居住していた。それは現在の[[神魂神社]]のあたりで、熊野大社へは南6kmだが、出雲大社へは西に36kmと遠い。居住地に近い熊野大社が優遇されたとの見方がある。 神階については次の通り。 851年(仁寿1年)9月6日に従三位。文徳実録。 859年(貞観1年)1月27日に正三位。三代実録。 859年(貞観1年)5月28日に従二位。三代実録。 867年(貞観9年)4月8日に正二位。三代実録。 ===中世=== 出雲大社が勢力を拡大していくのに対して熊野大社は衰退。10世紀頃に出雲国造が意宇郡を離れ、出雲大社の近くに拠点を移したのと軌を一にする。紀伊国の[[熊野信仰]]を導入し、上下両宮の体制になったのもこの頃とみられる。平安時代末の『長寛勘文』には紀伊国の熊野と同体とみる議論が記録されている。 それでも毎年11月中卯には出雲国造が熊野大社に参詣し、鑽火祭を行っていたが1542年(天文11年)、大内氏の兵火で熊野大社が焼失して以来、その神事は神魂神社で行われるようになった。ただし、その間も神事に用いる火切臼・火切杵は熊野大社が管理して辛うじてその歴史をつないでいた。 天文の兵火の後、1546年(天文15年)8月15日、熊野氏が仮殿を造営 1565年(永禄8年)3月18日、毛利元就の寄進で上宮下宮ともに造営。 のちに出雲国一宮と称すが、中世の出雲国ではこのような表現は全く用いられておらず、後世の偽作だという。 ===近世=== [[ファイル:Kumano-taisha-izumo (16).jpg|350px|thumb|熊野大社 本殿]] 1582年(天正10年)7月1日、天野隆重が修造。 1601年(慶長6年)4月社領41石寄進。しかし翌月には17石となった。1868年(明治1年)になってようやく30石となった。 1698年(元禄11年)意宇川の氾濫で被災。 ===近現代=== 1881年(明治14年)修造。1913年(大正2年)から神域の拡幅工事を行い、1919年(大正8年)9月に竣工した。 1916年(大正5年)から鑽火祭を熊野大社で行うように復興。毎年10月15日に出雲国造が訪れて神事を行う。国造の代替わりのときには一代一度の火継式が行われる。 1871年(明治4年)5月14日、国幣中社に列格。 1877年(明治10年)3月21日、稲田神社と伊邪那美神社を摂社とした。 1916年(大正5年)2月17日に国幣大社に昇格。 3月6日に勅使参向のもと奉告祭 (神国島根、国史大辞典、日本歴史地名大系) ==境内== ===下之宮=== [[ファイル:Kumano-taisha-izumo (17).jpg|350px|thumb|摂社・稲田神社]] [[ファイル:Kumano-taisha-izumo (12).jpg|350px|thumb|鑽火殿内部]] *本社:伊勢宮。火出始神社とも。1565年(永禄8年)に社殿造営。大正年間に大規模な境内整備が行われ、1919年(大正8年)に神陵の直下とされる現在地に社殿を移築。現在の社殿は1948年(昭和23年)の造営で、1978年(昭和53年)に檜皮葺きから銅板葺きに改められた。1978年(昭和53年)に拝殿と幣殿が造営され、1984年(昭和59年)に拝殿を拡張。 *稲田神社:摂社。祭神は櫛名田比売命・足名椎命・手名椎命。配祀神は御前神・速玉之男命・奇八玉命で、また火知命・建御名方命・大物主神を合祀する。稲田神社は1764年(明和1年)の『指出帳』に記載があるが、1727年(享保12年)の『指出帳』には記載がないため、そのあいだの期間の創建か。1908年(明治41年)に近隣神社と境内社を合祀し、1909年(明治42年)に現在の社殿が造営された。合祀された近隣神社のうち、前神社(熊野御崎神社)、速玉神社は風土記所載神社で官社。元は境内北東の稲田姫の神陵の伝承地にあったとも。 *伊邪那美神社:摂社。祭神は伊邪那美命。配祀神は速玉之男命・事解之男命・大田神・衢神・埴山姫命・天児屋根命。また王子神・素戔嗚尊・大山祇神・戸山祇神・事代主命・応神天皇・山雷神・爾保津姫命・羽山祇神・岐神・長道磐神・煩神・開囓神・千敷神・大雷・火雷・土雷・稚雷・黒雷・山雷・野雷・裂雷・菊利姫命・泉守道人命を合祀する。元は上之宮の中ノ社。1908年(明治41年)(1909年(明治42年)とも)に上之宮から下之宮に遷座し、諸社を合祀した。上之宮境内の右社事解之男社、左社速玉之男社、八所社、五所社、久米社(風土記所載神社、官社)や、近隣の能利刀神社、布吾弥神社、田中神社、楯井神社(いずれも風土記所載神社、官社)などを合祀。 *荒神社:祭神は素戔嗚尊。相殿に高オカミ・闇オカミ・闇罔象を祀る。 *稲荷神社:祭神は倉稲魂神。 *鑽火殿:1916年(大正5年)の再興。1991年(平成3年)に再建。 *舞殿:1978年(昭和53年)に旧拝殿を舞殿として移築。1879年(明治12年)造営か。 *祓所:1986年(昭和61年)の修造。 *随神門:1886年(明治19年)、1928年(昭和3年)に改築。 *御笠山:本社の背後の山。素盞嗚山ともいい、祭神の神陵ともいう。 *火置社:稲田神社に合祀。 *火知神社:日代社か。稲田神社に合祀。 *道祖神社:廃絶。 *建御名方社:諏訪明神とも。稲田神社に合祀。 *門守神社:廃絶。 *金刀比羅社:稲田神社に合祀。 *王子養蚕社:王子社、養蚕神社、王子養蠶神社、熊野十王子権現とも。伊邪那美神社に合祀。 ===上之宮=== [[ファイル:Kumano-taisha-izumo (15).jpg|350px|thumb|下之宮に遷座した伊邪那美神社]] 熊野三社大権現とも呼ばれた。 1908年(明治41年)、伊邪那美神社を下之宮境内に遷座し、他の境内社も同時に伊邪那美神社に合祀。上之宮は廃絶となった。 *伊邪那美神社:中ノ社。 *事解之男社:右ノ社。 *速玉之男社:左ノ社。 *八所社: *五所社: *久米社:風土記所載神社。官社。 *客大明神社:1764年(明和1年)の時点で流出(指出帳)。 *天狗山:熊野大社元宮。現在も磐座があり、祭典が行われている。熊成峰。熊野山とも ==組織== 中世には「別火」という名の職が長官を務めた。熊野氏が世襲したとも。 ===宮司=== *中村守手(1820-1882)<1871->:国学者。中村守臣の養子。1871年(明治4年)宮司か。権少教正。1882年(明治15年)死去。 *大橋安敦(?-1889)<?-1889>:1889年(明治22年)8月22日死去(官報)。 *木村和男()<>:松江藩の国学者。[[日御碕神社]]権宮司。 *有沢昇()<>: *熊野季若(生没年不詳)<1914-1929>:1914年(大正3年)就任。1929年(昭和4年)退任。 *大島乙丸(1894-)<>:長崎県出身。1894年(明治27年)生。神宮皇学館卒。熊野大社宮司、[[寒川神社]]宮司、神宮皇学館教諭を経て1940年(昭和15年)6月25日、[[伊弉諾神社]]宮司。[[樺太神社]]宮司。戦後、長崎県の天降神社宮司。 *小林巌雄(1905-1960)<1936-1940>:神宮少宮司。 *渡辺東夫()<-1943->:『島根県職員録 昭和18年2月1日現在』。 *須佐 *千家達彦(1922-2015)<1968-2008>:[[出雲大社教]]管長5代。[[出雲大社]]教統。2008年(平成20年)11月30日退任。 *熊野高裕()<2008->:2008年(平成20年)12月3日就任。 ===少宮司=== *大野泰 ==画像== <gallery> file:kumano-taisha-izumo (1).jpg| file:kumano-taisha-izumo (2).jpg| file:kumano-taisha-izumo (3).jpg| file:kumano-taisha-izumo (4).jpg| file:kumano-taisha-izumo (5).jpg| file:kumano-taisha-izumo (6).jpg| file:kumano-taisha-izumo (7).jpg| file:kumano-taisha-izumo (8).jpg| file:kumano-taisha-izumo (9).jpg| file:kumano-taisha-izumo (10).jpg| file:kumano-taisha-izumo (11).jpg| file:kumano-taisha-izumo (12).jpg| file:kumano-taisha-izumo (13).jpg| file:kumano-taisha-izumo (14).jpg| file:kumano-taisha-izumo (15).jpg| file:kumano-taisha-izumo (16).jpg| file:kumano-taisha-izumo (17).jpg| </gallery> <!-- ==古典籍== --> ==参考文献== *土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』 ==脚注== <references/> [[category:島根県]]
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