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熱田・誓願寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年6月21日 (水)

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誓願寺(せいがんじ)は、愛知県名古屋市熱田区白鳥にある浄土宗寺院。尼寺。本尊は阿弥陀如来西山浄土宗。尼僧は伊勢慶光院善光寺大勧進と共に勅許三上人の一人で、紫衣を勅許され、熱田上人と呼ばれた。定期的に参内することから京都御幸町通に宿寺を置いた。熱田神宮大宮司屋敷の跡地で源頼朝の生誕地で、江戸時代には頼朝を祀る祠があったが(尾張名所図会)今はないようだ。熱田神宮関連旧跡誓願尼寺。山号は妙光山。 (参照:同名寺院誓願寺 (同名)

目次

歴史

  • 1525年(大永5年):日秀善光が創建。1529年(享禄2年)1529年ともいう。
  • 1570年(元亀1年)5月5日:上人号勅許。
  • 1581年(天正9年):織田信長:油日神社の鐘を移す。
  • 1591年(天正19年):大政所参詣
  • 1600年(慶長5年)2月24日:焼失。
  • 1607年(慶長12年):豊臣秀頼が本堂など再建。
  • 1608年(慶長13年):前田利家の室が鐘楼を寄進。
  • 1615年(元和1年):松平忠吉が築地を整備。
  • 1623年(元和9年):徳川義直:寺領100石寄進。
  • 1628年(寛永5年):徳川義直が屋敷地を寄進し伽藍整備。
  • 照月善光の時代:参内が隔年となる。
  • 1643年(寛永20年)11月15日:東福門院、京都に屋敷地を寄進。
  • 1647年(正保4年):徳川光友の命で長屋を建て水野光綱が後見役として入る。
  • 1669年(寛文9年)11月:東福門院、本堂を修復。
  • 1803年(享和3年):本堂など再建。
  • 天保年間:定例の参内がなくなる。
  • 1945年(昭和20年):名古屋空襲で焼失。

(名古屋市史社寺編[1]ほか)

組織

住職

誓願寺後見水野家系図[2]

  • 1日秀善光(?-1601)<>:山田藤蔵の娘。日秀妙光とも。夫を失い、善光寺で出家。1601年(慶長6年)2月10日死去。96歳。
  • 2照山慶光(?-1616)<>:水野光尚の娘。1616年(元和2年)(1617年(元和3年)とも)10月10日死去。
  • 3修光慶薰(?-1616)<>:水野光成(水野光種?)の娘。1616年(元和2年)6月1日死去。
  • 4照月善光()<>:水野光重(水野光政?)の娘。
  • 5照岸善光()<>:水野光兼の娘。
  • 6佳山善光()<>:水野光綱の娘。
  • 慶吟()<>:1709年(宝永6年)在世。早世。
  • 7真誉善光()<>:水野光美の娘。精蓮社。
  • 8秀山善光()<>:杉山氏。水野光広の養女。

墓所は久野山清安寺にあった。

資料

  • 尾張誓願寺文書
  • 尾張国愛知郡誌
  • 『織豊期の政治構造』?
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%86%B1%E7%94%B0%E3%83%BB%E8%AA%93%E9%A1%98%E5%AF%BA」より作成

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