ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
猿田彦神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年10月4日 (火)
猿田彦神社は三重県伊勢市宇治浦田(伊勢国度会郡)にある猿田彦信仰の神社。祭神は猿田彦大神で、相殿に太田命を祀る。伊勢神宮の玉串大内人を務めた宇治土公氏の祖神。 宇治土公氏の自邸内に祀られた邸内社が起源とみられる。無格社。別表神社。
目次 |
歴史
創建不詳。建久年間には北中村で祀られていたといい、文明年間、多気郡野中村に遷り、元和年間、山田岡本町に遷座。1677年(延宝5年)、現在地に遷座した。1867年(慶応3年)には火災で焼失。永正7年の註進状に当社には神殿はなく賢木で祀っていたとある。 明治になり「神社」化することとし、三重県に請願。1878年(明治11年)8月17日許可を得て、宇治土公家の隣接地に造営を開始、1893年(明治26年)12月17日に竣工した。ただし社格を得ることはできなかったようで、無格社だったようだ。1936年(昭和11年)現在地に社殿造営。1997年(平成9年)に平成の造営を行った。戦後、神社本庁の別表神社となった。
境内
- 本社:本殿は、切妻造り妻入りで、前方の破風を二重にし、屋根は神明造を意識した千木鰹木を並べて、これを「さだひこ造り」と称しているようだ。拝殿も妻入りの切妻破風が二重に重なり、寝殿造の祝詞殿に接続している。
- 佐瑠女神社:祭神は天宇受売命。創建不詳。覆殿の中に鮮やかな八角の本殿がある。
- 方位石:古殿地。方角を刻んだ八角の石柱。1936年の造営まで神殿があった場所。
- 御神田:御田祭を行う。
- 子宝池:池畔に「宇治土公家の産霊神」が祀られているというが不詳。
- 車両修祓所:
組織
玉串大内人は内宮の大内人職の上位にあり、禰宜の次に位置した。宇治土公(うじのつちぎみ)が世襲した。式年遷宮では心の御柱と御船代を造り納めるなど、重要な役割を果たした。1871年(明治4年)の神宮御改正で内人職が廃止となる。近世には荒木田氏となるが、1678年(延宝6年)4月25日、宇治土公氏に復す。家名としては「二見」と用いるが、1911年(明治44年)12月26日、「宇治土公」(うじとこ)を名乗る。
前近代
- 大田命
- 宇治土公磯部小継():804年(延暦23年)の『皇太神宮儀式帳』の奥書の名前がある。
- 宇治土公貞茂():1398年(応永5年)在職。
- 宇治土公貞近():1438年(永享10年)在職。
- 宇治土公貞次():1445年(文安2年)在職。
- 宇治土公貞通():1460年(寛正1年)在職。
- 宇治土公貞重():1479年(文明11年)在職。三重県多気郡多気町野中の西外城田神社近くに墓?伊勢市中村町の墓地に移転?
- 宇治土公貞盛():1479年(文明11年)在職。
- 宇治土公貞時():1664年(寛文4年)在職。
- 宇治土公定彦():1683年(天和3年)在世。
- 宇治土公定恭():1701年(元禄14年)大内人就任。
- 宇治土公定森():定彦の次男。
- 宇治土公定次():
- 宇治土公定静():
- 宇治土公定哉():
- 二見定津(1783-1822):定静の子。1792年(寛政4年)大内人。権禰宜。1796年(寛政8年)本居宣長に入門。1822年(文政5年)閏1月3日死去。
- 二見定直():1870年(明治3年)在職
社掌・宮司
- 宇治土公貞幹()<>:二見貞幹。伊藤小坡の父。
- 宇治土公貞幹(1924-2011)<>:神社本庁長老。1924年(大正13年)生。1944年(昭和19年)国学院大学神道部卒。同年、猿田彦神社社掌。1946年(昭和21年)宮司。1972年(昭和47年)10月10日三重県護国神社宮司兼務。1971年(昭和46年)三重県神社庁長。1980年(昭和55年)神社本庁監事。1983年(昭和58年)神社本庁理事。
- 宇治土公貞明()<>:2008年(平成20年)9月10日死去。
- 宇治土公貞尚()<>: