ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
玄昉旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年8月12日 (月)
(版間での差分)
(間の3版分が非表示) | |||
1行: | 1行: | ||
- | '''玄昉'''(げんぼう)(?-746)は奈良時代の[[法相宗]] | + | '''玄昉'''(げんぼう)(?-746)は奈良時代の[[法相宗]]僧侶。[[阿刀氏]]。 |
== 略歴 == | == 略歴 == | ||
- | [[義淵]]の弟子。717年入唐。法相宗の智周に学ぶ。[[玄宗皇帝]]に謁見。 | + | [[義淵]]の弟子。717年入唐。法相宗の智周に学ぶ。[[玄宗皇帝]]に謁見。[[五台山]]に巡礼。 |
735年、帰国。日本に初めて整った[[大蔵経]]を将来したという。法相宗第四伝。[[興福寺]]に所属。 | 735年、帰国。日本に初めて整った[[大蔵経]]を将来したという。法相宗第四伝。[[興福寺]]に所属。 | ||
宮中の内道場として[[光明皇后]]から[[海龍王寺]]を与えられた。 | 宮中の内道場として[[光明皇后]]から[[海龍王寺]]を与えられた。 | ||
- | + | 以降、政治にも関与するようになり、橘諸兄政権を支えた。しかし740年には玄昉の追放を求めて[[藤原広嗣]]が反乱を起こす。 | |
- | 745年11月、[[観世音寺]] | + | 745年11月、[[観世音寺]]に左遷。翌年死去。広嗣の[[怨霊]]に取り殺されたと伝える。 |
== 一覧 == | == 一覧 == | ||
- | *[[興福寺]] | + | *[[五台山]]:中国山西省。[[文殊信仰]]の霊山。 |
- | *[[海龍王寺]] | + | *[[興福寺]]:奈良県奈良市。 |
- | *[[観世音寺]] | + | *[[興福寺菩提院]]:奈良県奈良市。玄昉の住房として始まる。現存。 |
- | *[[玄昉墓]] | + | *[[福智院]]:奈良県奈良市。玄昉が創建。 |
- | + | *[[海龍王寺]]:奈良県奈良市。 | |
+ | *[[観世音寺]]:福岡県太宰府市。 | ||
+ | *[[玄昉墓]]:福岡県太宰府市。観世音寺の裏にある。 | ||
+ | *[[頭塔]]:奈良県奈良市。玄昉の頭が飛来してこの地に落ちたという。 | ||
[[category:人物旧跡]] | [[category:人物旧跡]] |
2019年8月12日 (月) 時点における最新版
玄昉(げんぼう)(?-746)は奈良時代の法相宗僧侶。阿刀氏。
略歴
義淵の弟子。717年入唐。法相宗の智周に学ぶ。玄宗皇帝に謁見。五台山に巡礼。 735年、帰国。日本に初めて整った大蔵経を将来したという。法相宗第四伝。興福寺に所属。 宮中の内道場として光明皇后から海龍王寺を与えられた。 以降、政治にも関与するようになり、橘諸兄政権を支えた。しかし740年には玄昉の追放を求めて藤原広嗣が反乱を起こす。 745年11月、観世音寺に左遷。翌年死去。広嗣の怨霊に取り殺されたと伝える。