ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

玄昉旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
(ページの作成:「category:人物旧跡」)
1行: 1行:
 +
'''玄昉'''(げんぼう)(?-746)は奈良時代の[[法相宗]]僧侶。阿刀氏。
 +
 +
== 略歴 ==
 +
[[義淵]]の弟子。717年入唐。法相宗の智周に学ぶ。[[玄宗皇帝]]に謁見。
 +
735年、帰国。日本に初めて整った[[大蔵経]]を将来したという。法相宗第四伝。[[興福寺]]に所属。
 +
宮中の内道場として[[光明皇后]]から[[海龍王寺]]を与えられた。
 +
以降、政治にも関与するようになり、740年には玄昉の追放を求めて[[藤原広嗣]]が反乱を起こす。
 +
745年11月、[[観世音寺]]に左遷。翌年死去。
 +
 +
== 一覧 ==
 +
*[[興福寺]]
 +
*[[海龍王寺]]
 +
*[[観世音寺]]
 +
*[[玄昉墓]]
 +
 +
[[category:人物旧跡]]
[[category:人物旧跡]]

2018年4月8日 (日) 時点における版

玄昉(げんぼう)(?-746)は奈良時代の法相宗僧侶。阿刀氏。

略歴

義淵の弟子。717年入唐。法相宗の智周に学ぶ。玄宗皇帝に謁見。 735年、帰国。日本に初めて整った大蔵経を将来したという。法相宗第四伝。興福寺に所属。 宮中の内道場として光明皇后から海龍王寺を与えられた。 以降、政治にも関与するようになり、740年には玄昉の追放を求めて藤原広嗣が反乱を起こす。 745年11月、観世音寺に左遷。翌年死去。

一覧

http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%8E%84%E6%98%89%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール