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玄真観

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年6月1日 (土)

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'''玄真観'''は、唐代[[長安]]崇仁坊にあった[[道観]]。もとは中宗と韋后の皇女長寧公主の御殿だったが、玄宗が韋后を廃してから、景龍観になった。三重の楼閣があった豪華な道観だったという。天宝12年(753)、玄真観となった。'''元真観'''とも。(土屋昌明、2002『神仙幻想』春秋社)  
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'''玄真観'''は、唐代[[長安]]崇仁坊にあった[[道観]]。もとは中宗と韋后の皇女長寧公主の御殿だったが、[[玄宗]]が韋后を廃してから、'''景龍観'''になった。三重の楼閣があった豪華な道観だったという。天宝12年(753)、玄真観となった。'''元真観'''とも。(土屋昌明、2002『神仙幻想』春秋社)  
[[category:中華人民共和国陝西省]]
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2019年6月1日 (土) 時点における最新版

玄真観は、唐代長安崇仁坊にあった道観。もとは中宗と韋后の皇女長寧公主の御殿だったが、玄宗が韋后を廃してから、景龍観になった。三重の楼閣があった豪華な道観だったという。天宝12年(753)、玄真観となった。元真観とも。(土屋昌明、2002『神仙幻想』春秋社)

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