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玉置神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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玉置神社(たまき・じんじゃ)は、奈良県吉野郡十津川村玉置川(大和国吉野郡)にある熊野信仰の神社。祭神は国常立尊伊弉諾尊伊弉冊尊天照大御神神日本磐余彦命(ウェブサイト)。大峰七十五靡の第10宿。熊野三山の奥之院と呼ばれた。別当は高牟婁院玉置権現玉置三所権現

目次

歴史

  • 崇神天皇の時代の創建という。
  • 1691年(元禄4年):蓮華光院門跡の支配下に入る
  • 1727年(享保12年):聖護院門跡の配下に入り、別当高牟婁院が建立された。
  • 十津川郷の総鎮守であったが、近隣村の山林を横領したので住民と疎遠になった。
  • 1868年4月:十津川郷民惣代の願で玉置三所大神と称す。6月までに仏具を廃した。
  • 1868年7月:神祇官玉置神社の称を許可。
  • 1868年8月:高牟婁院敬純が還俗退去。
  • 1871年:全村あげて神葬祭に改宗
  • 1872年2月:村内全寺院の廃止を請願。
  • 1873年4月4日:村内全寺院の廃止を許可。
  • 1885年:全村あげて出雲大社教に改宗した。
  • 1889年8月:大水害。
  • 1890年9月:十津川郷民、北海道樺戸郡新十津川町に入植。
  • 1891年1月:新十津川村の入植民、玉置神社の分霊を迎えて新十津川神社とする。1894年、社殿造営。
  • 1910年9月23日:北海道樺戸郡新十津川町に出雲大社新十津川分院を創建。

境内

組織

祠官・宮司

  • 上平長矩(1824-1891)<>:十津川郷士。天誅組を十津川村から退去させた。伊豆新島に配流。帰郷して玉置神社祠官。上平主税。
  • 伊豆義清
  • 弓場季彦
  • 舛谷武

資料

古典籍

  • 『玉置山権現縁起』:1350年書写という。1436年書写。
  • 『峰中修行記』:玉置山権現縁起に付記
  • 『玉置山縁起』:1682年。
  • 『玉置三所権現社両部習合之巻』:1763年。
  • 『和州吉野郡群山記』「玉置山記」:畔田伴存著。
  • 『玉置神社本紀』:1868年。斎部定信。
  • 『吉野旧事記』:
  • 『紀伊国名所図絵』「玉置山三所権現」[1](限定送信)
  • 『十津川記事』中(限定送信)
    • 「玉置神社の事」[2]
    • 「玉置神社」[3]
  • 『十津川記事』下(限定送信)
    • 「出雲教会入会の式」[4]
    • 「出雲大社分霊遷座式」[5]

資料

  • 西田正俊1932『十津川郷』「玉置神社」[6](限定送信)
  • 岡彩雲1937『神武天皇と大和十津川』[7](限定送信)
  • 佐藤虎雄1954「玉置山における玉の信仰」[8]
  • 佐藤虎雄1955「玉置山の神仏分離」[9](限定送信)
  • 奈良県教育委員会事務局文化財保存課編1961『十津川』「建築物」[10](限定送信)
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%8E%89%E7%BD%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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